大樹に支えられていなければ、立っていることすら侭ならないというのに、月子は目をギラギラと光らせナルを睨んだ。
      

       

         

     

            

  


#017  条件
    
    

         

    

     

「あれは姫神さんやった。追い払ってはいけん」

 

 

 

 

なぜだか、背筋が寒くなるような月子の低い声に最初に反応したのは意外なことにも草子だった。
草子はつかつかと戸の前まで歩み寄ると青い顔を怖いように歪め、甲高い声で月子を糾弾した。
「そんなわけないやろう!こんな時に冗談言わんで!!」
しかし月子はきっと草子を睨むと、これもまた一歩も引かない態度で言い返した。
「冗談やない!」
「嘘や!」
「嘘とも違う!あれは姫神さんや!!!」
「そんな馬鹿な話あるわけないやろう!姫神さんは直系の娘にしか降りん!!」
「直系の娘なんてもう俺と草ばぁばしかおらんやんか!誰に降りる言うんや!!」
「そうなってしまったのは姫さんのせいやろう!!それをなして今になってそんなどこの子とも分からん子に、ひ・・ひ・・・姫神さんが降りたなんて!罰あたりなこと言うのも対外にし!!!」
「罰あたりとかそういう次元の話やない!俺は本当のことを言ってんや!草ばぁばは話にならん!すっこんでろ!」
「どきません!!何馬鹿な話をしてるんや!!いくら姫さんだって言っていいことと悪いことがある!」
「そやって本当のことやもん!!!」
「そんなわけないやろう!」
頭から否定する草子に月子は肩を震わせ怒鳴り返した。
「いっつもそうや!20年前やって俺がいくら姫神さんが死んだ言っても信じやしなかったやないか!でも姫神さんは本当におらんようになったやないの!!!誰もかれも本当は俺のことなんか信じてなんかおらんくせに大きいことばっかり言うなんや!!!」
「草ばばちゃん!!!!姫さん!!!!どっちもちょぅ落ち着けや!!!」 
普段の凛とした月子からはそうぞうだにできない酷い錯乱ぶりに思わず一歩引いた周囲に対して、その場に対する責任感からか、朋樹が今にも掴みかからんばかりの勢いで怒鳴りあう月子と草子を大声で制し中に入った。
 
ついぞ聞かなかった島なまりの朋樹の声は野太い声色とあいまって腹に響いた。
その大声に蹴落とされ草子はぐっと息をつめ、そのまま両手をぷるぷると奮わせたまま腰が抜けたようにその場に座り込んだ。頭に血が上っていた月子もまた肩で息をしながら、唇を強く噛んで押し黙った。しかして月子は大樹の背を借りてはいたものの、自身の膝に力を入れ、その場に倒れこむことはしなかった。
淑やかな巫女装束に身を包んでいるというのに、髪を振り乱し、目を真っ赤に血走らせたその様子は鬼気迫るものがあった。
思わず飲み込んだ唾の音が聞こえたかのように、月子はそうしていながらも目だけで綾子の姿を探し、綾子と視線がかち合うと乾いた唇を開いた。
「なぁ、嬢ちゃんの年はいくつや?」
その問いかけの意味は分からなかったが、綾子はその迫力に負け、条件反射で答えた。
「19よ」
「そやったら、年明け前なら数えでもギリギリ20歳やな」
短く答えたそれに月子は頷くと、ごほごほと咳き込みながら、先ほどの怒鳴り声とは正反対の、いやに凪いだ乾いた声で言った。 
「20年に1度の忌み嫌いの日に深山さんの洞におって、それからまるで忌み子のように熱出した。元旦に目を覚ましたらまるで別人のようって・・・・・本当の言い伝えみたいな話やと思わんか?」 
月子の呟きに顔を草子は大仰に肩を揺らし、朋樹と大樹は同時に動きを止めた。

―――― なんでもいいから何とかできるんやったら何とかしたい。

そう零した月子の、昨夜の声が綾子の脳裏に蘇った。
その月子が何が言いたいのかが分かり、綾子は堪らなくなって視線を外した。
確かに麻衣は何かに憑依され、しかもその何かは姫神のことを実によく知っていた。
実際に何かを感じ取ったのかもしれないが、月子にとってはそれだけでも十分だったに違いない。
麻衣でもいいのだ。
もっと言えば誰でもいい、何でもいい。
それでも姫神という神が戻ってきてくれれば、それは月子の本望なのだろう。

 

 
 
「これで嬢ちゃんが生娘やったら条件もぴたりと合う」

 

 
  
率直で、頼もしいほど自立している月子が悪戯に嘘や誤魔化しをするとは思えなかったが、それで強い願望が見せる幻である可能性が低くなることはない。
すがりつく視線を否定するのは胸が痛い。

 
けれどそれはいくらなんでも無理だ。
 

麻衣は確かに19歳で、外見などは実年齢より随分幼く見えるけれど、姫乃島とは縁もゆかりもない人間で、しかもここにいる男と半年も前から付き合っているのだ。月子が望むような答えはない。
痛ましい気分に襲われ、綾子は困ったように視線を彷徨わせた。そうして同じように戸惑い、視線を彷徨わせるメンバーと顔を見合わせつつ、その視線は自然、廊下の端に立つナルの元に集まった。
その視線でも感知したのか、ナルはそこで閉じられていた瞼をゆっくりと開けた。
長い睫が影を落とす。
その奥にある闇色の瞳は何故だか吸い込まれそうな程、静かに、深く暗い光をともしてた。その暗闇の光は言葉を失わせ、無性に心をざわつかせた。
息苦しいような気持ちになって、綾子は知らず胸の前を掴んだ。それと同時に月子もまた同じものを感じたのか、激昂して上がった肩の力を抜き、涙で赤く潤んだ瞳を乾燥させていった。
そうして落ちた乾いた沈黙をナルは踏みしめるように、ただ一人、常と変わらぬ耳障りのいい落ち着いたテノールで告げた。 

 

 

 

 

 

 

「麻衣が条件を満たしていたからと言って、対処方法が変わることはありません」

 

 

 

 

 

   

 
月子とはまた別の意味で驚きを隠せない面々の視線を受けながら、ナルは淡々と続けた。
「この島での神憑りをした巫女の役割は、20年間島に拘束され、神事を行うことです。が、麻衣はあくまで調査の一環としてこの島に来た部外者に過ぎず、僕のチームの一員です。調査が終われば島を出る。例え実際に姫神という神が憑依しているにせよ、そのままの状態でおくことはできません。それとも、よもや人身御供のようにこの島に麻衣を捧げろというのですか?」
ざくりと、突きつけられた言葉に月子は眩暈を感じた。
感情のまま、脳みそにまで行き渡っていなかった血流が一気に流出したように頭が痛み、痛む頭はそのまま胸に湧いた恥ずかしい程自分勝手な願望を月子につきつけた。そのあまりの傲慢さに月子は焼ききれるのではないかと思うほど耳を赤く染めた。
「・・・・・そうは、いかんよな」
「当然です」
「そう、やな」
痛む頭を押さえるように額に掌をあてながら、月子は無情にもあっけないほど簡単に否定されるナルの言葉に項垂れた。一気に萎れた月子の表情を見据え、ナルはそれに付け加えた。
「それに実際に麻衣に憑依しているものが本当に姫神であるか、それを立証することもできない」
「・・・・・」
月子は眉間に深く皺を寄せて瞼を閉じた。
「それならせめて話をさせてくれや」
「・・・・・」
「嬢ちゃんから落とす前に・・・・・おらんようになる前に、頼む。俺と話をさせてくれ」
「・・・・」
「頼む」
ナルはそこで僅かに思案するように唇を指でなぞった。
「憑依状態の麻衣がどのような行動を起こすか、正直予想ができません」
「・・・・」
「僕は生きている人間の人命を第一に優先させます。ですから何者かから危害が加えられる、もしくはそれ以上の混乱が生じた場合は対話を差し置き除霊をします。もちろんその間のことも記録を撮りますので、密室性はなくなります。その条件で良ければできるだけ協力しましょう」
話を聞いたようにみせかけて、しっかり釘を差しこむナルに滝川が場に不似合いな口笛を吹いた。
一瞬月子はそれに気を取られたように惚けた。そしてそれからゆっくりとナルの提示した話を飲み込むように頷いた。
ナルはそれで話は終わったとばかりに組んでいた腕を解き、口笛を吹いた滝川を見遣った。
「ぼーさんは予定通りここに詰めてくれ」
「あいよ。そうだ綾子、おめぇも少しここにいろや」
「えぇ?何でよ」
「一人だとトイレにも行けねぇべ」
「・・・・・」
嫌そうに顔を顰める綾子を置いて、ナルは次に安原に声をかけた。
「一緒にカメラを設置する」
「高感度カメラにした方がいいですか?」
「その必要まではない」
「良かった台数に余裕なかったんですよ。ではこのハンカムに台つけて固定しますね」
素早く踵を返してベースに取って返した安原を見送りながら、ナルは月子を見下ろした。
「ベースのモニタでここの状況は確認できます。麻衣が動いたら出来る限り足止めはしますが、どれだけ時間稼ぎができるかわかりませんので、話がしたいなら一緒にベースにつめてもらうようになります。よろしいですか?」
同意する月子に朋樹と大樹、そして草子と騒ぎに駆けつけた重三がそれに続いた。

 

 

 

 

 

 
その行列とすれ違うようにして安原は廊下に戻り、後に残された滝川と綾子の顔を見比べ含みのある笑みを浮かべた。
その笑みに滝川は情けないような表情を浮かべ、綾子はほっと大きくため息をついた。

 

「つうか、あれってマジ?」

 

口火を切ったのは滝川で、

 

 

 

 

「麻衣がまだバージンだったなんて予想外だったわ」

 

 

 

 

そのオブラートを剥いだのは綾子だった。
単語の衝撃に滝川は一瞬後ろに倒れかけたが、それを凌ぐ好奇心に何とかその場に踏みとどまり、それから三人は噴き出す疑問を矢継ぎ早に並べ立てた。
「お付き合い半年で、色々な目撃談ありますよね」
「そりゃあるわね。まずナルの方は隠そうって気が無いからそれはそれはボロボロ出てくるわよ」
「ですよね」
「坊主が深夜に谷山さんの携帯かけたら、ナルが出たんでしょう」
「!何で綾子までそれ知ってんの?!」
驚く滝川に安原と綾子は互いに顔を見合わせため息をついた。
「だから新年会の席で自分でおっしゃってじゃないですか」
「あの時は私とリンとジョンもいたんだから聞いたに決まってるじゃない。それから何だっけ?秋口に早朝デート見かけたんでしょう?」
「!」
「ああ、あの別荘での調査の時ですよね」
「俺ってそんなことまで言っ・・・」
「はい、涙ながらに文句言ってらっしゃいましたよ」
「しっかしあんたも本気で鈍いわよね。あそこでキスシーン見るまで付き合ってたこと気がつかなかったなんて。あの頃なんてもう随分経ってたわよ」
にっこり笑う安原とあきれる綾子の顔を見比べ、滝川はげんなりと肩を落として壁を向いてしまったが、残った2人はそれに構わず勝手に話を進めた。
「普段から谷山さんは所長のマンションにちょくちょく行かれてましたし、時々昨日と同じ服で出勤されるのを見かけたので、僕はてっきり・・・」
「あら、麻衣ったら迂闊ねぇ。ナルは他人の洋服なんて気にならないでしょうから、本気で気がついてないでしょうけど」
「その辺、所長と谷山さんは本当にお似合いですよね」
善良そうな顔をしてあっさりと貶める安原に綾子はにやりと笑った。
「まぁ見てるのは楽しいわね」
「分かりやす過ぎてちょっと気の毒だったりします」
「1ミリも思ってないこと言わないの」
綾子はぺしりと安原の額を叩き苦笑しながら喘息した。
「だからこそ普段のあのバカっぷるの言動総括したら絶対に麻衣はナルに喰われていると思ってたんだけどなぁ」
「普通そう思いますよね」
うんうんと頷く2人を尻目に、滝川は壁に向かってぼそりと零した。
「だったら一緒に風呂入るとか平気な顔して言うなよな!もう・・・俺は・・・・」
その呟きに綾子はひょっと視線を移し、呆れたようにため息をついた。
「ちょっとなんでそこで坊主が泣くのよ?鬱陶しいわねぇ」
「うっ・・・・」
滝川は心底面白くないような顔をしながら、ごしごしと拳で顔を拭いほっとため息を落とした。
「しっかしまぁ、それでこんな厄介な事態になったというわけだ」
「・・・・そのせいって言うのも語弊がありますけどね」
「まぁな、でもやるこた一緒、これはナルの意見に同意だ」
そして滝川はやおら
立ち上がり、暗い廊下の先に顔を向けた。

 

 
「ナル相手でも十分面白くないんだ
。初対面の神様なんかに麻衣をくれてやるわけにはいかねぇよ