寄り合いの席で酒に酔うと、島の男達は口を揃えてこんなことを言った。
「 時姫の一番の大手柄は月姫を産んだことや 」
それはそれは嬉しそうに。
#014 昔、島では
そもそも、先代の姫神になった" 時子 "には年子の姉がいたので、時子が姫神になることは本来ありえないことだった。
ところがこの姉が岩場で転んだ怪我が元で破傷風にかかり、15の年にあっけなくこの世を去った。その為姫神の役回りは姉に付けられていた従者役と婿役と共に一つ年下の時子へと順送りになったのだった。
時子はそもそも気の弱い子であった。
人見知りで、いつも姉やその従者の影に隠れ、他人とまともに口もきけないような内気な性格にあわせて、愛嬌というものに乏しく、記憶力や統率力、その他巫女として求められる資質のどれも十分に持ち合わせてはいなかった。
それが突然 " 姫神さん " という島で一番注目を浴びる大役に祭り上げられ、さらに周囲の人間から何かにつけて亡くなった姉を比較されるようになったのだ。周囲からの期待と関心は時子にとってプレッシャー以外の何者でもなく、内弁慶の陰気な性格は年とともに拍車がかかり、時子は萎縮し、内へ内へと引き篭もっていった。
正式に姫神の役目を担った後も、時子は娘を一人産むと、これで自分の役目は終わったとばかりに、コンプレックスを刺激する婿役をあからさまに避けるようになり、お役目である神事も必要最小限のことを行うだけで、いつも自分にしか入れない屋敷の奥座敷に隠れるように引っ込んで、島の生活にそれ以上関わろうとはしなくなった。
その態度は当然のことながら島の人間の反感を買った。そんな時子を母親や親族はこぞって責め立てたが、それで時子の態度が改まることは最後までなかった。
その一方、娘の月子はとても明るい元気で朗らかな娘に育った。
少し勝気過ぎる嫌いはあったが、人懐っこく愛嬌のある月子は直ぐに島の人間の心を掴んだ。
自分が姫神になることを信じて疑わず、生まれた瞬間に決まった婿についても、嫌がりもしていない。
「 大きゅぅなったらトモ兄さんは俺の婿になって、大樹は俺の弟になるんやろう? 」
月子は誰憚ることなくそんなことを言って島の人間を笑わせては、村主の2人の倅と仲良く野を駆け、海に潜り、大人でも知らないような島のあれこれを知るようになっていった。その様子は夫婦仲のよくない両親を知る者の目にほど好ましく映り、先行きを心配していた者達を酷く安心させた。
そして島の年寄りが気がつくより早く台風の接近に気がつき、船を上げさせ被害を防いだりするような、まるで神がかったような頼もしい才覚を表すようにもなっていった。
こうした事から、島の人間の月子によせる期待と関心は日増しに大きくなっていった。
月子が母親の時子と同じ性質であればその重圧に苛まれたことだろうが、月子は芯から肝の座った子だったのか、そんな素振りは微塵も見せず、かえってそれを面白がるようなところがあった。そして、何があってもそれを味方につける天分の才に恵まれていた。
月子が7歳になる少し前のことだ。
ある晩、村主と姫神さんの親族が姫の屋敷に集まり、ちょうど頃合の女の子がおらず、決めかねていた月子の従者役をそろそろ決めておこうという話し合いがあった。
候補は3人いて、その中では少し年は離れるが、6つ年上の分家の娘がいいだろうと大方の意見は固まっていた。
しかし、その大人の話し合いの場に突然眠っていたと思っていた月子が顔を出し、驚く周囲の大人達に寝巻き姿のまま首を傾げて尋ねたのだった。
「何してんるんや?」
その言葉から本人が悪戯心から顔を出したわけではないことを悟り、大人達はくつくつと声をひそめて笑いながら、その幼い少女の問いに答えた。
「月ちゃんの従者さんを誰にするか決めてんや」
「じゅしゃさん?」
「そうや、大切なことやから、月ちゃんはもう寝なさい。ほら、おばちゃんと一緒にお部屋に行こ?」
側に座っていた草子に手を引かれながらも、月子はその場に踏みとどまり、更に尋ねた。
「それってなんやの?」
好奇心旺盛で怖いもの知らずの月子にその場には更に笑みが浮かんだ。そこで左右にいた2人の男が面白がって月子の従者役のことを説明した。
「月ちゃんが大人になって、立派な姫神さんになるために身の回りの世話をする人や」
「ほれ、姫神さんにはいつも樹里おばちゃんが一緒におるやろう?そういう人や」
「樹里おばちゃんが、俺のじゅしゃさんになるん?」
「違う。樹里おばちゃんはあんたさんのお母さんの従者や。月ちゃんには月ちゃんだけの従者が必要なんやよ」
「従者はいっつも側にいないといけんからな」
口々に諭される言葉を集め、月子は小さな頭を傾げ、寝起きのかすれた声で答えた。
「 なんや、そしたら大樹やないか 」
驚く大人達に幼い月子は不思議そうに目を丸くし、傍らにいた草子の袖を引っ張った。
「だってそうやろう? じゅしゃさんはいっつも側にいんといけないんやったら、それはトモ兄さんか大樹や。でもトモ兄さんは俺の婿になるんやからダメやろう?そしたら大樹しかおらんし」
突然とっぴなことを言い出した月子に草子は目を白黒させながら、真面目な表情で諭した。
「それはいけん」
反対されたのが不満だったのか、月子は桃色の頬を膨らませた。
「なんで?」
「従者役は女の役目やかなら。ダイは男の子や」
「大樹なんて女の子みたいやん。俺の着物やって俺より似合うんやよ?」
どっと笑い声が起こったのを背に、草子は慌てて月子を嗜めた。
「月ちゃん!あんたまだそんなことしてたん?!」
「だって可愛いんやもん」
月子の反論に聞き耳を立てていた周囲の人間は肩を震わせて笑った。月子はそれを嬉しそうに眺めながら、よく通る声で言った。
「だって、俺は大樹がいいもの」
そうして月子は草子の腕を払い、一番大きな声で笑った父親の元に駆け寄ると、その腕を引き、今度ははっきりとした声で尋ねた。
「じゅしゃさんは女の子やないといけないの?」
「本当の話ではそうやな」
「でも、俺の場合女の子やと困るわ」
「どうしてや?」
「そやって、同じくらいの女の子いんし、女の子っていっつも狭い所で遊んでるやん。
俺は遠くの海まで泳ぎたいし、深山さんにも登りたいんやもん。じゅしゃさんって俺の側にいるんやろ?そしたらその女の子は可哀想や」
月子の論理に父親は首をひねり、それもそうやなと笑いながら、姫神と村主家の家督に自ら口ぞえして月子の意見を後押しした。
そうして従者役は一転して月子の希望通り、大樹が務めることに決まった。
この顛末で、月子があまりに甘やかされていると内に含んだ者は、陰口を叩いては月子を非難したが、月子は幼さゆえの無頓着さでそれを軽くいなした。しかしそんな純粋さを武器にしつつも、陰口の矛先が大樹に飛び火したと知るとすぐ、月子は豪胆にも衆目の面前でその者に反論しに行った。
「嫌やと思うなら、俺本人に言い聞かせるのが大人やろう?俺に言え!」
そして大人のように啖呵を切る一方で、嫌味を言われ泣きべそをかく大樹の背を叩き、こちらはまるで母親のように叱り付けた。
「俺は姫神さんになるからな。俺の側にいるんやったら、大樹も赤い着物が似合うだけやダメや」
月子はそう言い聞かせながらごしごしと乱暴な手つきで涙と鼻水だらけの大樹の顔を拭い、大樹が泣き止むと頭をなで、小さな背に大樹を背負い村主の家まで送り届けてやった。
その背を見送った家人は、自身の家族の醜聞だったにも関わらず月子がどれだけ堂々とした態度だったかを得意になって島中に吹聴してまわった為、結果として月子は自分の希み通りの従者役と、大人も一目おく信頼を手に入れた。
男の子顔負けの、頼もしいような豪胆な性格。
愛くるしいまでの無邪気で、優しく強い心根。
時子の姫神さんに内心不満を持ちながら神経を使っていた島の人間は、このどこから見ても姫神さんに似合いの月子を見てはほっと胸を撫で下ろし、口にこそ出しはしなかったが、早く月子が姫神さんになるような年になればいいと願っていた。
そして、本来姫神さんにしか使わない" 姫 "という単語を名前の後ろにつけ、姫神さんになる前から月子のことを "月姫" と呼びならわすようにすらなった。
「 早く月子に代を譲ってしまいたいものやね 」
そうして母親の時子自身にそう言わしめるほど、月子は " 姫神 " に似合いの美しい娘に成長していき、そうしてまた、あと3日。
あと3日の忌み嫌いを終えれば、月子は皆に望まれた理想的な " 姫神 " になるはずだった。
待ち望まれた20年目の魂代えの年。
正月を前にして島中は浮き足立ち、家々では随分早くから正月の準備が始められた。
植木職人達は腕を振るって大きな松飾をこしらえ、13のお宮さんには見上げる程背の高い、立派な登りがいくつも立てられた。
島中の老人は待ちきれないとばかりに師走に入る前から手作りの正月飾りをこしらえ始め、漁師は漁船を丁寧に洗い清めてとっときの大漁旗が掲げた。家々の主婦は家中を磨き上げ、畳を新調したり、例年の倍の餅をついたりと、思い思いに特別な正月の準備を進め、婿役の朋樹と同じように高校や大学に通う為に島を出ていた子ども達も親に煩く言われる前から島に帰り、どこか浮き足立つ雰囲気にはしゃいでいた。
姫の屋敷には連日祝いの品が届き、訪れた者は今回の祝いごとにあやかろうと、屋敷の裏を歩いては姫神さんが降りたと言われる深山さんに向かって何度も頭を下げた。
島の空気が寿ぎの朱に頬を染めているような、幸福な年の暮れだった。
「 姫神さんがおらんようになった 」
忌み嫌い一日目の朝。
紙のように真っ白な顔をした月子が屋敷奥の姫座敷から現れそう言った時、誰もその意味を理解できなかった。ようよう喋れない月子の言葉を繋ぎ合わせ、ようやくして時子が屋敷からいなくなったことを理解した瞬間から、島はそれまでの祝いの雰囲気を一転させ、殺気立った大騒ぎとなった。
島中の人間が海に山にと時子を探したが、時子は見つからなかった。
時子が姿を消したこと。
それは島にとっても一大事のことだった。
けれど島民にとってそれよりも耐え難いことは、姫神の風習を失うこと、月子を諦めることだった。
月子は魂代えができていないから自分は姫神ではないと言い出し、姫神の不在を訴えたのだった。
姫神がどのように実在するかそんなものは島の誰にもはっきりとは分からない。それならばそんな事は小さなこと、島には姫神という心の拠り所が必要なのだから姫神の姿そのままのような月子が姫神として今まで通り島にあることが一番重要だとと誰かが言った。
そしてそれは島民の総意であったと言ってもいい。
けれど月子はそれは実際に姫神の憑代になっていた代々の姫神さんを全部否定することになると強固に食って掛かった。そうしたら姫神さんは何も自分でなくともいいとまで言い出し、巫女の真似事はしてもいいが、これはあくまで姫神ではないと言って聞かず、そのあまりの頑固さに月子を説得してた島の人間も最後には根負けして、とりあえず当面は月子の意志を尊重することに落ち着いた。
突然母親がいなくなりショックを受けている月子を追い詰めるのは気の毒だという、月子への同情が強かったのも妥協を許した一因だった。
けれど、島の大人達はこれはまだ純粋でウブな月子の傷心だろうとタカを括っていたのもまた事実だった。
年月を経て、気持ちが大人になれば今に皆が言うことが分かるようになる。
そうすれば月子は時子とは違って立派に姫神の役目を全うするだろうと、どこかで皆思っていた。
ところがその3年後、まるでその不在が実証されるように島を津波が襲い、日々の糧は失われた。
皮肉にもその島の有史以来最悪の天災のために、月子ではなく島民が、幼い感傷だとまるで信じていなかった姫神の不在を実感するようになったのだった。