雪のように白い肌に化粧を施し、白い小袖に緋袴を履き、千早を上から羽織った巫女装束に身を包み、長い黒髪を壇紙で一本に結んだ月子の姿は凛として、惚れ惚れするほど美しかった。

 

――― やっぱり姫さんは一番の姫神さんや。

 

額に飾る姫神の印である黄金の花飾りを支度しながら、草子はその姿に涙ぐんだ。
      

       

         

     

            

  


#016  花飾りの主
    
    

         

    

     

屋敷から繋がる渡り廊下の先、屋敷最奥に位置する姫座敷での支度を終え、屋敷の前を清めることから姫乃島最後の魂代えの正月は始まった。
日の出とともに正装に身を包んだ月子は従者役の大樹を従え屋敷を後にし、決められた場所、社の前でそれぞれ厳かに祝詞を上げていった。

 

 

 

「本当を言えば、ここで新しい姫神さんが社の舞台で神楽を舞うんですよ」
ナルらと共に後を追い、後ろでその光景を眺めていた朋樹が祝詞が終わり、月子が次の社に移動する間に小さな声でそれに補足した。
「その時新しい姫神さんはまだ頭に紙でできた花飾りを頭につけているんですが、このご挨拶周りが全部終わったら先代の姫神さんから金でできた花飾りを貰うんです。土地の氏神さんにも、島の人間にも認められた新しい姫神さんになったって証みたいなもんだと聞いてます。それで今の姫さんは頑として花飾りをつけなかったんですけど・・・・今日は最後のお勤めだからって、草ばばちゃんに泣いてせがまれたらしく付けてますね」
テレビの取材のように月子の姿を追ってカメラを担いでいた安原は、これは面白いとテープを止めずにレンズを朋樹に向け質問
した。
「豪華な飾りですね」
「金色が太陽を寄せる言
いましてね、これで陽の神を卸した樹の人間に見つけてもらうそうですよ」
「ここの姫神様は結婚もするし、子どもも産むんですもんね」
「ええ」
そこで安原はレンズがずれないように苦心しつつ首を傾げた。
「僕なんかのような世間の噂話レベルの先入観があると、巫女は処女性が高い存在な気がしていたんで、ちょっと不思議な感じがしますけどね」
安原の疑問に朋樹は小さく笑った。
「まぁ、姫神さんになるには生娘であることが条件の一つではあるんですけどね。そもそも人間と結婚するわけじゃないからいいんじゃないかな。自分に神さんを降ろして、神さんと結婚して、神さんの子、ゆくゆくは神になる子を産むんだから」
「そもそも " 玉依姫命 " っていったら、そうした形態の総称だしね」
突然横から口を挟んだ綾子に安原はレンズを向けて更に尋ねた。
「そうなんですか?」
「そうよ。そもそも" タマヨリ "ってのは、" 霊依 "とか" 魂憑 "からきた言葉だもん。神の依り憑く巫女、もしくは神霊が憑依する乙女って意味なのよ。日本中に結構いっぱいある話ね。つまりここの島の玉依姫命の名前が " 姫神 "っていう解釈が正しいんじゃない?」
「へぇ」
「それに、玉依姫命ってのは女性が子供を生む力って要素が強く反映されているのよ。神婚による処女懐胎によって神の子を宿したり、選ばれて神の妻となったりする人のことを " タマヨリ " って総称することもあるくらいだし。それで玉依姫命ってのは自分が生んだ御子神と一対に祀られて、母子神として信仰されることが多いのよ。京都の賀茂御祖神社とか有名ね」
「え?そんなメジャーなものだったんですか?」
「だから総称だって言ってるじゃない。祭事とかはやっぱり島独自みたいだし」
「へぇ、綾子は姫さんの祝詞聞き取れたのか?」
感心したように頷く滝川に綾子は嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「逆」
「あん?」
「そう言うってことは坊主にだって聞き取れなかったんでしょう?あの祝詞。言葉が全然違うんだもん。わかるわけないじゃない」
「あ、やっぱり?良かったぁ。俺だけわかんねぇのかと思ったぁ」
どこか間の抜けた滝川と綾子の会話に、朋樹は微笑みながら頷いた。
「姫神さんのご祈祷とかは全部先代から口伝で伝わるものですから」
少し誇らしげな朋樹に安原は自然笑みを浮かべつつ、レンズの端にチラチラ映りこむ糸くずのような影に目を細めた。その影はカメラから目を外すと見えなくなるのだが、レンズに汚れやゴミの付着はなかった。
――― 本当に、この島は霊現象が多いんですね。
島に向かう船上で霊感のない安原にも何かが見えるだろうと言った朋樹を思い出し、安原はひっそりと息を吐きながら、チラチラと映りこむ影が見えなくなるまでカメラを回した。

    

     

      

       

           

屋敷側の社や石碑の前での祝詞が終わり、一行がぞろぞろと隊列を組んで屋敷に戻ると、正面玄関から続く正面の部屋からパジャマ姿の麻衣がひょっこりと顔を出した。
「麻衣!あんた寝てないとダメじゃない!」
いち早くそれと気がついた綾子が怒声を上げながら近付くと、麻衣は怯えたように身を翻し、ぱたぱたと廊下を走って逃げた。
「ちょっ・・・ちょっと待ちなさい!」
「麻衣!お前、熱あんだろうが?!」
そうして叱責の声が追いかける中麻衣は廊下を進み、その先にいた草子に気がつくと、その影に隠れた。
「まぁぁい!!」
「あらあら

草子は白い割烹着の裾を掴む麻衣を穏やかな口調でなだめた。
「そんな薄着で、また熱がぶり返すやろう」
「あら、熱下がったんですか?」
腕を伸ばして麻衣の首根っこを捕まえつつ綾子が尋ねると、草子は嬉しそうに口元を綻ばせた。
「さっき計ったら、7度まで下がってたんや。腹も空いたみたいやから、今お粥さん準備しとったんやけど、部屋から抜けてきたんやね」
「麻衣・・・ちょっと恥かかせないでよ」
「まったく、何やってんだか・・・」
滝川は顔を顰めながら自分が着ていたジャケットを麻衣にかぶせ、そのついでに麻衣の額に掌をあて、堪らず微笑んだ。
「本当だ、熱はずいぶん下がったな」
左右を擬似両親に囲まれ身幅を小さくする麻衣にその後を付いて来た一行もそれぞれに相好を崩した。そして列の最後を歩いてきた月子もまた麻衣の方に歩み寄り、頬に手をあて、そのまま親指で目の下をひっぱり、栗色の瞳を覗き込んだ。
「ようやく薬が効いたんやな。でもまだ目が本当でないな。もうしばし寝とかなだめやろう」
麻衣は皆の様子に驚いたように口を開け、それから月子の額にある黄金色の花飾りを見つめふわりと微笑んだ。
「お花、きれいね」
「うん?そうか?」
月子は子どものような麻衣の反応に目を細め、屈みこんでその頭を撫でた。その柔らかな手つきに麻衣は嬉しそうに笑みを深め、その笑顔のまま不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

 

「 けど、それは姫神さんの印や。何でお前が付けてんのや? 」

 

  
 

  

 

突然突きつけられた言葉に目を見開き、驚きのあまり絶句する月子の頭から、麻衣は慣れた手つきで黄金色の花飾りを外した。
そうしてするりと外れた花飾りを懐に抱えると、麻衣は誰が反応するより早く踵を返し、暗い廊下に向かって駆け出した。

「麻衣!」

ナルの怒声で我に返った滝川らが慌ててその後を追ったが、麻衣は病み上がりとは思えない素早い身のこなしでそれを交わしつつ、まるでよく知る場所のように屋敷の廊下や続きの座敷を最短距離でつっきり、奥座敷へ続く渡り廊下に向けて走った。
「嬢・・・ちゃっっ」
「麻衣、止まれ!」
「谷山さん!!」
渡り廊下の前には小さな木戸があった。
ぴっちりと閉められた古めかしいその戸は、しかして麻衣が駆けて行くとまるで自動ドアのようにすっと横にスライドし、麻衣がその奥に駆け込むとありえないスピードで閉まった。
「なっっ」
「どけ!」
後を駆けて来た朋樹が直ぐに戸に手をかけた。しかし手をかけた瞬間静電気が走り、朋樹の手はその衝撃で後ろに弾かれた。
「ちっっ!!」
「なんやの?!」
悲鳴を上げる草子の脇からナルと滝川が同時に声を上げた。
「帯電してるんだ。アース!」
「まどろっこしい、俺がやる!」
「ちょっとぼーず!壊さないでよ?!」
綾子が止めるのも聞かず滝川は素早く印を組んだ。そして短く真言を唱えると戸の滑車の部分に気合を入れた。するとそこから爆発でも起きたかのように衝撃が走り、戸は先ほどと同様の勢いで脇に走った。
「このパターンは慣れっこなんよ」
滝川はにやりと笑いながら開きかけの引き戸を乱暴に開け放ち、その先に続く廊下に視線を移した。
畳が敷き詰められた廊下は明り取りの障子に、天井には小さなランプがあるものの薄暗く、そこには今までいた屋敷とは明らかに違う空気が流れていた。
そしてそこに麻衣の姿は既になく、奥に続く廊下から僅かな明かりが漏れているだけだった。
「この先はいけん!」
直ぐに先に進もうとした滝川を草子の怒声が制した。
滝川がたたらを踏みながら振り返ると、すぐ横にいた朋樹が首を横に振った。
「すみません、この先は姫の座敷なんです。ここには姫さんとごく親しいもんしか入れない決まりなんです。遠慮して下さい」
そして自身もまた二の足を踏む朋樹の肩に、背後に控えていた大樹は遠慮なく手をかけてひっぱり、朋樹が後ろを向くとすぐ、顔も見ずに身を乗り出した。 
「俺が見てくる」 
そう言うと大樹は直ぐに廊下を進み、角を曲がって姿を消した。
それからニ三声がかけられ、家具が軋む音がしたが、程なくするとすぐ大樹は手ぶらで一人戸の前に戻ってきた。
「いけん、内側から鍵かけられた」
何でそんなことを、と、身を竦ませる者の横で、草子が声を上げた。
 
 
「どうやって?」
 
 
その言葉に疑問を持った顔つきの面々に大樹はため息をつきつつ説明した。
「座敷の鍵は寄木を順番に組み合わせるようになってるんや。この方法は姫神と従者役しか知らんもんや。内側からしかかけられんから、他所のもんが見ることはまずないし、一番に少し見たくらいや絶対に覚えられんような手順になってるんや」
「外からは・・・」
「開けられたら意味ないやろう」
朋樹の問いに大樹はイライラと答えた。
「座敷奥の洞は深山さんと同じくらい姫神さんにとって大切な聖域や。そこにあの嬢ちゃんはなんなんや?子どもの悪戯にも程があるやろう」
怒りを湛えた両眼に睨みつけられたが、ナルはそれを正面から見すえた後に、くるりと背を向け、背後にいた草子に尋ねた。
「谷山が気がついたのはいつぐらいですか?」
草子は事態の急変に顔を真っ青にしながらも、落ち着いたナルの声に縋るように顔を上げ答えた。
「ほんに、ついさっきや」
「それから何か会話はしましたか?」
「会話て・・・・そら、気ぃついて良かったとか、お腹空いたやろうとか・・」
「姫神を降ろした巫女だけが付ける花飾りについての話は?」
「花飾り?馬鹿言って!病み上がりにそこまで話ができるわけないやろう」
「では、麻衣は姫神の花飾りについて誰からそれを教わったのでしょうか?」
ナルの疑問にその場にいた全員がはっと顔を上げた。
その内顔色の悪くなったメンバーを見据えながら、ナルは淡々と現状について説明した。
「麻衣がなぜ突然あんな暴挙に出たか、正確なことは本人から話を聞かない限り分からない。ただ言える事はあれもプロですので、平素であれば信仰上重要視されている場所にみだりに足を踏み入れたり、悪戯に場を混乱させるようなことはしません。それが時として自分達の命取りにすらなることを経験上知っているからです」
「そやったらなんでや!?」
苛立ちを隠しきれない大樹に、ナルはこれも変わらず冷たい口調で言い切った。
「何かに憑依された可能性があります」
「憑依?」
「憑きもの、と呼んだ方がわかりやすいですか?」
ナルはそう言うと腕を組み、背後の柱に背を預けた。
「あれは元々感受性の強い気質をしています。特に自分に害意のあるものに対する反応は顕著なはずなので憑依されることは滅多にないはずなのですが、何分半人前の見習いですので完璧とは言えない。今回は例外的に自分の身体を何者かに乗っ取られた。何かに憑かれたという可能性が高い」
「そんな、あほな・・・」
「ベースはリンが結界張ってたのに?!」
文句を付けた大樹と同時に綾子が疑問の声を上げた。しかしナルはそれに一瞥をくれただけで、説明を続けた。
「そうでなければ、島独自の風習である姫神の花飾りについて麻衣が知りえるはずはないし、それを指摘した際の麻衣の口調が島言葉であった説明ができない」
「・・・・」
「座敷の鍵についてもそうです。我々ではそこに鍵があることすら知りません。万が一、麻衣が事前に鍵の所在を知っていたとしても、先ほど大樹さん自身が仰ったように鍵のかけ方まで麻衣が知っているのはおかしい」
それではどうすればいいのかと、言葉をなくす大樹を見据え、ナルはそこで綾子に視線を転じた。
「確かに、今回はベースには結界を張っておいた。あそこで麻衣が憑依された可能性は考えずらい」
「でしょう?」
「しかし、憑依されたのが今日と限らないと考えれば、憑かれる可能性は格段に増える」
「!」
「3日前に遭難し以降2日間麻衣は高熱の為に意識が混濁していた。つまり、あの間も憑依状態でなかったとは言い切れないということだ」
ナルの指摘に安原が呻くように声を上げた。
「最悪、3日前から憑依されていたって可能性もあるわけですね」
「可能性を考えればその方が確立は高いだろう。心身共に弱っている状況であればあるほど、人間は霊につけこまれやすい」
頷く面々の横で、綾子が難しい顔をした。
「確かに真砂子も自分の意思とは別に霊に身体をとられると体調を崩すって言ってたしねぇ。口寄せが得意なあの子が具合悪くするってことは、麻衣だって例外とは言えないってことか」
「てっきり風邪だと思って・・・ああ、今回は真砂子がいなかったからか!気がつかなかった・・・」
悔しそうに顔を顰める滝川に、しかしてナルは冷静に話を進めた。
「けれど、これが心霊現象であれば対応策がある。ジョン」
「はいです!」
突然の呼びかけにジョンはひょっと背筋を伸ばして素早く返事をした。
「ここから遠隔操作で憑依霊を落とすのは可能か?」
「やったことありませんが・・・多分、できんと違いますやろか?」
遠慮がちに返された答えにナルは落胆した様子もなく頷くと、傍らにしゃがみこんでいた滝川を見下ろした。
「では、本人が部屋から出てくるのを待つしかない。ぼーさんはここで麻衣を監視していてくれ」
「麻衣が出てきたら足止めしろってことか?」
「そうだ。そこでジョンに憑依霊を落とさせる」
「おーらい、力仕事は任せてちょ」
出てきたら大声を上げようと請け負う滝川にナルは頷き、次に怪訝そうにこちらを見つめる朋樹らに向き直った。
「それで当面の騒ぎは解決するでしょう。ご迷惑おかけしますが、それまではご静観下さい」
「あ、まぁ・・・それしか、ないんやったら」
「無理に開けられないし、な」
ぎこちなく頷く面々にナルはため息を一つ落とすと、一部にしか聞こえないような声で付け加えた。
「麻衣がどのような状況だったかは2日も寝ていたんだ。存分に夢で見ただろう。内容は目を覚ました後にゆっくり聞き出せばいい」
そこに浮かんだいささか残忍な笑みが、その場で声を聞いてしまった人間の背を冷たく撫ぜた。
思わずそれに身を震わせ、麻衣の身に立て続けに起きた不運に手を合わせながらも、メンバーにできることは決まっている。面々は直ぐに指示のあった行動に移ろうと腰を浮かしかけた。が、

 

 

 

「いけん」

 

 

 

ふいに零れた制止の声に、知らず全員が動きを止め、声がした方を振り向いた。
声は集団の最奥、座敷に続く戸から最も離れた廊下の隅で、凍えるのを必死に耐えているように両手で両肩を抱いて、真っ青な顔で立ち竦んでいた月子のものだった。
その尋常ではない顔色の悪さに、慌てて大樹が側に駆け寄り、その身を支えるように肩に手を置くと、月子の肩はありえないほど大きく震えていた。
「月子?」
訝しげに見下ろす大樹を見上げながらも、月子の目は大樹を見ず、さらに遠くの何かに奪われていた。そしてそのまま月子は眉間に皺を寄せ、肩にかけられた大樹の手を爪が食い込む程強く握り返しながら、喉の奥からようやく息を搾り出すかのように小さく答えた。

   

    

   

「嬢ちゃんの中にいるんは、姫神さんや」