屋敷の中に3箇所あるという浴室のうち、使って欲しいと案内された浴室は、手前に大人5人が座れる洗い場があり、その奥には源泉をを引き込んだという露天風呂があった。
「すっげぇぇ!」
「うわぁ、贅沢ですねぇ」
その眺めに滝川と安原は年甲斐もなく歓声を上げ、汗を流すのもそこそこに、ちらちらと雪が舞い落ちる露天風呂に直行した。
#006 裸の付き合い
月子が一通りの話を終えてから直ぐ、ナル、リン、滝川とジョンは朋樹や大樹と翌日からの予定を組み立て、麻衣と綾子は月子と話込み、安原は人見知りする草子の昔語りに付き合った。
比較的まともそうに見える安原の外見に安心したのか、月子の話から一転、島の歴史を語りだした草子の話は留まるところを知らず、脈絡もなく続いていくその話が一応キリのいいところまできた頃には、時刻は既に11時を過ぎていた。
温和な笑みを浮かべ草子を見送ったものの、安原の疲労はおして知るべく、気の毒に思った滝川はそのまま仮眠を取ろうとしていた安原を温泉仕立ての風呂に誘った。
「う〜〜〜、極楽極楽」
ざぶんと、勢い良く飛び込んだ湯船の中で両手両足を広げ、滝川は大きく伸びをした。
「もったいないねぇ、温泉は一人で入ったってつまんねぇのに、ジョンもナルもリンも別に入るなんて」
「仕方ありませんよ。皆さん日本のような公衆浴場の文化に慣れていらっしゃらないんでしょうから」
「郷に言っては郷に従えって知らんのかねぇ。世間が狭いよ」
直前にナルやリンばかりでなくジョンにすら温泉の誘いを断られたのがよほどショックだったらしく、ぶちぶちと愚痴をこぼす滝川の様子を笑いながら、安原もまた湯の中に体を伸ばした。
「でも、やっぱり温泉は疲れが取れていいですね」
「だよなぁ。明日からは本格的な肉体労働だろう?ここで癒しておかないとな」
滝川の独白に安原はつつっと近付き尋ねた。
「僕まだ詳しく聞いてないんですけど、明日は養生園と神社に行くんですか?」
「そうみたいだな。車が一台しかないのから不自由っちゃぁ不自由なんだけどよ。まず午前中は皆で島の西側にあるっていう養生園に行って設置、その後北の社と山の社に分かれてそれぞれカメラ設置だとさ。北側の方が遠いらしいから、そこまでは村主のお兄ちゃんの方が綾子とジョン乗せて車で向かって、山超えしつつ屋敷に向かうと、途中に社があるから、そっちは弟の方と麻衣とナルと俺と少年でやるんだと。リンはベースで待機ね」
「山登りですかぁ」
ふむ、と、息つく安原を見て、滝川は意地悪く笑った。
「山の社は結構しんどいみたいよ?しかもカメラとマイク担いでだ。あの巫女さんとか弟の大樹さんは慣れているから一度に三箇所くらい行けるらしいんだけど、俺らはまずムリだろうから、時間次第で夕方前にはここに戻ってこれるように帰るとさ」
安原はふんふんと頷きながら、思いついたように声を上げた。
「あの巫女をされている月子さん、谷山さんが騒ぐだけあって本当に美人でしたね」
「あ、ああ」
「おきれいでしたよねぇ」
「ああいうタイプの美人もたまに見ると新鮮でいいな」
「20年前が数えで18ってことは・・・・今年で満36か37歳ってところですかね?」
「そうだろうな。肌なんかつるっつるで、とてもそうは見えなかったけどよ」
滝川が嬉しそうににやける様子を見つめ、安原は頷きながら目を細めた。
「本当にそうですねぇ。あやかりたいなぁ」
「・・・・・・・・なんで憧れるじゃなくて、あやかりたいんだよ」
「だってノリオのタイプなんでしょう?」
笑顔で落とされる爆弾に滝川は距離を置こうとしたが、逃がすまいと安原はじりじりとその距離を縮めつつ、温泉の湯をすくって頬に当てた。
「ここの温泉がいいって仰ってましたけど、お湯酸性なんですねぇ。確かに肌がつるつるになる」
「・・・あ、本当だ」
「谷山さんが大はしゃぎするだけありますね。松崎さんも入れればよかったんですけど」
安原がパシャパシャと顔に湯を当てながら呟くと、滝川は肩を竦めて首を振った。
「ありゃダメだろう、ベースにいたのも何とかかんとかって感じで、まぁだ顔色悪かったし」
「船酔いも酷くなると厄介ですね」
「酒には何としても酔わんくせに、船には酔うんだから器用だよなぁ」
「うわ、ノリオ酷い。女性には優しくないとモテませんよ」
「綾子にモテなくてもいいよ。あのうわばみ。俺からいくら搾り取ったと思ってるんだ」
咎めながらもくすくすと笑いながら安原は肩まで湯船につかり、そこでようやく辺りの様子を窺った。
建物同様に古めかしいことと、旅館のように気の効いた照明設備がない為に隅の方が夜の闇に紛れていることなど難点はあったけれど、設えられた露天風呂は個人宅にしては信じられないほどの広さが確保されていた。
それだけでも十分贅沢なのだが、それに加えてこの風呂場は古いとは言っても、まめに手が加えられているらしく、その場でゆっくりするのに何の不都合も感じられなかった。
脱衣所のスノコはよく乾かされ、洗い場のタイルもよく磨きこまれていて水苔ですべるということがない。露天風呂を取り囲む建仁寺垣は今にも折れそうに古びてはいたけれど、きちんと人の手が加えられているとわかるように整然としていた。
「本当にお金持ちだったんでしょうねぇ。このお風呂も本当に贅沢な造りですね」
感心し切りの安原の声に滝川もまたくつろいだまま頷いた。
「実際金かかってるよ、ここ。庭だってなんてことない石が積みあがっているみたいだけど、ありゃ枯山水だろう。生えてる松とかも樹齢が高そうだもんなぁ。今じゃ作ろうと思っても作れないぜ」
「そうでしょうねぇ。しかも4人しかいないのに、こんなに綺麗にしてらっしゃるなんて凄過ぎますよ」
「あ?」
「だってこのお風呂だって硫黄ですよ?少し手を抜けば直ぐに錆びるし苔むしますよ。これだけ広くて、しかもこのお宅だけでも風呂場は3箇所もあるんでしょう?維持していくのは並大抵のことじゃありませんよ」
安原の指摘に滝川は目を開け、まじまじと周囲を窺った。
「言われて見ればそうだよなぁ。暗いのと古いのとで見逃してたけど、これだけ年期ものがこの状態で残っていることのが凄ぇよな」
頷く滝川の素直な感想に安原は笑いながら空を見上げた。
「本当にすごいですね。でも、確かに暗いから、今日は雪明りでいくらかいいんでしょうけど、ここに一人で入るってのはちょっとぞっとしませんね」
「ん〜そうかなぁ。まぁ、ちょっと暗過ぎるか」
「谷山さんも一人じゃ怖かったんじゃないですかね」
「どうだろうねぇ、ウチの嬢ちゃんのことだからなぁ」
はしゃいで気がつかなかったんじゃねぇの?と意地悪く微笑む滝川に、安原は心底心配しているというった顔で唸った。
「今日はそれですんでも、次もそうとはいきませんよ。松崎さんが早く復活して、一緒に入れるようになればいいんでしょうけど・・・・・・・・」
それからぱっと思いついたように手を叩いた。
「あぁ、その場合は所長が一緒に入って下さるんでしたね!」
いらぬ心配でした。と、笑う安原の横で、滝川は足を滑らせ頭から湯船に落ちた。
ぬめる湯底に足をとられつつ、もがき、岩にしがみついて這い出した滝川は、激しくむせながらぎとりと安原を睨んだ。
「大丈夫ですか、滝川さん?」
「おま・・・お前がっ突拍子もないこと言うからだろう!」
「え〜〜、だってご本人がさっきそう言ってたじゃないですか」
「あれはその場の冗談だろう?!」
がなり立てる滝川に、安原はふむと、わざとらしく頷いた。
「まぁ今は調査中ですからねぇ」
そうして飄々と笑いながら安原は滝川を見つめ、ほぅとため息を漏らした。
「いいじゃないですか。もう2月ですよ?」
「何がじゃい!」
ぱしゃり、と弾かれた水面に安原は笑みを深めて滝川を見上げた。
「だから、どれだけ短く見積もっても所長と谷山さんがお付き合いを始められてから、もう半年経過しているってことですよ」
「・・・・」
「お父さん鈍いから中々気がつかれませんでしたけど、それでも秋口にははっきりされたでしょう?実際には夏くらいにはお付き合い始められていらっしゃったみたいですから、短くとも半年のお付き合いってことになるんですよ」
「・・・・」
「目撃談を総括すると、相変わらず喧嘩三昧のようですがほぼ順調な交際が続いていらっしゃるようですよね。いや本当に良かった。相手が所長だと普通の恋愛って想像もできませんが、そこは愛のなせる技なんでしょうねぇ」
「・・・・・」
「滝川さんだって深夜に谷山さんの携帯に電話をかけたら、所長が出られたってこともあったそうじゃないですか。お付き合いの度合いを測るには十分ですよね」
「!何でお前がそれ知ってんだ?!」
突如顔色を変えた滝川に、安原は本当に覚えていないんですか?と、僅かに顔を曇らせた。
「やだなぁ、新年会の席で自分でおっしゃってじゃないですか」
あの時ひねられた左手、痣になって中々消えなかったんですよ?と、安原は笑いながら左手を差し出し、閉口する滝川の顔を見上げた。
「無愛想な方ですが、所長だって20歳の若い男性で、しかも独り暮らし。谷山さんも時間が自由になる独り暮らし。そんな男女が付き合って半年ともなれば・・・・」
「がぁぁぁあああ!やめろ!それ以上聞きたくない!!」
半泣き状態で首に手をかけようとする滝川をひらりと避けながら、安原は湯船の縁の岩づたいに奥に逃げ出し叫んだ。
「何がそんなに不満なんですか!お嬢さんが幸せでいいことじゃないですかぁ?」
「お前は不穏なこと言おうとしてるだろう?!それとコレとは話が別じゃい!!」
「やだなぁ。自然の摂理じゃないですか、健康な男女が一緒にいるんですから、当然一緒にお風呂に入る付き合いくらい・・・」
「やめれぇぇぇ!!」
慌てふためく滝川との追いかけっこを楽しみつつ、安原は湯船の端に逃げ込んだ。そしてふいに物陰から聞こえる物音を聞きとめ動きを止めた。
「待ちやが・・」
「しっ!」
そして後を覆いかぶさらんばかりに突進してきた滝川の口に左手を当て押し留め、安原は口元に右の人差し指を当てながら直ぐ横の垣根を顎でしゃくった。「どなたかいらっしゃったみたいですよ?」
促され、滝川もまた斜めに傾いだ不自然な体制のままではあったが耳をすませた。さすれば確かに垣根越しに砂利を踏む足音が滝川の耳にも聞こえた。
じゃり、じゃり、じゃり、じゃり、と均一に響く足音は右から左に抜け、安原と滝川がいる地点より少し先でふいに止んだ。その様子に安原は声を潜めて囁いた。
「大声出して起こしてしまったのかもしれませんね」
「あ〜〜」
バツが悪そうに滝川は顔を潜め、水音一つ立てまいと動くのをやめた。
しかしそれでこちらに声がかかってくるわけでもなく、立ち止まった人間が動く気配もしなかった。
立場の弱さと気まずさから、滝川と安原は息を潜めて次の動きを待った。けれどいくら待っても次の動きはなく、いい加減痺れを切らして滝川が動こうとすると、足音はその場所ではなく、今度は複数、先に行った足音を追うように再度右奥からこちらに向かって聞こえてきた。じゃり、じゃり、じゃり、じゃり。
じゃり、じゃり、じゃり、じゃり。何とはなしに息を潜めて耳をすましているとその足音もまた、先ほど足音が止んだ地点付近で唐突に止まった。
そしてその足音がやんでしまうと、そこは再び耳に痛いほどの沈黙が落ちる。
同じようにしばらく息をつめてその様子を窺うものの、やはり話し声がするわけではなく、そこから先に進む足音というものもしない。そうしてそちらに意識を奪われている内に、右奥からは更に数の増えた足音がこちらに向かってくる音がした。
じゃり、じゃり、じゃり、じゃり。
じゃり、じゃり、じゃり、じゃり。
じゃり、じゃり、じゃり、じゃり。
じゃり、じゃり、じゃり、じゃり。
その足音は急ぐでもなく、乱れるでもなく、先と全く同じ歩調で砂利を踏みしめていき、やはり同じ地点で唐突に止んだ。
一緒に調査にやってきたメンバーは全員ベースに戻っている。
何事かがおきて駆けつけたにしても、土地勘のないメンバーがこんな暗闇を明かり一つつけずに自由に動きまわれるはずがない。仮に土地勘のあるこの島の人間にしたところで、一寸先も見えないような野外の闇の中を一定の速度で規則正しく歩け保障はどこにもない。しかもその人間にしたところで、朋樹をいれて総勢5人。その全員がここに駆けつけたにしても、先に聞こえた足音を足せば、既に右から左に歩いて行った足音は6人分以上あるのだ。そもそも人数的に多いことになる。
――― 不自然だ。
滝川はそう思いつつ、タイミング悪くもタオル一枚の裸体であることに内心で舌打ちした。
風呂場なのだから仕方のないことだし、小さな霊を散らすぐらいは独鈷杵がなくともできるが、ここには今一人無防備な一般人がいるのだ。常人以上に肝は座っているだろうが、かといって自衛できるわけではない。何とかして自分が盾になり逃がしてやる必要がある。
しかし、いかんせんこの寒空の下だ。
深追いは身体的に死活問題になるだろうし、こんな格好でいつぞやのように攫われるのも正直勘弁願いたい。優秀な仲間がいるのだから、運が悪くなければ攫われたとしても助けてはくれるだろうが、その時タオル一枚のすっぽんぽんではあまりに様にならない。
滝川はそれなりに真剣に煩悶した後、諦めたようにため息をついた。
何を考えても結論は一緒だ。現状は自分がどうにかしなくては動かない。
そうして滝川は動くものの気配がないことを確認すると、一息に湯船を出て勢い良く割竹の隙間に手をかけその奥を覗いた。
垣根の奥。
そこにはある程度予想はしていたけれど人影一つなく、真の闇に包まれていた。
そして幸いなことに、それ以上の異変は何一つ起きなかった。
ほっと肩で息をつく滝川の後ろから外を窺った安原は同じように大きくため息をつき、いつもの飄々とした口調で感想を述べた。
「一人で入浴するのは、やっぱりぞっとしませんね」
その軽い口調に滝川は苦笑しつつ首を横に振った。
「二人以上だって同じことだろうが」
後で護符でも貼っとくさ。と滝川は言うと、緊張と外気ですっかり冷えた体を温泉で温めなおし、早々にベースに引き返した。
翌朝、滝川が護符を貼るべく再度その露天風呂に向かうと、昨夜覗き込んだ垣根の奥は数メートル先に切り立った崖のあるどんづまりで、夜に降った雪がその表面を隠してはいたけれど、そこまでは赤茶色の土が地表を覆い、砂利は一粒も敷かれていはなかった。
滝川が呆然とその崖を覗き込んでいると、雪かきの道具をかかえた大樹が通りかかり、気遣わしげに愛想のない声をかけた。
「あんま近付くなや、危ない」
「ん。あ、ああ」
その声に滝川は慌てて身を引きつつ、声をかけてきた大樹に尋ねた。
「そうだ、ここって元々こういう崖なんですかね?」
滝川の問いに大樹はなぜそんなことを聞くのかと眉をひそめつつ、ぶっきらぼうに答えた。
「津波の時に崖崩れがおきてそうなった。その前はその倍くらいの庭やった」
「その庭、砂利とか敷かれてませんでした?」
「砂利? さぁ・・・敷かれていたかもしれんが、そこまで覚えてない」
曖昧な大樹の返事に頷きながら、滝川はここに札を貼ってもいいかと尋ね、好きにすればいいと言う大樹の前で携帯用の硯を取り出し、ペットボトルのミネラルウォーターと墨を注いですり始めた。そしてあっという間に小さな札を3枚書き上げると、それを足音が止まった場所と足音が始まった場所、浴室へ続く柱に貼った。それを興味深そうに眺めながら、大樹は滝川に声をかけた。
「何かおかしなもんでも見えたのか?」
「音が聞こえただけですよ。でも、結構はっきりしていたからね。念のため」
滝川は軽く笑って応えた。
「とりあえず、これでこの中には入ってこれない。それだけでも随分いいでしょう」
しかして、大樹はそれに大した感慨も持たず、頷き一つ返すことなく滝川を見据えて尋ね返した。
「そんなん役に立つのか?」
「さぁ?気休めかもしれませんけどね。経験的には役立ってますよ」
「そうか。そやけど、そんなちまちましたことじゃ直ぐにおいつかんようになる」
「へ?」
「聞こえたんは右から左に歩く足音やろう?」
「!」
「そんなんやったら腐るほど出る。じき、見飽きるやろ」
大樹は無感動にそう言い放つと、雪かきの道具を担ぎ直し、大股で風呂場を後にした。