泣き声に見かねた綾子が間に入って月子から草子を引き離し、草子を夫の重三の元に送り届けた。
そうして綾子が部屋に戻ると、月子はまだ麻衣の横に居座っていて、綾子の顔を見るとすまなそうに小さく微笑んだ。

    

            

    

   


#015  見えないもの
    
    

         

   

「すまんかったな」

 
さして悪びれずに謝る月子に綾子は眉間に皺を寄せた。
「そう思うんだったら、泣かせないであげなさいよ」
綾子はそう言いながらずかずかと部屋に入ってきた。
遠慮のない綾子の口調に月子は小さく笑いながら、もっともだと頷き、部屋の隅においやっていた座卓に移動すると、脇に準備された茶道具で茶を入れ綾子にすすめた。
見れば、そのお茶は急須が使われず湯のみにそのまま茶葉が放り込まれており、それに気がついた綾子の表情が曇ったのを見て、月子は愉快そうに口角を釣り上げた。
「これは薬湯用の葉っぱやから、こうして飲んだ方がいいんや」
「飲みづらいじゃない」
「傾げば平気や。きれいな肌になる言う茶や。いいから騙されたと思って飲んでみ」
美肌に関すると聞けば強固に抗うこともない。
綾子は大人しく月子の横に腰を下ろし、笑う月子から湯飲みを受け取った。
「どこまで聞こえとった?」 
月子の問いかけに綾子は顔を顰めてお茶を飲みつつ答えた。
「島中の人間が月子さんが姫神さんになって欲しいとどれだけ願っていたか、とか、小さい頃の月子さんは自分でも姫神様になるって言っていたとか、男の子だったのに大樹さんを従者役にしたのも、元はといえば月子さんの我侭だったっていうことくらいかしら?」
「いやや、そんなん全部やん」
「おばあちゃんの声高いからね」
綾子はそこで一拍置いて、気のない素振りで声色を変えた。
「おばあちゃんは先代の姫神様がいなくなったのは不幸なことだったけど、月子さんがそのまま姫神様になって、次の代に継ぐのが一番だって今でも思ってるみたいね」
月子は苦笑し、だらしなく座卓に肘をつくとこめかみの辺りをその手の指で押さえ、目を細めた。 
「草ばぁばは俺とトモ兄さんの子どもが諦め切れんのや」 
もう十分に手遅れやとおもうんやけど、と加え、月子は肩を竦めた。
「これでも姫神さんがおらんから、姫神は名乗らんと肩肘張ってる俺を説得するのは諦めたんやよ。津波で納得したんかもしれんな。けど草ばぁばはまだ姫神さんがもうこの島にはいんようになったってどうしても信じられんのや。いつか島が昔のようになるんやないかって思ってる。そのためには姫乃島には姫神さんが必要なんや。やからどうしても姫神の血をなくしとうないって思ってんのや」
まるで何でもないことのように語る月子に、綾子は目をむいた。
「そんなこと言っても、朋樹さんはもう結婚してるじゃない」
「そういう常識はこういう場合は通用せん。子どもを作るくらいなんとでもなるやろう」
「すっごい乱暴。とんだ時代錯誤ね」
綾子が呆れて顔を顰めると、月子は愉快そうに頷いた。
「俺かてそう思うし、トモ兄さんも自分の家庭壊してまで島に仕える気はないやろう。けど、草ばぁばの気持ちもちょっとは分かる」
「嘘ぉ」
「この島にとって姫神さんはえらい大切なものやったから、先祖に申し訳がたたんような罪悪感もあるしな。なんでもいいから何とかできるんやったら何とかしたいと思ってしまうトコ、ある」
綾子は自分にはイマイチ実感の持てない土着信仰の根深さを感じながら、それでも口を挟まずにいられず声をかけた。
「ねぇ」
「・・・なんや?」
「そこまで思うんならさ、どうして朋樹さんと結婚しなかったの?許婚だったんでしょう?それでとにかく跡継ぎになる娘なりなんなり作ろうとは思わなかったの?」
綾子の疑問に月子はしばし思案するように空を眺めたが、躊躇いなく首を横に振った。
「思わんかった」
「どうし

「どうして?だって、トモ兄さんとの約束は、俺が姫神さんになるっていう前提での約束やもん」
「でも・・・」
「トモ兄さんはそんな姫神さんがおるかおらんかなんて気の持ちようやろうって言っとったけど、そうはいかんよ。俺には実際に自分が姫神さんやないって分かってんやから。それで万が一娘なんやが生まれてみ?その子が可哀想や」
「かわいそう?」
月子は噛み締めるようにして頷いた。
「一応な、俺の先祖は本当によく色んなことができて、神がかりっていうのもちゃんと実在してたような話が多いんや。ひいひいばあちゃんなんかは、誰からも教わらんとも神事ができて千里眼みたいなことができた言うしな。それよりは血が薄まったんか、俺とか先代はそんな風にまではできんようになったけど、多少は他人より聡いとこもある」
「霊媒体質、シャーマンの家系ってことは事実だったってわけね」
頷く綾子に、月子は自嘲した。
「俺の家系は陽の神さんと姫神さんの  " 神の子 " やからな。けど、姫神さんとは違う俺から生まれた子は"神の子"とは違うようになってしまう。姫神さんを受け入れる器みたいなもんがなくなるやろう。それやのに姫神の子として、苗字もない、戸籍もないで育てられるってわけや」
「・・・」
「この島には学校がない。昔は小中学校を一緒にしたんがあったけどな。島の子どもは高校に上がると皆、本土の親戚筋を頼ったりして別に暮らすようになってそこから学校に通うんや。けど、姫神さんになるとな20年は一歩もこの島から出られん。お陰で俺は学歴的には中卒や。姫神の巫女やなかったら、どうしろっていう感じやろう?まぁ、まだ俺はいい。俺は自分でそれを選んだようなもんやからな。けど、俺から生まれてしまった子はそんなわけにはいかん。そんなん可哀想や」
淡々と答える月子に、綾子は頷きかけながら、慌てて頭を振った。そして感心したような呆れたような声を上げ呻いた。
「今の年ならそんなこと考えるのもわかるけど、よく16でそんなことまでリアルに考えられたわねぇ

綾子の感嘆に月子はすげなくせせ笑った。
「自分のことやもん」
「それにしてもよ。だって大騒ぎだったんでしょう?その中でよくそこまでドライっつうか、冷静になれたわね!本当に度胸いいわぁ」
綾子の褒め言葉らしきものに、月子は目を丸くしたが、それからすぐに相好を崩して笑い出した。そうしていつものように、くつくつと長い時間かけて笑うと、いつもの自身たっぷりの口調で言い切った。
 
 
「島中の人間の期待を、俺の感覚だけで裏切るんや。度胸も覚悟もなけりゃ嘘やろ」
 
 
そう言い切った言葉と開き直ったようにも見える堂々とした態度は月子によく似合っていた。
しかし、その直後に月子は座卓の上に頬を寄せ寝そべり、その顔に影を落とした。 
「そうは言っても証拠はない。それが怖かったってのも事実やな。そやからこうして記録を残して、自分の感覚が正しかったやろうって、本当言えば、島中の人間に弁解したかったんかもな」
そう言ってため息をついた月子の顔は、年よりもずっと老けて見えた。
ただ一人、姫神がいないという事実を感じ、それを忠実に護るために、朋樹や草子、そして先ほどのナルように彼女は随分長いことこうして繰り返し問答し、随分沢山のものに抗ってきたのだろう。
頼れるのは確信のない自分の直感のみ。
それを信じ続け、実行し続けるのはどれだけ困難なことだったのだろう。けれど、事実を知っているがゆえに曲げることはできないと意地を張る。それは、嘘つきと指差されても精霊がいることを感じ、それを信じている自分にも少なからず心当たりのある葛藤だった。 
綾子は浮かんだ同情的な感情から、月子の目にうっすらと浮かんでいた涙には気がつかなかったことにして、話題の向きを変えた。
「まぁねぇ・・・・見えないものを説明して、説得するのは大変よね。口に出さなくても、基本的に他人が信用していないっての分かるじゃない。それをあんまり言われ続けていくと、自分の方が違うのかって疑いたくもなってくるしね」
綾子の言い分に月子はだらしなく崩した姿勢のまま顔を上げた。
「・・・・なんや、分かったような話し方すんな」
「そりゃそうよ。私だって霊能者ですからね。同じような経験は多かれ少なかれあったわ」
「そうやった・・・・あんたは見えんものが見えるんやもんな」
「そう、しかも私の場合、万能でいつも皆を説得できるくらい力を発揮できるわけじゃないから。胡散臭さ倍増。説得力に欠けるのよね。昔はそれで疑心暗鬼になったりもしたもんよ」
綾子の砕けた口調に月子はうっすらと微笑んだ。
その笑みにほっと胸を撫で下ろしながらも、若干の嘲笑を感じ、綾子は慌てて付け足した。
「でも、ちゃんと見えることもあるのよ。精霊の力をお借りすることができたら、霊だったらどんなものでも浄化させることもできるしね。そうして自然の理(ことわり)を知っている限り、私は自然を意志のないものとして無視することはできないわ」
そして綾子はニヤリと笑った。
「それに全部見える。絶対大丈夫だって言い張って、自分を完全に信じ切ってる人間よりかはマシだと私は思うけど?」 
 
綾子の言葉に、月子は口元をゆがめて頷いた。 
「そら、同意や」
 

 

 

 

 

 

綾子の態度に気を許したのか、月子はそれから寛いだようにしばし沈黙し、その後にまるで独り言のようにぽつりと呟いた。 
「俺にはこれしかできんかったと思ってるけど、本当にそれは正しかったんやろうかな?」
きっと、島の人間には誰にも言えなかったであろう後悔とない交ぜになった愚痴を零した月子に、綾子はすっかり冷めた茶を飲み干しながら唸った。
「そんなの私に分からるわけないじゃない」
「まぁな・・・」
「懺悔したいんなら、宗派は違うだろうけど、ジョンにしたら? 言葉おかしいけど、人間できてるから私に話すよりずっといいわよ」
「ジョンって・・・あの神父か?」
眉を片方上げてこちらを見た月子に綾子は頷いた。
「そう、幼く見えるけど司祭なのよ。お祈りもちゃんと効くから、人間に憑いた憑依霊落とすのがすっごく得意だしね」
「へぇ・・・」
「言葉だけの懺悔が嫌なら、せめて幽霊騒ぎを解決するくらいしたら。後悔するくらいなら、今からでもナルに依頼し直せばいいのよ。私達はどっちかっていうとそっちが本業なんだし」
「ナル・・・て言うと、あんさんらのボスか。そう言えばなんやごちゃごちゃ言うてたしな」
「ナルの目的は心霊現象のデータを取ることだから、
このままでもナルにとっては何も問題ないんだけどさ。頭だけはいいからね。ナルが舵取りすると何だかんだ言って問題は解決するわよ」
実際に手を下すのは別の人間なんだけど。と、綾子は言い、その内容に不思議そうに自分を見つめる月子に大雑把に自分達の能力の性質と、心霊現象の解決方法を話して聞かせた。

ナルは調査の方向を定める主軸で、その他メンバーがそれをフォローすること。
リンは霊視ができるし、様々な技法を持っているがそれを発揮するには条件が揃わないと難しいこと、滝川とジョンはそれぞれ得意分野があるが、霊視ができないため単体には弱いこと、麻衣は雑多な能力を持ってはいるが安定しておらず、行き当たりばったりで能力的にはあてにならないこと、安原は情報収集に長けているただのアルバイトであること。
その一連の関係を聞き終えると、月子は少しがっかりしたように唇を尖らせた。
「なんや、一人が拝んで一発で解決できるわけやないんやな」
その感想に綾子は肩を竦めた。
「まぁね・・・中々万能な神様みたいな人間なんていないってことじゃない?それでもまとまれば何とか力にはなるわよ」
月子は胡散臭いと笑いながら、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういや、あんたらのボスは本当に何もできんのか?」
「ナル?ナルはただの心霊研究者だからね」
「そやかて嬢ちゃん達の遭難騒ぎの時なんや不思議なこと言ってたやろう。あれは何なんや?」
月子がその質問を口にした瞬間、音もなく背後の襖が開いた。
 
「騒ぎは落ち着きましたか?」
 
声の主はその話題の主。
一段冷えた空気と共に部屋に差し込まれた漆黒の美人、ナルの氷点下にまで落ちた冷たい声に、綾子はバツの悪そうな顔をしたが、月子はそれに構わず常と変わらない笑みを浮かべた。
「騒がしくして悪かったな」
「横に病人がいますので、込み入ったお話は別室で願いたいところです」
存分に嫌味の混じったナルの物言いに月子は謝罪を繰り返しながら、ちょいちょいと指を折り曲げ、ナルに中に入るようジャスチャーした。
「温かい空気が逃げる。襖を閉めてこっちに来たらどうや。ちょうどあんたさんの話をしとった所なんや」
ナルは不愉快そうに眉根をつり上げたが、取り立てて反論せず部屋に足を踏み入れると、後ろ手に襖を閉めた。そうしてナルが腰を落ち着けるのを待ってから、月子はにっこりと笑って話を再開した。
「あんたさんの巫女さんに俺の愚痴を聞いてもらってたんや」
「・・・・」
「それでな、自分がやったことを後悔するくらいんなら、せめてこの幽霊騒ぎくらい解決するのがいいんやないかって言われて、あんたさんらがどんなことができるんかも聞いてたんや。そしたらボス自身は何もできん言うから、違うやろう、何かできるんやろうって聞いてたところなんや。ほれ、遭難騒ぎの時、自分にしかできんことをする言うて、最初、あんたさんは捜索に行こうとせんかったやろう?」
何の話をしているのだ、と言外に詰問するナルの視線に、綾子はわざとらしく顔を背け、話の流れだと苦しい言い訳をして誤魔化した。
「・・・・」
「他の人らは幽霊やら見たり、祓ったりできるんやろう?」
邪気なく尋ねる月子の顔を見つめ、ナルは少しの間沈黙したが、小さくため息を落とすと、思いの他簡単にその答えを口にした。
 
 

「サイコメトリです」

 
 
「さいこめとり?」
驚く綾子の横で鸚鵡返しに尋ね返す月子に、ナルは噛んで含むような口調で説明した。
「簡単に言えば物質に触れることによって、その持ち主の過去の記憶やその場にあったことを見る能力です。それによって持ち主の生存確認や、現在の居場所がわかる場合もあるので、あの時は2人の安否確認をしようとしていたんです」
「すごいやないか・・・」
ごく単純に、感心したような表情を浮かべた月子に、ナルは首を横に振った。
「けれど、これは簡単にできるものではない」
「そうなんか?」
「過去視をするためにはとても集中力がいるんです。それに生存確認などの単純な直前の過去ならまだしも、いつかも分からない過去の情報を引き出すのは本当に困難なんです。それで僕自身に対する身体的負担も大きい。ですからあの時のような非常事態以外、基本的に僕はこの力を使いません。そう言った意味では、確かに僕は霊現象を解決する実行力は何もない人間です。僕はこの集団の中ではあくまでブレインですので、通常は頭脳作業しかしませんから」
「それは・・・・そうなんか」
その情報をどう理解していいのか判断しかねたような複雑そうな顔をした月子を見据え、ナルは小さく咳払いし視線を自分に集中させると、薄っすらと優美な顔を綻ばせ、微笑んで見せた。 
「けれど僕も訓練を積んだ人間です。闇雲に拒絶するほど耐性がないわけではない。依頼人の要望があれば、絶対にやらないと言うわけではありません」 
形のいい唇と、吸い込まれそうに深い色をした瞳が胡散臭いまでに美しいカーブを描く。
それが特に自分に向けられた好意でないと分かっていても、その整い過ぎた美しい容姿は思わず目を奪われるほどの暴力的なまでの魅力に満ちている。
そこから香り立つような色気に、慣れた綾子も肝の座った月子も反射的に頬を染めた。
ナルはそれを見据えると、満足そうに僅かに頭を傾げた。

 

 

 

「随分な言いようだったじゃない」

 

 

 

矜持によって何とか体勢を立て直し、部屋を後にした月子を見送りながら綾子がぼやくと、ナルは感情の欠片も見えない視線で綾子を見下ろし首を傾げた。
「何がでしょう?」
「何がって全部!あんたが自分からサイコメトリの事暴露するなんて初めてじゃない。しかも何だか随分ご丁寧な言い方でさ。ナルが依頼人にこんなに親切だとは知らなかったわ!」
嫌味交じりの追求にもまるで動じようとしないナルの不遜な態度に、綾子は舌打ちしながら声高に文句を並べた。
「麻衣がこんな状況だってのにいい気なもんね」
「言っている意味が分からないのですが?」
「月子さんがナル好みだとは知らなかったって言ってんの!」
そこまで言われて綾子が不機嫌だった意味をようやく理解したようで、僅かに目を見開いたナルに、綾子はイラつきながら声を荒げた。
「まぁ、月子さんは年の割には美人だけどさ」
「特に問題にならないだろう」
「あのねぇぇ!十分特別視してるじゃない!!それが問題だって言ってんの!!!!」
眉間に皺を寄せ言い募る綾子に、ナルは肩を竦めるとこれもまたごくあっさりとこう言った。  
「所詮、僕ほどじゃない」  
そして迂闊にも絶句した綾子を捨て置き、ナルは月子が消えた廊下の先を見据え、既に見えなくなった白い背中を追うように目を細めた。