詰め掛けた面々は緊張の面持ちでベースに設置されたモニタを注視していた。
しかして漂う緊張感とは裏腹に、2月の短い日が暮れ、周囲に濃い闇が広がってもまだその画面に変化はなかった。

 

     

            

 

  


#018  その夜
      
    

    

 

 

午後22時21分。
変化のない現状に緊張感を持続し続けるのも難しく、年寄りから順に隣室に準備した寝床で睡眠を取ろうとした矢先のことだった。
ずん、と腹に響く重低音が屋敷の直下から響いたかと思うとすぐ、屋敷は縦に大きく揺れ始めた。 
「こ・・・れ、地震?」
確認するように天井を仰ぎ声を出した綾子に安原と朋樹が返事をした。
「結構大きいですね」
「まだ余震かもしれん、皆重いもんから離れてできたらテーブルの下にもぐれ」 
朋樹がそう言いつつ手直にあった石油ストーブの火を消した直後、部屋は一際大きく揺れ動き、それと同時に部屋中の電気が消えた。
綾子の短い悲鳴と同時に柱や天井が軋む家鳴りがギシギシと悲鳴を上げ、遠くの座敷から瀬戸物が割れる音が響き、直ぐ側ではメインマシンに繋がれたUPSが警告音を発した。
UPSに接続されたマシンとモニタだけが唯一暗闇に光を落とす。
その僅かな光を頼りに、誰もが声も上げずに天井を見上げ、手近なものに手を伸ばし、身じろぎもせずに上下に揺れる振動を見守った。
揺れは地鳴りと共に徐々になりを潜め、程なくして止まった。
その直後に隣室に続く襖が乱暴に開けられ、細い光の影に寝巻き姿の重三と草子が顔を出し、声を上げた。
「今、揺れたやろ?」
重三の短い声で沈黙の糸が切れ、息を詰めていた面々もまたそれぞれに声を上げた。
「大丈夫ですか?」
「ああ・・・平気や」
「誰か怪我したりしてるか?」
「大丈夫です」
「平気や」
「これで・・・・終わったのかしら?」
「まだ分かりませんよ。気をつけて下さい」
「感触的には直下型やったな。あれが本震でもまだ余震があるやろう」
「滝川さん大丈夫でっしゃろか?」
「ああ、そういえばそうですね」
「僕、ちょっと見てきます」
廊下側にいたジョンが腰を上げ、その場の襖を開けた。が、その先の廊下もまた停電しているらしく、1m先も見えない墨を流したような濃厚な夜闇が落ちていた。
「懐中電灯持って行ったほうが良さそうですね」
安原はそう言うと手探りで荷物の中から懐中電灯を取り出し、それをジョンに手渡した。ジョンはそれを受け取ると直ぐに踵を返して部屋を出て行った。
その背を見送りながら、ナルは警告音を発し続けるメインマシンに近付いた。
「リン、どうだ?」
問われ、一番最初にマシンに向かっていたリンは軽く首を振った。
「停電のままです。エラーメッセージが入って制御が取れなくなっています」
「ブレーカーはどちらですか?」
次の問いかけには部屋の奥にいた大樹が答えた。
「土間の裏口や。けど、ここのは安全装置やら何やら付いてない旧式のや。さっきのタイミングで落ちたんやったら、もしかしたらどっかのケーブルが外れたかもしれん」
「ケーブル?」
「島は自家発電の電力なんや。それで発電所は山向こうにある。そこからひっぱってるケーブルは地面の中を這わせてるわけやないからな、台風とかでもさっきみたいによう切れるんや。まぁそれでも日が出たら直せるけどな」
大樹はそう言うと大儀そうに腰を上げ、安原に声をかけた。
「まだ懐中電灯あるなら貸してくれ」
対して安原は困ったように唸った。
「すみません、この間の遭難騒ぎで乾電池式のは全部使えなくなっているんです。充電式のはさっき渡した一本しかないんですよ」
大樹が不愉快そうに顔を顰める横で、月子が顔を上げた。
「何、すぐ戻ってくるやろう。それを借りたらいい。ついでに神棚にお道明があるやろうから、それとマッチ持ってきたってや。ケーブルのせいやったら、それで一晩しのがんといかんやろうし」
交わされる会話にナルはため息ともつかない相槌を付くと、リンを仰ぎ見頷いた。
「別電源のカメラは動いているな?」
「ええ」
「ではUPS稼動中に一度バックアップして電源を落とそう」
ナルの指示を聞き終える前からリンは素早くキーボードを叩き中央の画面を素早く切り替えた。そして必要なコマンドを全て打ち終え、マシンが命令を処理している最中に背後を振り返り呟いた。
「間もなく明かりが消えます」
それを聞くと、大樹は廊下から向きを変え窓辺に近付き、何をするのかと視線で尋ねる朋樹に、詰まらなさそうに答えた。
「今晩は月が出とった。雨戸開ければ、ちょっとの明かり取りぐらいできるやろう」
そうして大樹は老朽化し、建付けの悪くなった障子とガラス戸をガタガタとこじ開け、さらに滑りの悪い雨戸に手をかけた。
冷たい隙間風がひゅうとその間を抜ける。
同時にメインマシンの処理が終わり、パソコンから発せられていた光が消えた。そうして落ちた暗闇の中、冷たい外気に身を震わせながら、草子は大樹の方を見つめ、心細そうに小さな声で囁いた。
「波・・・また来るんやろか?」
ガタリ、という大きな音と共に雨戸が開き、弱々しい月明かりがベースに差し込んだ、その時だった。
 
 
 
「来んよ」
 
 
 
ぞくり、と、背筋を撫でる、冬に差し込む隙間風よりまだ冷たい声がベースの中央から発せられた。
慌てて声のした部屋の中央、ちょうど細い月明かりが照らす場所を振り向くと、そこにはいつの間にか麻衣が立っていた。
驚きに心臓が跳ね、冷やりとしたものが頬を撫で、堪らずくっと息を呑む。
が、ベースに居残った面々ができたリアクションはそこまでだった。
気がつけばまるで悪夢の中にいるかのように、手足は硬直し思うように動かず、声を上げようとしても喉元に綿でも詰まったかのように息がつけず声を上げることができない。辛うじて動く視線だけで部屋の中央にいた麻衣を追うと、紺地の着物を身に付けた麻衣は窓辺にゆっくりと歩み寄り、大樹が開けたばかりの窓越しに外の月を見上げ言った。 
「まだ揺れる」 
言った端から再び屋敷はカタカタと家鳴りを始め、次に地の底から湧きあがるような低音が聞こえたかと思うと屋敷は大きく縦に揺れた。
けれど今度の揺れは先よりは短く、ほどなくしてまた何事もなかったかのように静まった。
揺れがしっかり収まるのを待ってから、麻衣は窓から視線を外し、くるりと部屋の中央に向き直ると満足そうにゆたりと微笑んだ。
「もう揺れん」
そしてそう言うと上座に敷いた座布団の前に腰を下ろし、すぐ脇にいた月子の袖を引いた。
思いの他強く引かれたそれに引き寄せられるように月子はその場に尻餅をつき、誰も声すら発せられない中、恐る恐る顔を上げた。
「なぁ、今日はお正月さんやろう?何で俺のお膳が出てこんのや?」
そして見上げた先で不愉快そうに顔を顰めた麻衣の問いかけに、月子は眩暈を起こしながらもゆっくりと深呼吸をし、返事をした。
「まさか姫神さんがおいで下さるとは思うてなくて、失礼しました」
震える月子の声が嫌に扁平にその場に響いた。
極度の緊張が伺えるその声に対して、麻衣はゆったりと、まるで平素の月子を真似たように余裕たっぷりの態度で首を傾げ、それからややあってため息を落としつつ呟いた。
「始末悪いなぁ」
「・・・・すみません」
次第に声が小さくなる月子に、麻衣はさらに詰るように言い募った。
「俺が先の20年おらんかったのも、お前達の始末が悪いからやないか」
ビクリと月子の両肩が震えるのを見咎め、麻衣はそこでようやく満足そうに口元に笑みを乗せた。
「俺をこの島に留める方法はちゃんと伝わっておるんやろう?約束事は守らんと
そんなんやったらまた俺はここにおらんようになる」
はっと顔を上げる月子に、麻衣はそこでまたさらにうっそりと微笑んだ。

 
  
 
「それとも、それがお前の望みか?」

 
 
 
ざわりと、神経を素手で撫でるような冷気を孕んだ笑みを浮かべたまま、麻衣はそれだけ言うと、足音もなくベースを横切り、月明かりも届かない黒に塗りつぶされた廊下に姿を消した。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

奥座敷とベースを繋ぐ廊下は一本しかないというのに、廊下の前で張っていた滝川はおろか、そこに明かりを持って向かったジョンも麻衣の移動には気がついていなかった。
その報告を受けた直後、草子は重三と示し合わせるように顔を見合わせ、震えるような声で月子に麻衣が本当に姫神なのと繰り返し尋ねた。その神経を逆撫でるような、か細く囁かれる媚びるような声に、朋樹は堪らないといった体で声を荒げた。
「冗談やない!あれを姫神さんやっていうのか?!」 
思いの他強く出た声に、朋樹は自身でも驚いたように口元を歪めながらも、そのままの勢いで月子につめよる草子と重三を叱り飛ばすように睨みつけた。
それに対して、草子はむきになったように言い返した。
「そやって、嬢ちゃんはきれいな島言葉使ってやったやないか」
「それが何や?!」
「姫神さんの飾りやて、お膳のことやて嬢ちゃんは分かりません。それをちゃぁんと知ってた」
「偶然やろう」
「偶然でここまでうまいこといきますか!」
「偶然や。草ばばちゃんやって、ついさっきまで嘘や言うてたやないか!」
「そやって・・・・・さっきの地震かて分かったやないの・・・」
「地震がなんや?それが何の証拠になるんや!それに姫神さんになったからって人格までがらりと変わるんか?先代はあんな人やなかったやないか!あんなん姫さんの真似してるだけやろう」
「昔のほんまの姫神さんは人が違ったようになるって言われてる」
「そんなん昔話や」
「そやかて、嬢ちゃんは忌み嫌いにまでなってるやないの。今までとは血筋も違う。そやから、昔言われていたみたいになってもおかしいことないんやないの?」
草子は自身の言葉に自分を納得させるように頷き、次第に語調を強めていった。
「そうや・・・・そうやないの。そやって島にはもう姫神さんの子はないんやから、誰か別の娘に移らんといけんやないの。そうや、そやって姫神さんは戻ってらっしゃったんや。ここは姫神さんの島やもの。姫神さんがこの島を見捨てるわけなんてないんやから!それにこの姫さんが、嬢ちゃんに姫神さんがおる言うてるんや。この姫さんがや!」
頬を染め、見る見るうちに喜色に目を輝かせる草子に、朋樹は吐き捨てるように叱り飛ばした。
「ああそうか!そうかもな!!けど、今更そうだとして何になるっていうんや?!」
「・・・は?」
「だから、本当の姫神さんがここで何をするっていうんだ?!薬草も魚も取れん!学校もない!養老園もない!何より島民ももういないこの島で何がどうなるっていうんや?」
「そんなん簡単や、姫神さんが元に戻してくれる」
「・・・・・」
「姫神さんがおらんから、こんなことになったんやないの」
思わず絶句する朋樹を他所に、草子は勢いついてまくし立てた。
「ほれ、地震でうまいこと元に戻してくれるんかもしれんやないの。そりゃ、明日明後日にどうにかなることやないやろうけど、姫神さんがおったら、幽霊なんて薄気味悪いのもおさまるやろう。島が元に戻っていったら、外に出てった人間かて皆戻ってくる。皆かて誰も好き好んで島を出て行ったわけやないもの。喜んで戻ってくるに決まってる。なぁ?」
草子はそう言うと重三の元にすり寄り、その手を乱暴に叩いた。
「な、そうなるやろう?」
「・・・・そうはうまいこといかんやろう」
「簡単にはいかんやろう。そやけど、姫神さんさえおったらいいんや」
「草・・・・」
「なぁ、そうや・・・嬢ちゃんにずっとここにおってもらったらいいんや。嬢ちゃんな、親御さんおらんやって。親戚もおらんやて。嬢ちゃんが次の姫神さんになるんやったら、嬢ちゃんは姫さんの子どもや。そしたら俺らで今までみたいに面倒みればいい」
「・・・・」
「ああ、でも約束事ちゃんと守らんといけんのやったら俺らがこのまま世話するのはまずいか。そしたら、村主の親戚から適当な女の子を樹にして、従者役をしてもらわないけないな。なあ、トモさん。そしたら早く従者役決めんといけんね。ああ、それより先に婿役を探さないといけんな。今日は元旦やもの。陽の神さん降ろして婚姻の式を挙げるのに、もう6日しかない。けど、トモさんとこの子はまだ小学生やろう?いくらなんでも若過ぎるしなぁ・・・・何より年男やないから無理やもの」
「草ばぁば!!」
それまで黙って聞いていた大樹がそこで朋樹に劣らぬ低く強い怒声を上げて草子をいなした。
草子はその声に一瞬驚いたように大樹の方を振り返り口を噤んだが、苛立ちも顕わな大樹の顔を見上げるとすぐに相好を崩し、今度は大樹の方に擦り寄って大樹の両腕を掴んだ。
「そうや・・・・・ダイがおったやないの」
「草ばぁば?」
草子は掴んだ両腕に爪を立て、力を込めた。

 

 

 
「ダイ、お前かて立派な樹の人間や。それに今年で36歳の年男や。婿にちょうどいいやないか!」
  

 
 

喜色を孕んだ草子の声に、大樹だけでなくその場にいた全員が反応し切れず声をなくした。
そうして気まずい空気が流れる中、見かねた重三と大樹が引き摺るようにしてベースを後にするまで草子は大樹の両手を跡が付くほどしっかりと握ったまま嬉々として同じことを繰り返した。 
「まるで計ったようやないの!嬢ちゃんがダイを婿にして、子を産んでもらったらいいんやないの!そしたら嬢ちゃんは本当の姫神さんになれるし、次の姫神さんもできる!約束は全部うまいこと守っていけるやないの!そうしたら島はまた元みたいに戻れるんや」 
歓声であるはずのその声は、まるで悲鳴のように鈍く、深く、胸を突き、その場の空気を深く抉って致命的なまでに損なわせた。