広い前庭を抜け、正面入り口から屋敷に足を踏み入れると、玄関は二十畳ほどの土間造りになっており、土間の先は上がり框、さらに横に長い和室とに繋がっていた。
屋根裏がそのまま見える高い天井や太い大黒柱。
まるで映画のセットのような古く重みのある日本家屋に麻衣が目を奪われている内に、朋樹は乱暴に靴を脱ぎ、上がり框に上がりつつ大声を上げた。
「草ばばちゃん!おんちゃん!お客さん!!」
低いけれどよく響く朋樹の声がすっかり消えてから、奥の方からゆっくりとした足音が聞こえ、程なくすると真っ黒な漆塗りの扉が開き、中から初老の棒切れのように細い男性と、同じ年頃のやけに顔の白い小太りの女性が顔を出し、女性は朋樹の顔を見るなり嬉しそうに顔を綻ばせた。
#003 島の人間
その女性は脇目もふらずに朋樹に歩み寄ると、小さな孫にでもするかのように、朋樹の肩やら腕やらを忙しなく叩きながら、その外見に似合いの、高いけれど柔らかな声で歓声を上げた。
「まぁまぁ、トモさん!お疲れさんだったねぇ」
そうされた朋樹もまた、甘えることに慣れた孫のような口ぶりで、気安い返事をした。
「疲れたよ。やっぱりここは遠い」
「そうやろうねぇ。ちょくちょく動ける距離と違うから」
「ああ」
「下でダイと会えたかい?」
「ああ・・荷物頼んできた。大荷物やから、おんちゃん、悪いけど運ぶの手伝ってくれや」
無言で頷く男性に朋樹はすまんね、と頭を下げつつ、ふわふわと嬉しそうに笑う女性と入り口に立つSPRの面々を見渡し、それぞれにそれぞれを紹介した。
「巫女の世話をしてくれている大叔母夫婦です。坂木重三(さかき じゅうぞう)と草子(そうこ)。草子おばの方が、巫女の祖母の妹にあたります。草ばばちゃん、こちらが内郷先生に紹介してもらった東京の人だよ」
朋樹が紹介すると、それまで機嫌よく笑っていた草子と紹介された女性はその途端ぎこちなくその笑みを引っ込め、一行から視線をそらすように曖昧に頷いた。てのひらを返したようなその態度に、朋樹は困ったように肩をすくめつつ、周囲を見渡し尋ねた。
「ところで、姫神さんは?出てこない気か?」
「まだ外や」
「なんや、今日来るって分かってたはずやのに・・・」
朋樹が僅かに非難交じりの声を上げた瞬間、草子は非難されてはたまらないと言ったように目を剥き、険のある声を上げて抗議した。
「姫さんはお正月さんの準備で忙しいんや!こっちのことは俺に任してるんやからいいやろ?!」
草子はつっけんどんにそう言い切ると、「初めに使ってもらう部屋を案内しましょ」と言って、朋樹らの顔を見ることなく奥に向かってすたすたと歩き始めた。
間違いなく歓迎されてはいないムードに、一行はそれぞれに顔を見合わせたが、申し訳なさそうに取り繕う朋樹の後を追う形で屋敷の奥へと付いて行った。
ベースとして使うよう案内された部屋は、二十畳もある大きな一間だった。
立派な細工が施された欄間に、雪見障子がはめ込まれた仕切りがその部屋が酷く贅沢な造りをしていることを窺わせたが、その部屋も屋敷の外見同様、時の流れに寂れ、敷き詰められた畳は日に焼け茶色に変色し、どこかしらから冷たい隙間風が吹き込んでいた。部屋の右側には旧型の石油ストーブが2台赤々とした炎をともしていたが、それだけでは到底部屋全体を暖めることはできず、部屋に通されたはいいものの上着を脱ぐこともできず、自然、一行はストーブの周囲に集まった。「なんや、寒いなぁ」
朋樹が遠慮なくそう言うと、草子は朋樹の顔だけ見るように顔を上げ、不服そうに口を尖らせた。
「古い家だから、仕方ないんや」
「にしても、これじゃ凍え死ぬ」
「泊まるように続きの間も準備してある。そっちやったら8畳間やから、ストーブもよく効くし、寝床には電気毛布揃えたってるから、大丈夫やろ。床の間の座敷まで3部屋あるし、好きに使えばいい。トモさんの部屋も同じように西側に準備してあるから心配しなくていいし」
「寝れればいいってんでなくてや。この部屋のこと言ってるんだよ」
「そなこと言ってもなぁ・・・大きい部屋がいいって言うからや。あとはこまい部屋しかないんやし」
「他にヒーターとか、予備のストーブは?」
「ここだけで5台出しているんや。これ以上あるわけないやろ。そんなに寒いなら、囲炉裏端に来ればいい。あそこが一番ぬくいんやから」
揉める2人を他所に、麻衣は草子が言うように続きの間を開けて、その8畳間に足を踏み入れた。
襖一枚で仕切られた昔ながらの造りのその部屋も、最初の部屋と同様に古びてはいたが、同種の石油ストーブが焚かれ、部屋の隅こそ肌寒が、ベースに比べれば程よく温まっていた。
「ねぇ、このくらいなら平気じゃない?」
麻衣は横で不機嫌そうに肩を抱いていた綾子に声をかけ、隣の部屋を促した。
「まぁ・・・・・・快適とはいえないけど、少なくとも凍死はしなくてすみそうね」
嫌そうに顔を顰めながらも、その暖には代えがたく、そのまま部屋に居座る綾子を乗り越え、麻衣は終始無言で俯いているナルに声をかけた。
「ねぇ、寝る部屋は温かいよ?ベースはストーブ集めればいいんじゃない?熱いと問題あるけど、寒くても機械は止まったりしないでしょう?」
「・・・・・特には」
「じゃぁ、大丈夫だよね?」
麻衣は嬉しそうに頷くと、口論に発展しかねない様子の草子と朋樹にこれで大丈夫だと伝え、それでも引き下がろうとしない朋樹を宥めつつ、代わりにできたらお茶が飲みたいからポットを借りれないかと草子に持ちかけた。
朋樹の文句にたじろいでいた草子は麻衣の申し出にこれ幸いと素早く頷き、運ぶのでついて行ってもいいかと言う麻衣を、苦労が減ると素直に歓迎し、そそくさと部屋を出て行った。
「んじゃ、ちょっとおばあちゃん手伝ってくるから!」
麻衣はそう言うと機嫌よく手を振り、その後を付いて行った。そのある意味鮮やかなほど自然に相手の懐に潜り込んでいく麻衣に、残された滝川らは僅かに微笑んだのだが、一方の朋樹は具合悪そうに顔を顰めた。
「すみません、色々気が利かなくて・・・・」
まるで肉親の無礼を恥じるような朋樹に、安原は微笑ましいものでも見るような目で笑いながら、それでいて核心を突く質問を投げかけた。
「先ほどのおば様方は僕達の調べもの、あんまり快くは思っていらっしゃらないんじゃないですか?」
オブラートに包んだ表現ではあるけれど耳に痛い指摘に、朋樹は一拍黙り込んだ。それから冗談とも本気とも受け取れる曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
「そう・・・・・だなぁ、正直言えばちょっと面白くないだろうな」
存外に素直に肯定する朋樹に、自然、視線は集まった。それを十分に意識した上で、朋樹は慣れた社会人の図太さで微笑みを浮かべたままさらりと手の内を明かした。
「最初に島の歴史だけではなく、幽霊騒ぎを記録しておきたいって言われた時はぎょっとしました。そんな嫌なところまでわざわざ残しておく必要はないだろうって思ったのです。島のことは島のもん・・・・と言っても、今島で暮らしている人間は、さっきの弟と大叔母夫婦、それに姫神さんの4人しかいないんですが・・・・それでも島のことは島の中で収めておきたいって気持ちは私にもある。多分、おじおばみたいな年寄りは私よりそれが強いんだと思います」
「4人?この島に4人だけ?」
驚いたように広い部屋を見渡す滝川に、朋樹は顎を上げて大きく息を吐いた。
「そう、今ではこの島には4人しか住人はいません」
「それじゃぁ、あの夫婦に弟さんと、後はその巫女さんだけってことかい?」
「ええ、もちろん島の外には私のように縁者がまだたくさんいますけどね。きっとそういう人間にしたところで、気持ちは大体似たりよったりだと思います」
「それなら、なぜ内郷氏に依頼を?」
突然発せられたやけに耳に残る声の問いかけに、朋樹は幾度か目をしばたき、それからようやくその声が部屋の隅に人形のように立っていた漆黒の美人から発せられたものと認識した。そしてその彼が責任者であることに思い至り、幾分かの気まずさを感じつつ自嘲した。
「今回の件を言い出したのは姫神さんなんです。島の人間にとって姫神さんの意思は絶対です。本気で逆らうことはできない」
「つまり、巫女の個人的意思ということですか?」
「・・・・反面、というか、形的にはそうなるかもしれません」
朋樹はそう言うと、ナルの方に真っ直ぐ顔を向けた。
「隠したってバレるでしょうから言っておきます。どうしたって島のことを外に漏らすのは、ここの人間の感覚では嫌なんです。が、そのまま島の歴史みたいなものが誰にも伝えることなくなくなっていくのはそれ以上に・・・・忍びない。多分皆が同じことを考えている。だから結局私もおば夫婦も姫神さんの希望に賛同した」
そうして、いやに静まり返った部屋の空気を変えるように、朋樹はぱんと、軽く膝を叩き、ふっきれたような笑みを浮かべた。そして船では中途半端な愚痴を言ってしまったと安原に詫び、部屋の隅から感情の窺えない無表情でこちらを窺っていたナルに向き直った。
「そういうわけで、もしかしたらおじやおばが失礼な態度を取るかもしれませんが、調査には協力させますからよろしくお願いします」
「・・・・十分です」
ナルが言葉少なにそう言うと、他の面々はほっとしたようにため息を付き、未だナルの無表情に慣れず、戸惑いを隠せない朋樹に一気に砕けた気安い口調で話しかけた。
「少しくらいの冷遇は、こんな仕事してると結構日常茶飯事なんでそんなかしこまらないで下さいよ。こう見えてここのメンバーはみんな面の皮厚いですからヘイキヘイキ」
軽口を叩く滝川に、口火を切った安原はしたり顔で頷いた。
「ですよねぇ。調査依頼はしたものの、関係者全員から無視!とかありましたし、幽霊ってもの全否定してて、調査のことごとくを疑ってかかってくる方もいらっしゃいましたしね」
その指摘にとある人物を思い浮かべ、いる!一人いる!と滝川は大笑いしながら朋樹の顔を覗き込んだ。
「とりあえず、俺らも無駄働きは切ないですけど、ホントに必要にされているって分かればいいです。それに準備された部屋が広いってだけでもありがたいんすよ?昔高校の調査で、六畳一間に男5人で寝泊りって悪夢のような環境で我慢させられたこともあったんですから」
不遇自慢をし始めた滝川に安原はおや、と首を傾げた。
「あれ?それって僕の学校のことですか?」
「ん?ああ、そういやそうか。お前が飛び入りしてこなかったらまだマシだったのによ」
「あの時はちゃんと僕は寝袋持参したじゃないですかぁ」
「それでちゃっかり布団で寝てたよな、少年」
「今から思えばとっても奥ゆかしいですよね?あの時はまだノリオとも親しくなくて、同じ布団で寝るにはちょっと躊躇いが・・・」
「きもいことを言うなぁ!」
自身の肩を抱いて鳥肌を立てる滝川の横で、朋樹がようやく笑みを取り戻すのを発見し、ジョンは穏やかに微笑みながら呟いた。
「それにしても、坂上さんは巫女さんの大叔母さんだというのに、村主さん、ほんまのお孫さんみたいでしたなぁ。仲よろしいんですねぇ」
その指摘に朋樹はああ、と、照れくさそうに笑った。
「こんな小さい島ですからね、元を辿ればどこの家も親戚みたいなものですし、特に姫神さんの家と私の家は昔から縁が深くて、草子叔母などから見れば、私は本当の子どもたちと大差ないんです」
「そうなんですか?」
「はい。基本的にみんな家族みたいに親しく付き合っていました。あぁ、でも、島の中でも姫神さんのお屋敷だけは別格で、おいそれとは入れないような場所だったんです。ここに自由に行き来していいのは、姫神さんの家族と、家の人間だけだったから特に親しいんです」
「村主さんのご実家って代々村長のようなものをしているんですよね?その関係で?」
「そのようなものです。私の父の代までは、島をまとめて、大切な姫神さんを守るってのが家の一番の仕事でしたから。それもあって、私や大樹などは小さい頃から、この姫神の家を自分の家のようにして、姫神さんと3人で遊んでいました」
朋樹は懐かしそうに眼を細めて語っていたのだが、遠くから響くエンジン音を聞きとめ、会話を中断して顔を上げた。その反応に対面にいたジョンと安原も同時に顔を上げ、朋樹の視線の先、玄関の方を振り仰いだ。
「車?」
「大樹だと思います。荷物を積んできたんでしょう」
「もう、ですか?」
あの機材の山をどうやって?っと顔に書いて驚くジョンに朋樹はしたり顔で頷いた。
「見た目通りあいつ力強いですし、要領がいいんですよ」
朋樹はそう言うが早いか廊下に続く襖に手をかけた、その瞬間。
バチバチバチバチバチバチバチ・・・ッッ
派手な音とともに白い火花が散って、襖から朋樹の手が弾かれた。
それが導火線になったように、音は天井に駆け上るようにカツンカツンっと硬質な何かがぶつかる家鳴りのような音が響き、最後にピシーンと鋭い音が天井の最奥から響いて、消えた。
目を丸くする朋樹の弾かれた手を支えつつ、咄嗟にジョンは朋樹の手を弾いた襖に聖水を振った。その水分が襖に滲むのを確認してから滝川が慎重に襖に指を伸ばすと、今度はそれが弾かれることはなく、なんなく襖に触れることができた。そこで滝川が襖の縁に手をかけ、部屋に入った時と同様にそれを横に引くと、襖はすん、と、抵抗らしい抵抗もなく開いた。
「は・・・・・・やっ、静・・・電気?」
呆然と自身の掌を見詰める朋樹に、ジョンはやんわりと笑いながらその手を確認した。
「怪我がなくてよろしおした。静電気いうても酷くなると火傷しますさかい」
「あ・・・あぁ、そう・・・・です、よね」
本来、電気など帯電することがあるはずもない襖から静電気が走った異常さにまで気が回らなかった朋樹を横に、滝川は頭をめぐらし部屋の隅にいるであろうナルの方を窺った。その含みのある視線を受け、ナルは動揺の見えない顔を上げて小さく首を傾げた。
「なんにせよ、機材搬入だ。リン、部屋の準備を」
そしてそう言うと、口をへの字に曲げる滝川を嫌そうに睨み、手で払った。
「早く行け」
しかしそう言った美しい顔に、ほんのりと浮かんだ喜色を見逃す面子ではない。
具合悪いから寝る。と、すかさずリタイア宣言をして隣室から出てこない綾子を置いて、同時に同じ感想を胸に抱えたのであろう、滝川と安原、ジョンは互いに示し合わせて廊下に出た。
一段冷たい冷気にが体の芯を突き抜ける。
その冷たさに身を震わせながら、3人は顔を見合わせ囁いた。
「あたりですかね?」
「どうですやろう」
「何にせよ仕事はやりやすくなったな。御大の機嫌は悪くない」
そして声に出さずに苦笑した。
あの、嬉しそうな顔。
己が生業が災いしていることは百も承知で。
「何であんなカルトなオカルトマニアがボスかねぇ」
滝川は様々な関係者を代表して呟き、やれやれ、と肩を竦めた。