王国の住人20   焼けた掌

    

安原が手配した警察に八城暁を引き渡した後、ナルとリンは警察署での事情聴取を求められた。

その場で依頼人への事情聴取、説明も行われたので、二人が全ての対応を終え、ベースに戻ったのは夜20時過

ぎのことだった。

嫌な沈黙を互いに抱えながらナルとリンがベースに戻ると、ちょうどベースに残ったメンバーが、一足早く戻った滝

川に事件の仔細を聞いている所だった。

 

「麻衣、お茶」

 

息をつくより自然に落ちた指示に、床に座り込んで滝川の話を聞いていた麻衣は条件反射で立ち上がり、気遣う

綾子を押さえて、ついでに全員のお茶の準備をするとキッチンに立った。

ちょうどモニターの前に移動しようとしていたリンは、キッチンに向かう麻衣とすれ違うようになった。

リンはそこで麻衣をあからさまに避け、気まずそうな顔をしたまま、壊滅状態の機材を半ば自嘲気味に見渡した。

その様子に安原らは困惑したように顔を見合わせ、麻衣は泣きそうな顔をしたが、誰もそこに活路を見出すことが

できず、居合わせたメンバーにしては珍しく口を閉ざし表情を曇らせた。

しかし、ナルだけは我関せずの態度を崩すことなく、隣室の和室に移動し、荷物の中から救急箱を取り出した。

「あら、ナル怪我?」

綾子が覗き込むと、ナルの左手は赤く膿んだように腫れていた。

「何よソレ!火傷じゃない!いつ火傷したの?そのままだと跡が残るわよ!まずは冷やしなさい!」

綾子は言うが早いかキッチンに向かい、備え付けの冷凍庫を開け、手近にあったビニール袋に氷を詰めると、濡

れたタオルを巻きつけて、それをナルに握らせた。

さすがに痛むのか、ナルはそれを黙って受け取り、億劫そうにその場に腰を降ろした。

「ナルちゃんや、それってもしかして、あの石割った時の怪我か?」

滝川に話しかけられ、ナルは座り込んだまま不機嫌そうに頷いた。

「急に割れたもんな。ありゃPKだろ」

「・・・・ああ」

「粉々になったもんな。結構力使ったんじゃねぇの?」

「別に」

そっけないナルの態度に、綾子は顔を顰めた。

「その時の火傷だと随分時間が経ってるじゃないの。痛むでしょう!もう、何だって今までほっておいたのよ?」

きゃんきゃんと文句をつける綾子を手で払い、ナルは小さく零した。

「痛むくらいでちょうどいい」

そう呟くと、ナルは渡された氷を握りなおした。

まるで自分を罰するようなナルに、誰もが二の句を告げないでいると、滝川がやおら立ち上がり、麻衣が準備し

ていた自分用のアイスコーヒーを受け取りながらナルに向かって声をかけた。

 

「そういやさぁ・・・・ナル、お前さんいつから幽霊が視えるようになったんだ?」

 

「・・・・・へ?」

真近で目を丸くする麻衣を眺めながら、滝川はにやりと笑った。

待ち構えているかのような滝川の笑みに、ナルはため息とともに返事をした。

「僕に霊視能力はない」

「だよな?お前さんにあるのはサイコメトリとサイキックだ。その能力があれば、あの犯人に催眠を教えたじいさ

んの顔くらい知ることはできるだろうけどよ。お前さん言ったじゃん。八城暁の背中にそのじいさんがべっとり憑

いているって」

「・・・・・・言ったな」

「ありゃ何だ?」

「嘘だけど?」

「嘘?!」

鸚鵡返しに繰り返す麻衣を、ナルは面倒そうに睨み返した。

「警察に連行したところでヤツに満足な罰が加えられる保障はない」

「ああ・・・まぁ、そうですね。未成年ですし」

残念ながら、と、付け加えた安原に、ナルは肩をすくめた。

「そもそも僕は日本の警察なぞ信用していない。だが報復がうやむやになることはできない相談だ」

「確実な仕返しってわけですね」

安原の乾いた笑い声に、滝川はため息をついた。

「で、嘘ついて呪いをかけてやったってわけかい」

「呪い?ナルが?そんなのかけられるの?」

麻衣の問いに滝川はアイスコーヒーを飲みながら重々しく頷いた。

「何も呪文を唱えるだけが呪いじゃねぇのよ」

「うにゃ?」

「相手がそう信用しちまったら、その言葉はもう立派な 『 呪い 』 になるんだよ。鰯の頭も信心からって言うだろ。

物事に意味をつけるのはあくまで人間本人なんだよ。そこに霊が憑いていて、お前さんに祟るって言われて、

信じたらもうそれは 『 呪い 』 なんだ。そう言う意味では暗示とよく似ているのかもな」

滝川はアイスコーヒーを一息に飲み、カウンターに空になったグラスを置いた。

「ついでにさぁ、リン」

早速機材の調整を始めていたリンは突然声をかけられ、怪訝そうに滝川の方を振り返った。

「お前さんにもじいさんの幽霊なんか見えてなかったんだろ?」

「・・・ああ、見えませんでしたね」

「それにさぁ、憑いている霊を縛り付けるなんて、お前さんできんの?」

滝川が言わんとしていることを悟り、リンは目を細め、わずかに顎を上げた。

「できるわけがありません」

「わざわざオカルトに詳しそうな高校生に『 陰陽師 』だって比較的メジャーな職種言って信用させて、お前さんも

ナルの呪いに一枚噛んだってわけね。中国巫蠱道道士よりはわかりやすいけどさ。身分詐称に近いよな」

「結果的には」

悪びれもせずにのたまうリンに、滝川はにっこりと笑った。

「リンも怒ってたってわけだな。ナルに呪い殺してもいいか、お伺いたててたし」

「へ?」

「リンさんが?」

「怖っっ」

その場を知らない3人が顔を見合わせるのを眺め、滝川は我が意を得たりと頷いた。

「あれもイジメだろ?」

  

 

 

 

  

「いえ、あれは本気でした」

  

 

 

 

 

いたく真面目に応じたリンに、その場は一気に凍りついた。

優秀な道士である彼が言うと、それは単なる脅しにならない。

突如氷結したベースで、最初に噴出したのは安原だった。

いや!いやいやいや!リンさんも谷山さんのこと大事だったんですねぇ!」

満面の越後屋スマイルでキッチンに向かい、麻衣からリンと自分の分のグラスを受け取ると、安原はそれを

持ってモニター前に移動し、リンにグラスを手渡した。

「もう、僕、リンさんのこと大好きになっちゃいました」

グラスを受け取りながらも絶句するリンを前に、安原はコロコロと笑い、麻衣に顔を向けた。

「谷山さん」

「うぇ?」

「安パイの安原が保障します。あんな卑怯者の暗示なんかでリンさんのこと嫌わないで下さいね」

そのあまりの直球に麻衣が固まると、綾子が声をあげて笑い出し、滝川もやや躊躇いつつも麻衣の頭に手を

伸ばして、栗色の髪をぐりぐりとかき混ぜた。その手に頭をゆすられて、ぎこちなく固まっていた麻衣もつられ

て微笑んだ。

築いてきた信頼は、あれが悪夢だと断言できるほど力強く、貴い。

麻衣にそれをなくす必要はどこにもない。

悪夢はそれを麻衣から奪う力などない。

ぱっと花が咲いたような麻衣の笑顔を向けられ、リンはあっけに取られ、それからひどく居心地悪そうに顔を

背けた。

  

  

  

 

 

 

 

  

「はい、ナルお待たせ」

くすくすと笑いながら麻衣が熱い紅茶を差し出すと、ナルは冷やしていた左手に視線を落とし、次にちらりと板

張りになっている床の間に視線を移した。

「こっちに置いといていいの?」

続く問いかけにも瞼を閉じるだけで口も利かない。

麻衣はため息をつきながら湯気のたつカップを床の間に置き、未だリンをからかって遊んでいる滝川らのリビン

グを振り仰いだ。

わずかに薄暗い和室から眺めるリビングは、笑い声とあいまってひどく明るく見える。

吸い寄せられる虫のように麻衣が立ち上がりかけると、冷たい声がそれを制した。

 

「麻衣」

 

冷ややかな制止に、麻衣が振り返ると、声より固い視線が注がれた。

「な・・・ん、でしょう・・・・」

思わず語尾が小さくなりつつ返事を返すと、ナルは視線を外さないままもう一度麻衣の名前を呼んだ。

 

「麻衣」

 

名前を呼ぶだけの声は、それでも確かにナルの意思を伝え、麻衣は顔を赤くした。

 

「麻衣」

 

声は側に来いと訴えている。

頑丈な理性によって押さえつけられた表情からは、何の感情も読み取れないが、それに反比例するように、声

は雄弁にナルの隠された感情を滲ませていた。

それは怒りとか、焦燥とか、疲労とか、痛みとか、恋慕で、麻衣は眉根を下げ、少し困惑したが、すぐにナルの

目の前の畳にぺたりと膝をついた。

真近で見上げても、その白皙の美貌、漆黒の瞳からはやはり何の感情も読み取れない。

けれど麻衣は確信を持ってナルににじり寄った。

ナルの声は、名を呼ぶことしかできないくらい、追い詰められている。

 

――― 何だか、私がナルを傷つけちゃったみたいだ。

 

麻衣はふとそんなことを考え、僅かに表情を曇らせた。

その麻衣の変化を見据えて、ナルは大儀そうに氷の入ったビニール袋を左手から離し、その感触を確かめる

ように掌を返し、その手を麻衣の頬に当てた。

「!冷たっっ!」

ひやりと冷えた掌に、条件反射で麻衣が首をすくめると、ナルはその首にゆっくりと腕を回した。

 

 

 

 

 

 



初めにそれに気が付いたのは綾子だった。

次に、呆れを含んだ綾子の視線に安原が気が付き、彼はにこやかに微笑みながら、リビングと和室を隔てる

薄い障子をひいた。

「ん?どうしたんだ、少年?」

不自然な安原の行動に滝川が顔を上げる。

そのどこまでも野暮な父親に、安原は満面の笑みを浮かべながら腕を絡め、途中から事態に気が付き顔を強

張らせたリンに目配せした。

「さ、これで今回の調査も終了ですね!明日の撤収の前に我々は打ち上げにでも行きましょう!」

「あら、いいわねぇ。ねぇ、リン。ここはナルに任せちゃえばいいでしょう」

わざとらしく歓声をあげる綾子に、リンは困惑しながら同意した。

「え・・・・・ええ、どの道一度メンテナンスに出さなければ使いものになりませんし・・・」

「決まり!じゃ、さっさと行きましょうよ。この近所って飲み屋あるのかしら?」

「あ、ここって駅前に繁華街あるんで、朝まで大丈夫な店って結構あるんですよ」

「あらそう、街中の調査で丁度良かったわね」

「はぁ?何言ってんだよお前ら、そんなことナル坊が許すわけないじゃねぇか・・・・って、ナルは?麻衣は?」

急展開ついていけなかった滝川もそこでようやく不穏な空気に気がついた。

顔を真っ青にして口を開ける滝川を安原はまぁまぁと強引に腕を引き、半壊の機材の前から立ち上がったリンを

手招きして呼んだ。

「さぁさぁ行きましょう!はい、リンさん。ノリオの左腕お願いします」

「おい!って少年?!リンも何やってんだよ?!手ぇ離せ!!!!」

滝川の必死の抵抗もリンの握力と安原の強引さの前では無力だった。

力ずくでずるずると廊下にひっぱり出されて、滝川は大声を上げた。

「ちょっっ、待て―――っっ!麻衣はぁぁぁ?!!!」

「お願いですから、大人しくついてきて下さい」

「ぼーず、うるさい!」

「近所迷惑ですよ」

騒ぐ滝川の額をぴしゃりと叩き、安原は満面の笑みを浮かべた。

 

 

「 ようやく平和な夜が訪れたんですから、邪魔しちゃだめですよ 」

 

  

 

  

 

 ― END ―

 

 

 

 

 

アトガキ ★オマケ★