暗視カメラ独特の赤黒いライトが闇を抜く。
その中で不意に鈴の音のような高い金属音が響き、それと同時に周囲で最も気温の低い場所をスポットするカメラの向きが変わり、社の出入り口を撮影していたそれはぐるりと90度視界を転じて社内部の柱を移した。
「ここです」
リンはそこでVTRを止め、コンマ10画面を戻した。
「ここでカメラの視点が変わります。その瞬間、外部に通じる扉の左端。ここに人間の手と口が映りこんでいます。形的には拳を振り上げ扉を叩き、何かを叫んでいるようにも見える」
0.1秒でコマ送りされる画面には、確かにそれまで何もなかった場所に突如白い人影が現れた。
しかしカメラはその陰を無視して視界を変えた為、その人影はほんの一瞬画面に映りこんだだけで直ぐに見えなくなった。ナルはそれを確認し頷いた。
「音声は?」
「記録されていません。しかし高周波数のパルスが3度入っています」
「これは北の社だったな」
「はい。深夜1時57分に起きています」
「この時スポットした場所の気温は?」
「マイナス18度です」
その数字にぴくりとナルの眉が動いた。それを見逃さず、リンは淡々と情報を言い添えた。
「その場での外気温を計っていなかったので比較はできませんが、昨夜は同様の野外でマイナス1度だったことを考えれば低かったと言えます。同時に可視光線以外の光が画面左上から中央下に向かって放射されている状態が記録されています。他にこのようなレベルの異変であれば昨夜だけで養生園で6度、山の社で1度記録されています」
僅かに吊り上がるリンの口元を見据え、ナルもまた整い過ぎた顔にほんのりと喜色を浮かべた。
      

       

         

     

            


#013 信 心
    
    

         

    

     

未だ熱の引かない麻衣の看病は気の毒がってしきりに顔を出す草子に任せ、遭難騒ぎの翌日からその翌々日の島でいう大晦日の晩までに、ナル達は次々に機材を設置、移動を繰り替えし、さらにそれぞれの除霊を試みながら大量のデータを収集した
収集されたデータの中に、明らかな害意を感じ取れるものは少なく、現象自体のそれを見ればそこに目新しく派手さはなかった。けれどコンスタントに繰り返され、さらに様々な環境からのアプローチが可能となる今回の状況に、表面上そうとは感じられないのだが、ナルとリンの機嫌は明らかに上向き、それに伴い安原はもちろん、滝川、ジョン、綾子にいたる協力者は文字通りこき使われた。
疲労困憊のメンバーを他所に、ナルは涼しい顔をしながらも嬉々としてリンとデータを検証していた。

 


「最もはっきりと出現する存在は、この養生園の倉庫に出る男性と、鳥宮で顔を出す女性だな。鳥宮の方は日中でもノイズが記録できる」
「ここでカメラを2台設置にしたのが良かったですね、出現ポイントの幅が算出できますよ」
「ノイズと磁場の乱れが多いのが特徴か・・・そうなると島全体の磁場を確認したいな」
「活火山地帯ですからね、欲を言えば地脈のデータとも比較してみたいですね」
「それと正確な震度計か?」
「ええ、けれどまだサンプルの絶対数が少な過ぎます。最低2000は欲しい」
「そうだな、等高線と気温、湿度、それから過去の立地条件を照らし合わせたい」
「これだけ広い範囲で心霊現象が同一で現れるとなれば、随分面白い条件ですね」
「まだ同一条件とは決め付けられないが、出現しやすい条件があるとしたら特定したいな。今のところぼーさん達の除霊の効果も見られないからな、そもそもの原因を掴まないといけないのかもしれない」

 

 

楽しげ、としか表現できない二人の会話の途中で、ナルは畳の上に足を投げ出してぐったりしていた綾子に声をかけた。
「松崎さんは未だに何もわかりませんか?」
嫌味臭いと綾子は顔を顰めて首を横に振った。
「わかんないわよ」
「精霊も使えませんか?」
「会話ができないのにおすがりするなんてできるわけないじゃない」
不機嫌そうに唇を尖らせる綾子にナルは無表情で頷き、すぐに次の話を進めた。
「では、明日には現象が多いとされている山の社で未設置の2箇所には設置を・・・」
「はぁ?!私に山登らせるの?!」
綾子の怒声にナルは淡々とした口調で説明した

「社には女性しか入れない」
「そういうことを聞いてんじゃないわよ!?麻衣が足踏み外すような山道をこの私に登らせようっての?!冗談じゃないわよ!」
絶対イヤ!とが鳴り立てる綾子の声はよく響き、廊下にいた月子は声を上げて笑いながら、麻衣の夕食を運んできた草子と共にベースに顔を出し、草子がいそいそと麻衣の元へ向かうのを見送りつつ、自分はベースに腰を据えた。
「何も危ない道をそっちの巫女さんに登らせることもないやろう。今日で俺のお篭りも終わる。明日で新年が明けたら、俺は巫女でもなくなるからその後俺がカメラを運んでやるし。俺と大樹が行けばそんな時間もかかりはしないやろう」
そう言う月子のいでたちは、三日前からずっと白装束のままだった。
それに何となく違和感を感じていた綾子がそれを尋ねると、月子はにっこりと笑った。
「これは忌み嫌いの間だけや。明日からまた3日かけて、俺は最後のお勤めになるお宮さん参りいうて、島中の13のお宮さん全部にお礼参りをするんや。その時は普段の格好の緋袴姿になる。忌みごとは怖いからな。それが終わればみんな終いや。あんたさんが山に登らんでも俺が登ってやる」
月子はそう言うとリンが操作していたパソコンデスクに近付き、興味深そうにその画面を覗き込み、声をかけた。
「何か取れたか?」
戸惑うリンを横に、ナルが一歩進み出て一つの画面に録画データを写した。
「まだ二晩しか経過していませんので、際立ったものは撮れていませんが、このような影レベルのものであれば録画に成功しています」
月子はそうして映し出された、素人には極めて醜い暗視カメラの画像を見つめ、問題の箇所の前後になると繰り返して欲しいと指示し、何度も繰り返し熱心に眺めた。
「何か分かりましたか?」
ナルの問いに月子は小さく頷いた。
「よく分からんが、何かおかしなもんが動いているようには見えるな」
「ええ」
「俺らが人けがすると思ってたもんの影なんやもしれんな。これでようやく嘘話やと指指されんでもようなる」
月子は満足そうにそう言うと、苦笑交じりのため息を落とした。
「姫神さんがおらんようになってからずっとでるなんて根気のある話や」
「本当にそうなんでしょうか?」
ふいに差し込まれた質問に、月子は不思議そうに眉を吊り上げた。
「どういうことや?」
真正面から向けられた威圧感のある視線に、これもまたたじろぐことなく、ナルは話を続けた。
「あなたは姫神という神がいなくなったので、この心霊現象が出始めたと信じ込んでいらっしゃいますが、それを裏付ける証拠はない。現象は確かに発生しています。それがもう20年続いているという話も、まぁ信じましょう。けれど、もしかしたら別の何か理由があるのではないでしょうか?」
「偶然、か?」
皮肉交じりの月子の指摘にナルは首を振った。
「いいえ、発生は偶発的にせよ、必然にせよ、何かの条件があるはずです」
「そんなもん簡単や。姫神さんがおらんようになった。それが条件や」
「では、質問の方向を変えましょう。姫神とは何だったのでしょうか?」
「は?」
「信仰の対象だったことはわかります。またそういった偶像が時として何らかの力を持つことも僕たちは知っています。けれど、この島で失われたとされる信仰は少しおかしい」
「おかしいかね?」
「おかしいです。崇める事を目的とするならば、島民は崇め続けたでしょうし、直系の巫女であるあなたが生きてこうしているのに、偶像が失われたというのも不自然です」
「魂代えをしてないんや、と言っただろう?」
月子はそう言い切った後、きつくなってたいた目元をふわりと綻ばせ、口の端を大きく釣り上げた。

 

 

「なんや、お前の言うことは種類は違うけど、トモ兄さんと同じこと言うてるだけや」

 

 

「そうやなぁ、この幽霊騒ぎの出所を調べるのもあんた達の本分やもんなぁ」
月子はそう言って口元を手で覆い含み笑いをこぼした。
「簡単な話や」
月子は笑いながら目を細めると、焦りも苛立ちも感じられない極めてゆっくりとした口調で語った。
「お前もトモ兄さんも姫神さんっていう存在が実在しているとは信じてないんや。だからごちゃごちゃ考えて、こんなにおかしなことが続いているというんに、トモ兄さんは偶然やと言い張る。で、お前は何か別の原因があるんやないかと疑う。つまりはそういうことやろう。同じ事や」
「・・・・」
「まぁ、別にそれで責めはしない。俺だって、島の人間やって多かれ少なかれそう思っていたんや。
忌み嫌いの為に白装束着て、神事の時は緋袴着て、昔に倣って榊を振る。それで本当に姫神さんが出てくるわけやないからな。島で死んだものを束ねて、水と子どもらを守ってくれる言うても、現に島の子どもやって怪我や病気もするし、悪くすれば死んだりしたんや。それはなんやろうな・・・・姫神さんは全部やってくれる神さんとは違って、あくまでまじないみたいなもんやと思っている所があった。今時の言葉で言えばジンクスか?こうしておけば何や悪いもんから少しでも遠ざかるって気がする。そやから大切に大切に守るんやってな」
「・・・・」
「けど、違うんや。姫神さんは本当にいらっしゃったんや」
「・・・・」
「魂代えかて、ママゴトやない。本当のことや」
「・・・・」
「みんな、それを信じられんからおかしなことばかり言い出すんや。これだけ証拠があるのに」
交差する視線の最中で、ナルと月子はそれぞれに凪いだ表情を浮かべ、互いを見据えた。 
「神が、確かに失踪されたあなたのお母様と共にあったというのは、あなたの直感ですか?」
「先代は自分だけでは分からんことまで知っていた」
「そんなものは誰かに尋ねればいい」
「そうやなぁ。そう疑ってかかったら何もかにもダメやろうな。直感か言われたらそうなのかもな。少なくとも俺はそう信じてる」
「それではもう1度姫神、もしくはそれに同等のものを敬い、この島に秩序を取り戻そうとは?」
ナルの提案に月子は首を振った。
「それこそ無駄や。ここは姫乃島や、この島の神さんは姫神さんだけや。そしてその姫神さんはもう20年も前に死んだんや。死んだものは生き返らない。人間やってそやろ?生き返らんと、出てもこんな影みたいなもんや。神さんだってそうそう同じにはいかん」
「可能性がないわけではありません」
「いらん話や」
月子はそう言うと言いたいことは終わったとばかりに立ち上がり、射抜くように自分を見据えるナルの視線を外し、麻衣の様子が見たいと隣室へ続く襖の奥に歩を進めた。
しかしそうして月子が麻衣の眠る部屋に辿りつく手前で、月子は襖を開けて聞き耳を立てていた草子に気がつき、苦笑いを浮かべ、そのザマを詰った。

 


「なんや、ばばちゃん盗み聞きかい」
 

 

月子の指摘に草子は慌てて顔をそらし口を曲げた。
「人聞きの悪い、聞こえたんや」
「そうかいな」
草子の苦しい言い訳を聞きながら、月子は奥座敷で眠る麻衣の枕元に膝をつき、火照る麻衣の頬に手を当てた。
「まだ熱が下がらんか、可哀想に・・・」
冷たい手が気持ちいいのか、麻衣は目を瞑ったまま無意識に月子の掌に頬摺りした。
その子どものような反応に、月子は目を細めた。
「ただの風邪や。部屋中に薬湯の湯気を出してやってるからじき良くなる。それでもしんどいのが続くようやったら、7日の定期船に医者乗せるように手配しておく。何も心配しなくていい、よう眠れ」

その優しげな声にそっぽを向いていた草子は釣られるように月子の顔を窺った。
そしてその穏やかな顔に泣きそうな、または悔しそうな表情を浮かべ、草子は再びそっぽを向いた。
「なんやの、草ばぁば?」
視線も上げずに問われる温和な声もまだ悔しいと、草子はぎゅっと上着の裾を握りながら、唇を尖らせた。
「姫神さんは島の人間のみんなの母さん(かかさん)や」
「ん?」
「子どもを一番強く守るんのは母親や。だから姫神さんは大きな
母さんやろ」
「まぁ・・・そういう風に教わるな。女神さんやし」
「そして水の神さんや」
「ああ」
「水の神さんは海の神さんや。 "海" と子どもを産む "産み" そういうものを全部持ってらっしゃるのが姫神さんや」
「そやな、自分の跡目の娘を産んで一人前や」
「けどな、俺は先代の時子ちゃんより今の姫さんの方が、より姫神さんやと思っている」
月子が視線を上げると、そこには目元に涙をいっぱい浮かべた草子がぷるぷると肩を震わせていた。
「俺は姫さんは本当の姫神さんやと信じてる。俺だけやない。トモさんやって、島の人間の誰がそれを疑った? 皆そう信じとった。それなのに、何でそれだけや足らんかったんか? 」
 

   

   

  

「時子ちゃんがいなくなったのは不幸せなことや。でも、それは姫さんのせいやないやないの!
  姫さんが姫神さんになられん理由なんて一個もないんや!!」
     

   

   

震える高い声が思いの他大きく部屋に響いた。
それを恥じて草子は顔を真っ赤にして俯いたが、こみ上げた涙が止まることはなくぼろぼろと畳の淵に落ちた。その様子を月子は痛ましそうに見据えながら、それでも頑なな声でそれを否定した。

「悪いな、草ばぁば。けどな、俺は姫神さんにはなれんかったんやよ」

そして草子を声を上げるまで泣かせた。