大きさは学校の校庭ほどの広さであろうか。
風と太陽と雪や雨を防ぐように、その周囲は鬱蒼とするまでの背の高い常緑樹で囲まれていた。
その中にはぽつぽつと平屋建ての建物や、その跡地とみられる支柱や壁が僅かに残っているばかりで、養生園と呼ばれる病院跡地は寂しいまでに閑散としていた。
「あんまり病院っぽくないんですね」
「病院跡と言っても、診療目的の建物はそこの小さな小屋くらいで、後は薬草の貯蔵庫とか加工場だったからね。それにそもそも古い島の施設だから、今風の病院とはイメージが違うだろうね」
「でも、こういうの映画とかで観たことありますよ」
「へぇ」
「なんていうんでしたっけ? 高地とか、空気のいい所で治療するので、古い映画に出てくる。サダ・・・サオ・・・違うなぁ。えっとぉ、そうだ!カルシウムみたいな名前の所!!」
「サナトリウム?」
「そうそれ!」
麻衣の拙い口調とぱっと花咲くように開いた笑顔に、朋樹は朗らかに笑い返した。
#007 養生園
屋敷のある船着場周囲から、深山を挟んで西側にある養生園までは徒歩で山を越えるか、車で南側の細い外路を遠回りして向かうしか方法がなかった。
車と言ってもスピードが出せる道ではなく、しかも昨夜の雪で道が滑りやすくなっており、往復すれば30分強ほどの時間がかかった。しかも島には古い軽トラックが一台あるばかりだ。けれど雪の残る山道を歩くのはできる限り控えた方がいいと、大樹はその道を何度も往復し、機材と人員をたった一人でピストン輸送した。
「平面図が残ってますが、随分現状とは異なりますね」
ナルの指摘に朋樹は当然だろうと顔に描いて頷いた。
「そうですねぇ。その図面もいつ描いたかも分からないし・・・・ダイ、後ろの倉庫はどうしたんだ?」
「ほかした」
「ほかした?いつ?」
「去年の冬。雪で屋根が潰れた」
「じゃっこの倉庫も同じ作りだったろう。あれはまだ残ってるのに?」
「じゃっこの中はまだ使っているんや。だから雪下ろししてる」
会話の内容に、ナルは今度は大樹に重ねて尋ねた。
「まだここで使用されている場所があるんでしょうか?」
「あるよ」
「中に入ったり、ものを移動してもよろしいですか?」
「ええよ。よくわからんもんが出てきたら、そのままにしといてくれや」
「特に人影などの目撃が多い場所は、この中央の倉庫と診療所後ということに変更はありますか?」
「そのままや。話し声やら気配だけなら、どこということなく出てくるな」
ぶっきらぼうな大樹の説明に頷くと、ナルは周囲に集まるメンバーに声をかけた。
「ひとまず、正確な平面図が欲しい。麻衣と松崎さんはこちらから時計回りに建物の測量を、方角と角度もあわせてチェックしてくれ。村主さん、ご足労ですが、この2名を先導してください」
「わかりました」
「はぁい」
「えぇ〜私もぉ?」
「体調治ったんでしょう?当然じゃん」
「本調子じゃないのよ」
ぶちぶちと文句を並べる綾子を無視して、ナルは淡々と手順を説明した。
「異常があれば報告を。極力祓わず記録を取ることが優先だ。ここには定点カメラを4台広域に設置。それから集音マイクを別に中央倉庫と診療所周辺に設置する。サーモはとりあえず診療所内にのみ設置しておこう。中央の倉庫に中継地点を設営して、ベースにデータを飛ばす。中継の設営は僕と安原さんとで、他の人間は機器の設置にあたってくれ」
そしてとんと、古い平面図を指で叩き、それを作業開始の合図とした。
「あ〜〜、寒っみぃ!寒っみぃ!寒っみぃ!寒っみぃ!寒っみぃ!」
滝川は真っ赤なマフラーを鼻まで引っ張り上げて、でたらめな歌を歌うように調子をとって口ずさみながら最初に最も重量のある機材を肩に担いだ。
するとすかさずその横から大樹がぬっと手を出し、同じような造りのカメラに手をかけた。
広域を撮影する機材一式は存外にして重い。
滝川は腰を痛めると、慌てて大樹を制止しようとしたが、その心配を他所に、大樹は手をかけたカメラを軽々と肩に担ぎ上げた。
「線繋がってる。一緒に持って行った方がいいんやろう?」
「そうだけど・・・・」
言葉をなくす滝川には目もくれず、大樹はそこでさらにカメラとそれにつながれたケーブルの束をかき集め、どこへ行くのだ、と顔に書いて滝川を見下ろした。
滝川とて平均から見れば十分な上背があり、腕力も相当のものだと自負していたのだが、大樹はそれより頭一つ大きく、腕力は倍ほどもあるようだった。滝川は小さく口笛を吹き、感嘆の声を上げた。
「すっげぇ力ありますねぇ」
滝川の賞賛にも大樹は表情を崩すことなく沈黙を守った。
居心地の悪い愛想の無さに、滝川とその場にいたジョンは面食らったが、経験上無表情の相手には嫌と言うほど耐性があったので程なく慣れ、大樹の加勢を受けながら午前中いっぱいをかけて機材の設置を行った。
大樹はその外見から見て取れるように腕力も人一倍あったが、それだけではなく、手先が器用な上に物覚えが早く、すぐに仕事の要領を掴むとこれが初めてとは信じられないような手際のよさで機材の設置をしていった。実にその手際の良さと、これまたすぐに計測の要領を覚えて手伝い始めた朋樹の尽力もあり、午前中に予定していた作業は思いの他早く仕上がった。
そして作業が終わればすぐ、朋樹と大樹は疲れた様子もみせず早々に弁当を担ぎ、昼食にしようと、まだ辛うじて使用できる小屋に一行を案内した。
小屋の中は随分埃っぽく、湿気た独特の臭気に満たされていたけれど、とりあえず雪と冷気を防げるということで、大樹がどこからかかき集めてきた古く、歪んだ椅子を並べ、一行は早い昼食をとることになった。
「何かの臭いがしますね」
慣れない臭気にナルが周囲を窺うと、朋樹が応じた。
「ああ、多分薬草じゃないかな。昔、ここは発酵系の薬草の保管庫だったんです。でも使わなくなって数十年するから随分臭いはなくなっている方なんですよ」
「どのような薬物を扱っていたかご存知ですか?」
「漢方薬の元ですね。ここで使う薬のことだったらおじの方が詳しいので、後から使っていたものの一覧を書かせましょうか?」
「お願いします」
「分かりました。明日までには準備できると思います」
朋樹は気負いなく請け負いながら手早く手弁当を広げ、中からポットにつめた味噌汁をカップに注ぎ腰を落ち着けた面々に配って歩いた。
「はい、温かい味噌汁です。飲むと温まりますよ」
「わぁ!ありがとうございます」
麻衣は満面の笑みでカップを受け取りながら、あっという間に揃えられた昼食を見比べ苦笑した。
「本当に何から何まで至れりつくせりって感じ」
「は?」
「いえ、機材設置のお手伝いから食事の準備までして頂いて申し訳ないなぁっと、本当にありがとうございます」
「ああ、そんなこと」
いいんですよ、と手を振る朋樹に安原とジョンが重ねて礼を言った。
「でも、本当に助かりました。お陰ですっごい作業が早く終わりましたし」
「ほんまですねぇ。ぎょうさん、ありがとうございますです」
「土地勘のある者がいないといけないんですから、それならぼんやりしているより動いた方がいいでしょう。邪魔にならなかっただけ良かったですよ」
「でも、大樹さんなんか、何回も車で往復してもらっちゃって」
「それも気にしなくていいですよ。ダイはタフだから」
口数の少ない大樹の代わりに、朋樹はさも当然といった体で代弁した。
「じっとしてられない性質なんですよ。それに、あれくらいはダイの仕事のうちにも入りません」
「でも、今朝も雪かきに雪おろししてましたよね」
「そうなの?すっごい働きものなんですねぇ」
しきりに感心する麻衣に朋樹は自嘲気味に笑った。
「基本的にね、"樹"の人間は現実的に使い物になる人間が多いんですよ。ダイは正にそのタイプ」
「へぇ」
「基本的にマメで、こんな島の中にいてなんですが、合理的なことをするのが好きな家系みたいですよ。昔っから体が強いのも多くて、いいと思えば直ぐに自分で動いてしまう。そのお陰で単なる道端に生えていた草を薬草にして、外交の糧にして島の力を蓄えた。私なんかはそれはいいことだと思いますが、迷信深くて変化を嫌う人間には嫌われます。けど、島で村主は名家ですからね。まぁある程度の我侭は許されたんでしょう」
「朋樹さんもそのタイプってわけですね」
安原がさりげなくフォローすると、朋樹は苦笑いした。
「まぁね、実行力と決断力に困った経験は少ない。手に負えないのは姫神さんくらいだ」
「正にリーダータイプってわけですか」
「そんな風に育てられたのもあるし、そういうのに向いているように生まれついたんでしょう」
朋樹は悪びれもせずにそうのたまうと、草子が握った大きなおにぎりにかぶりついた。
「まどろっこしいのが嫌いなんですよ。大体のことは考えてみて、いいと思う方を直ぐにやるほうがいい。たいていの問題は迷ってるから起こるもんです」
「豪快な考え方ですねぇ」
「8割はそれで解決できますよ」
「あぁ、でも、姫神さまの言っていることも基本的にそういう考え方ですよね」
「は?」
「いやぁ、神職に就いてらっしゃるけど、その割には随分サバサバした、割り切った考え方をされるなぁって思っていたんですよ」
安原が指摘すると、朋樹と大樹は顔を見合わせ、それからひっそりと微笑んだ。
「まぁ、姫神さんも元を正せば随分"樹"の血が混じってますからね」
「子どもん頃はあいつが一番きかんきで、言うこときかんかった」
「まぁな、今でもこうと言い出したら誰の言うことも聞かない」
笑いあう兄弟に、安原は頷いた。
「そういえば・・・・昨夜のお話ですと、お父様やおじい様が"樹"の人間になるんですもんね」
「そうですよ。どちらも本家筋ではありませんでしたけど。特に父親の方は私達3人もよく遊んでもらって・・・子ども心にも豪快でかっこいい大人で、私達にとっては影響力は絶大でしたね」
「へぇ、お会いしてみたいですね。今、お父上はどちらに?」
「残念ながら、姫神さんが中学の時交通事故で亡くなりました」
「交通事故?」
どこで、と書いてある安原の顔を見て、朋樹は曖昧に頷いた。
「婿さんだったんですがね。商才があって、本土に出稼ぎにばかりいっていてほとんど島にはいなかったんです。その最中に事故に遭いまして・・・姫神さんはその間は島から出られませんから、ウチの両親と私達と姫神さんが病院に駆けつけたんですが、その時には既に亡くなってました」
「それはまた災難でしたね」
「口さがない連中は、姫神さんを置いて外に出るからやって、阿呆のようなこと言ってましたけどね。あの時は島中が暗かったですねぇ。先代の姫神さんの時は、姫神さんよりもむしろ、この婿の方が人気がありましたから」
朋樹はそう言うとちらりとナルの方を眺め、口元を緩めた。
「信仰に外見は関係ないと、建前では分かっていても、どうせ信じるなら美しいもの、説得力のあるものを人は信じたがる」
ナルは預けられた視線に肯定の意味で頷いてみせた。
「まぁそうでしょうね」
「先代の姫神さんはお世辞にもそういったカリスマ性とはかけ離れたタイプの方でした。
引っ込みじあんで、プレッシャーに弱くて、よく神事をしくじってましたね。そのくせ気心の知れた人間の前では感情的で攻撃的になる人でした。一方で、婿になったおじさんの方は一言で言えば頼りがいのある男らしいタイプで、外見は今の姫神さんによく似た美丈夫でした。島の民意がどちらに傾くかといえば、そんなもん大人でなくてもわかります」
「・・・・」
「姫神さんは性格も外見も父親そっくりに成長してきました。そのせいもあって大変な人気でした」
「決まった婿は村主本家の跡取り息子やったしな」
大樹がぼそりと呟くと、朋樹は複雑そうに顔をしかめた。
それを見咎め、滝川が横から口を挟んだ。
「許婚ってヤツですよねぇ。いっちゃぁなんですけど、随分古風な話ですねぇ。そういうのは子どもの頃から決まっているもんなんでしょ?」
「そうなりますね」
「そういうの、抵抗なかったんすか?」
滝川の質問に、朋樹は困ったように口元をゆがめて微笑んだ。
「兄弟みたいなものです」
「兄弟?」
「単純な話ですけどね。生まれた時から姫神さんは姫神さんで、私は姫神さんの婿になるってずっと言われ続けてましたから、正直そのことに疑問を持ったことはなかったですね。ダイが私の弟であるように、姫神さんは私の妻になるんだって、ずっと信じ込んでましたから。
皆さんだって自分の兄弟が何で自分の兄弟なんだろうなんて疑問には思わないでしょう?
あれと同じような感覚です。そして多分、実際にこうして問題が起きるまでは姫神さんも同じような感覚だったと思いますよ。ちょっとセリフがおかしいですけど、いつも言ってましたから」
「なんて?」
「 『 大きゅぅなったらトモ兄さんは俺の婿になって、大樹は俺の弟になるんやろう? 』 って」
「・・・・・」
「・・・・・」
「可愛らしいですねぇ」
お嫁さんになりたいとは言わなかった月子の、らしいと言えばらしい思い出話に、辛うじて安原が無難な返事を返すと、朋樹は愉快そうに微笑んだ。
「女の子が言うセリフじゃないですけどね。そういうのが普通にまかり通っていたので・・・」
「なんかリアルに生意気な女の子が想像できるな」
「可愛い女王様が似合いそうですね」
「正しくそんな感じでした。で、大人も相手が姫神さんやから、そういった無邪気に偉そうな態度をかえって喜んでしまって、増長させてしまった」
「姫神さんらしい姫神さんがおいでになるって、皆楽しみにしてた」
大樹の呟きに、朋樹はふむ、と口をへの字に曲げた。
「そうや。だから、草子ばばちゃんや、皆が言うとおり、魂代えなんて形ばっかの儀式ができなくても、構わず堂々と姫神さんになるのが一番だったんだ」
「けど、おらんようになったもんは仕方ないやろう」
「そんなんいるかいないかなんて誰も分からないことに拘ってんのは姫神さんとダイくらいなもんや」
「・・・・」
「お前達も子どもやないんやから、姫神さんなんて話半分だっただろう。それがこうなると掌返したみたいに意固地になって。大体、ダイも従者役なら、姫神さんを説得するのが仕事なのに、一緒になって頑張るからこう話がこじれたんだろう。その内津波がおきて、強情だった姫神さんの結婚しないはより一層強くなって説得もできないようになった」
「 罰なんて、本当に馬鹿馬鹿しい 」
朋樹は吐き捨てるようにそう言うと、気まずそうに集まった視線に申し訳ないと、謝罪した。
「すみません。もう10年以上も前に始末のついたことなのに、お恥ずかしい」
その態度にナルは冷ややかな視線を曲げもせず、淡々と尋ねた。
「結局はその後は・・・」
「私も数年は待ったのですが姫神さんはあの通り未だ独身で、姫神さん直系の血を絶えさせます」
「・・・・」
「村主の家まで耐えさせるわけにはいきませんから、私はその後28で今の妻と結婚しました」
「大樹さんは」
「ダイは独身ですよ」
「従者役の方は何か決まりがあるんですか?」
「結婚にですか?特にありませんよ。元は女役の仕事ですしね。実際に先代の従者役は結婚して、3人子どももいます。今は確か****市に家族と住んでいるはずですよ。ダイももう34だ。いい加減後がないんですよね。こんな島じゃ相手もいないし・・・・いい人いらっしゃったら紹介して下さい」
「いらんし」
余計なことを言うなと、顔を顰める大樹に朋樹は邪気なく笑った。
「島にいるのがいいって、こんな所にいつまでも引っ込んでいるのが悪いんだ。今はまだ草ばばちゃん達もおって何とかなっているけどな、いつまでも姫神さんのお守りだけで暮らしていけるわけやない。お前ももう少し考えろや」
いつの間にか話の流れが説教話にすり替わり、大樹は嫌そうに顔を顰め、昼食を早々に食べ終えるとすぐ煙草片手に小屋を出て行った。
「怒らはったんでっしゃろか?」
ジョンが心配そうにその大柄な背中を見送ると、朋樹は首を振った。
「そういうんじゃないですから、気にしないでいいですよ」
「そやけど・・・」
「無愛想なのは元々なんで」
それから朋樹は苦笑めいた笑みを浮かべた。
「あれでも子どもの頃は愛嬌があって、女の子みたいに可愛らしくて、従者役の、本当は女の子が着る赤い着物がよく似合ってて、役にちょうどいいと言われていたんですけどね。中学に上がったくらいから無口になって、暗くなった」
「男の成長期にはよくあることっすよ」
慰めるように滝川が笑うと、朋樹もまた苦笑した。
「ええ・・・そうは分かっているんですけどねぇ。その頃私は大学生でここを出ていましたんで、島に帰るたびに可愛いかったはずの弟がどんどん男臭く、むさくなっていくのは悲しかったですよ」
「自分もそうなってるんですけど、あの過程はちょっと切ないっすもんね」
軽口を叩き合う滝川と朋樹に、麻衣は首を傾げつつ安原とジョンの顔を見上げた。
「何ですか?」
「ううん、何かぼーさんのは想像できるんだけど、安原さんとかジョンとかがそんな風に変わったとは想像できなくて」
安原は首を傾げて尋ね返した。
「所長は気にならないんですか?」
「アレはまどかさんが全く成長していないって太鼓判押してるもん」
麻衣の感想に明らかに周囲の温度を下げたナルを尻目に、ジョンは朗らかに笑って首を傾げた。
「どうですやろう。ボクはおっとりしとった子どもでしたんで、皆さんが言うような反抗期やらそういうのを気がつかんうちに飛ばしてしまったみたいですよって」
あまりにジョンらしいエピソードに自然笑顔が浮かぶ中、一方の安原は簡潔に答えた。
「僕はごく普通でしたよ」
「あら、越後屋にもかわいい子ども時代があったってわけ?」
綾子が意地悪くまぜっかえすと、安原はそうですねぇと頷きつつ、朗らかに微笑み言った。
「小中高と一貫して " 腹黒い " とは言われましたけど」
そして周囲を沈黙の淵に落とした。