ろうそく片手に一人ベースに帰ってきた大樹を見据え、月子は億劫そうに声をかけた。
「草ばぁばは?」
その問いかけに、大樹は痛いような難しい顔をしてため息を付きながら応じた。
「気が静まらんから、薬飲ませて眠らせた。後はおんちゃんが看るて」
「それがいいやろう、草ばばちゃんは少し黙らせておけ」
鬱陶しそうに手を振る朋樹に、月子は視線を反らすようにして重ねて尋ねた。
「おんちゃんは・・・・・何か言うてたか?」
恐れるように遠慮がちに尋ねられたそれに、大樹は首を横に振った。
「別に・・・」
「無視かい」
「何か言いたそうにはしてたがな」
「・・・・・」
黙り込んだ月子に対して、大樹はそこで小さく鼻を鳴らした。
「こんな時に実際に口に出して言えん様なもん、聞いてやる義理ないやろう」
どこまでも不遜な大樹の言い草に、横で眉間に皺を寄せて聞き耳を立てていた朋樹がくつりと笑った。その小さな笑い声に滞っていた何かが一気に溶けた。それに朋樹は肩の力を抜いて軽口を叩いた。
「ダイの言う通りや。それに草ばばちゃんにしたって、あんな世迷い事、耳を貸す必要はないやろう。それとも何か?姫さんは草ばばちゃんが言ったようにするつもりか?」
どこか小馬鹿にしたような朋樹の言い草に、大樹は不愉快そうに顔を顰めて月子の代わりに応えた。
「何もそうは言ってないやろう」
「曖昧な態度はそういう風に見える言うてるんや」
「見る目がないんやろう」
「シンプルに、現実的に考えて、はっきりとした行動をするべきや」
「つまりなんや?」
目に見えて分かるほどイラつく大樹に、朋樹は何を怒るんだと肩を竦め、何でもないことのように淡々とした口調で続けた。
「あれが姫神さんやろうが何だろうが、俺には全く分からんし、今になってそんなもんの存在に意味があるとは思えん。けどなそんな本当におるのかおらんのか分からんようなもんで、今更島が元に戻るわけないってことだけは分かる。そんなもん当然や。そうなれば、今更新しい姫神さんはいらん。俺はあんなん無視するのが一番やと思う」
「・・・・・トモ兄らしいな」
言いにくいことをはっきりと断罪した朋樹の弁明に大樹は呆れた声を上げた。それに対して今度は朋樹が眉間に皺を寄せ唸った。
「ダイはどうなんや?お前かて、草ばばちゃんの言うこと丸飲みなんてしないだろう」
「そらな」
「それじゃ俺と一緒やないか」
「一緒とは違う。俺は自分がどう思おうとどうでもいいんや。俺は月子の思う通りでいい」
そうしてこれまたはっきりと言い切る大樹に朋樹は眉間の皺を深くしため息をついた。
「お前かてどんなもんや。少しは自分の考えを言え」
「押し付けは好かん」
「あのなぁ・・・」
それぞれのそれぞれらしい言い分に、月子は瞼を閉じたまま耐えられないと言った様子で微笑み、ごく小さく頷いた。
#019 いい子
あっけに取られてぼんやりと3人を見つめる滝川の視線に気がつき、月子はぎこちなくも微笑んで肩を竦めた。
「ほれほれ、トモ兄さんも大樹も、大人がいんと思って面ぁ外すな。お客さんがびっくりしとるやろう」
月子はそう言うとその場に足を崩して座り込んだ。
そして草子と重三を大人と位置づけた月子はそこでまるで子どものような表情を浮かべ、一連の騒ぎの最中も顔色一つ変えようとしなかったナルを正面から見据え口を開いた。
「悪いな、ちょっと動揺してトモ兄さんも大樹も子ども返りしてしまったんや」
「どういうこと?」
素直に驚き目を丸くしていた滝川に尋ねられ、月子はころころと笑った。
「俺たち3人とも本当はとっても口が悪いし、考え方もかなり酷いんや。しかもそう考えているのをどこかで得意になってる悪い癖がある」
月子に指摘され、朋樹と大樹はそれぞれにバツが悪そうに顔をそらした。それを横目に月子は笑い続けた。
「多分俺たち3人の根っこは一緒の性質なんや。腹が黒い。けど、俺たちは生まれた時からこの島では特別な子やったから、小さい頃から島に役立つようにとばかり躾けられた。そんで、幸いなことに俺たちは島が一番大切やったから、それが辛いことではなかった。腹黒いのも島のために使い分けて、子どもの頃から島の役割はちゃんと肝据えて弁えて、そのように振舞っていた。そやから大人から見たら、俺たちは本当にいい子やったし、今でもいい子のまんまや」
月子は懐かしむように目を細め、それから仕方がないなぁと苦笑した。
「それにもういい大人やからな。普段はここまで地を晒すことはないんやけど、トモ兄さんも大樹も動揺したんやろう。地が出た」
そうして月子はゆっくりと笑みを消し、言った。
「あそこまで派手で、怖いもんやとは思わんかったが、やっぱり気配が一緒や。えらい懐かしかった。嬢ちゃんには今、確かに姫神さんが付いておられる」
「・・・・」
「トモ兄さんも大樹も俺と同じ感覚はないけど、先代の姫神さんは知っとる。それで嬢ちゃんの雰囲気に驚いたんやろう」
「・・・・」
「草ばぁばが騒ぎ立ててすまなかったな。けど、名実共に姫神さんがおられんようになる時に、タイミング良くおいで下さった。これは本当に奇跡的なことや。何で部外者の嬢ちゃんに姫神さんが付いてしまわれたんかは分からんが、姫神さんのご威光を信じる人間にはえらい魅力的な事態や。あぁ考えてしまうんも仕方がない所はある。俺かて、分かった瞬間は取り乱した。追い張ろうてしまったら、もう本当に次はないような気もするしな。草ばぁばのことは・・・年寄りやと思って大目にみてくれや」
昼間とは違ってすっかり落ち着きを取り戻した月子に、綾子は苦しいような胸騒ぎを覚えて思わずその側に寄った。
見上げる不安そうな綾子の視線に、月子は視線をナルから外し、綾子に向けてくしゃりと笑った。
「大丈夫やよ、お前さんらの子を取り上げたりせんよ」
「・・・・けど・・・・・」
それでいいのかと、自分が言うのもおかしな話だけれど、綾子は思わず喉までせり上がった言葉に詰まった。これほど理性ある大人の女が取り乱すほど、月子は姫神に執着していた。そしてそれはしごく最もなことのように思えて、同情すらできた。それなのに一朝一夕に気持ちを切り替えることなどできるものなのだろうか。これは、現実的にあろうとする月子の精一杯の虚勢ではないのだろうか。その後、月子は激しく後悔するようなことになるのではないだろうか。
去来する疑惑に混乱し始めた綾子を見据え、月子は慰めるように肩を叩いた。
「トモ兄さんが言うとおりや。今更姫神さんが戻られても島は戻らん。それでも・・・・俺の本音を言えば、姫神さんを降ろした嬢ちゃんは喉から手が出るほど欲しい。けど、この島で姫神さんになる言うことは、少なくとも20年はこの島から出られんことになるし・・・草ばぁばが言っていたように村主の人間から婿を取って、次の姫神さんになる子を作らんといけんことになる。そんなこと、恋人のいる女の子に強いるのはあまりに可哀想やろう」
月子はそう言うと、そんなことまで知っていたのか、と不思議そうに自分を見つめる綾子らと、そうなのか、と新たに驚く朋樹と大樹の顔を見比べ、肩を竦めた。
「そらそうや。恋人でなかったら、嬢ちゃんが姫神さんの条件に合うかどうかなんて個人的なこと、口に出す方が変やろう。なぁ、渋谷さん?」
その場で赤面したまま激しく咳き込み始めたジョンと滝川とリンを据え置いて、ナルは気のない素振りで首を傾げた。その不遜な態度を横目に見て、月子は口角を三日月形に釣り上げた。
「その上で人命を優先させるの、立証ができないのと正論を畳み掛けて、不自然ではない形で嬢ちゃんの拘束をさせまいとする口車は見事やな。咄嗟のことやったのに、後から言い訳できんように逃げ道を確実に塞いでるんやから見事なもんや。お前さんよっぽど頭が回るか、セコイかのどっちかやな。しかもそれを混乱状態の俺にするあたり、容赦ない。涼しい顔しとるが、彼女が大事なんやな」
挑発的に目を細める月子に、ナルはその整い過ぎた顔の表情を1ミリも動かすことなく、ごく自然に上向かせ、凪いだ瞳で見つめ返し低い声で返事を返した。
「今更そのようなことを言われても、未練がましい言い訳にしか聞こえませんが?」
滑らかな口調でも誤魔化し切れない毒舌に、思わず息を呑む周囲の者をおいて、月子は満足そうに頷いた。
「度胸のある人間は好きや。話が早くていい」
そう言うと、月子はやおら立ち上がり、着物の袖に腕を通した。
「お前さんの言うとおりやることは決まっとる。嬢ちゃんから姫神さんを落とすことや。
俺は姫神さんの行事で島で死んだ人間を慰める方法は知っていても、よもや姫神さんを落とす技までは知らん。そやからそれはお前さんらに任せないけんことになるな。20年ほったらかしになっていたとはいえ、姫神さんは何百年もずっとここで拝まれていた神さんや。ようよう簡単な相手ではないやろうけど、うまいこと嬢ちゃんから落としてやるんやな。そうしてちゃんと連れて帰ってくれ。それで今度こそ姫神さんが二度と現れんようになっても仕方がないことや。俺が依頼したんはあくまでここの島の記録や。人攫いやない」
そして月子は深く息を吸い込み、一息に言い放った。
「姫神さんを殺す責任は俺が取る。俺かて最後の姫神の子や、それくらいの価値はあるやろう」
その真意は図りかねたが、深刻な月子の雰囲気だけでその場の空気は凍りついた。
「まるで遺言みたいだな」
その氷の層を齧るように滝川がちゃかしたが、1度凍りついた空気は中々温まろうとはしなかった。
軽口は無残にも地に落ち崩れ、滝川は居心地が悪そうに口を横に結んで助けを求めるように視線を彷徨わせたが、その相手たる安原や綾子は素早くその視線を不自然でないように反らしていた。
恨みがましい目で滝川が顔をそらしたままの安原の背を睨んでいる中、ただ一人、その雰囲気に全く関心を払わない人物が口を開いた。
「そうはいきません」
集まる視線の中、ナルは淡々と続けた。
「僕は生きている人間の生命を優先させると言った。それには第一に依頼人の安全も含まれています。神を相手にして、簡単に責任など取ってもらっては困ります」
そうしてぐるりと周囲を見渡し、にっこりと微笑んだ。
「まがりなりにもここにいる人間はそういった手合いを相手にするプロの看板を背負っています。何らかの形を持って、安全に事が推移するよう、事態の解決を図りますよ」
余裕すら垣間見える落ち着き払った声は、何か色々なもののを逆撫で、プロと呼ばれた面々は難しいような、面映いような、それでいて決して愉快ではない表情を浮かべて互いの顔を見比べたが、安原だけはその竦み合いから逃れて朗らかに微笑んだ。
「それはそうですよ。何と言っても僧侶に道士に巫女に司祭様と、バリエーションは豊富ですしね」
うんうん、と頷く安原に滝川は面白くなさそうに顔を顰めた。
「神様相手なんだぞ?そう簡単に言うなやな。神様っていうのは難しいし、強いもんなんだよ。そんじょそこらの霊を浄霊するのとは訳が違うんだからよぉ」
「そうよ、しかもこの島の樹は私の言うことなんて全く答えてくれないし。まぁ使えたとしても神様相手なら、できることなんて何にもないんだけどさ」
「俺だってどこまで自分の方法が通用するかわかんねぇよ」
堰を切ったように文句を並べる滝川と綾子を見返し、安原は「え〜、でもぉぉ」と、シナを作り、頬に指を当てて囁いた。
「ノリオも松崎さんも谷山さんを一人、見捨てるなんてことはしないでしょう?」
「ば・・・っかじゃないの!」
「んなことするわけないだろう!!!」
そして同じタイミングで言い返してきた大人2人を見比べ、にっこりと今まで以上の笑顔を作った。
「だからきっと大丈夫ですよ。谷山さんを助けるってことはそのまま月子さんの安全も確保しなくちゃいけないってことと同じ意味ですからねぇ」
自分だけ救われたなどと知ったら暴れまわって抗議しそうな麻衣の姿がリアルに想像され、腕組みをしたまま滝川と綾子は複雑そうに顔を歪めた。その表情に安原は我が意を得たりと頷き、それから軽い調子で続けた。
「お2人とも信頼してますからね、頑張って下さい。あ、それからもちろんブラウンさんやリンさんも期待してますからね。僕は、岩場の影から精一杯応援させてもらいます」
どこからともなく失笑がもれた。
そのひそやかな笑い声を背に、滝川は眉をへの字に曲げ、それでも口の端を釣り上げ笑いながら月子を見上げた。
「ま、そんなわけだ」
「・・・・」
「だから、大船とまではいかねぇだろうけど、そう悲観すんなやな。一応、頑張ってみっからさ」
パンパンと、調子付けのように肘を叩く滝川に、月子はそれでも悲しそうな顔をして首を振った。
「そんなこと言っても、相手は神さんや。下手に手を出せば祟るやろう」
そりゃそうだろう。と、滝川は月子の心配に簡単に首を縦に振った。けれどその直後ににんまりと笑ってこうも言った。
「それは怖い。けど、やんなきゃいけないわけだし、下手をしなけりゃいいってことだ。その点は正体が分かっている分、方策は取りやすい」
したり顔で頷く滝川に朋樹が口を挟んだ。
「罰なんて本当にあるのか?」
その疑問に、滝川は何とはなしに周囲を見渡してから、ふむ、と顎を指でなぞった。
「それが罰かどうかは言葉の定義の問題として・・・・俺の経験談とかでよければ、祟りや呪いっつうのは現実にあるよ」
「・・・・・例えば?」
「俺たちがこのチームでやったものの中では、関係者を一人ずつ殺していく神様ってのもあったな。その家の小さい女の子の首にぐるっと痣を作って、背中に火傷痕みたいな戒名を書かれたりしてた」
「それはみんな罰だったってのか?」
ごくりと、息を飲む朋樹に滝川は肯定するように瞼を閉じた。
「結果的にはね。祖先が神主だったんだけど、時代の流れで廃れて、奉っていた神様を忘れたんだ。それで祟り始めた。その間に術が入るか入らないか、相手が生きているか死んでいるかはその時々だけど、まぁ・・・ごく一般的に考えれば、もともとの超常的な能力があるもの、年期の入った強い意思を持ったものほど、その効果はでかい。少なくとも、何百年も神様として奉ってきたものが相手となるなら、そのルールを守らんと、反発はそれ相応のものと覚悟しとかないといけないだろう。何でか、戦後の日本では神仏に畏敬の念を持つっていうのはカッコ悪いことのようにされているけど、これは理に適ったことではあるんだよ」
不愉快そうに口を閉ざした朋樹の真横から、大樹がやけにきっぱりとした口調で口を挟んだ。
「それならおっきな祟りなんか起きやしない」
虚をつかれ、目を丸くする滝川をしばらく見据え、大樹は次いで月子の方に顔を向けた。
「何百年もこの島で拝まれた姫神さんは20年前に死んだんや。今の姫神さんは新しく生まれたようなもんや。その理屈で言うなら大した力もないことになるやろう。本当に祟るなら、20年前姫神さんを殺したもんが祟られるはずや。そやから、月子が姫神さんを殺すことなんか背負うことないんや」
再度、放り投げられるようにして訪れた沈黙の中、大樹は無言でジョンが持ち帰ってきた懐中電灯を手に立ち上がった。
「大樹さん?」
「電気みてくる」
大樹は言葉少なにそう言うと大股で部屋を横切り、廊下に続く襖を開けた。その大きな後ろ姿を見上げ、朋樹はまだ不機嫌そうな顔で声をかけた。
「ダイ、ついでにおんちゃんにバレないように電話のコード引っこ抜いとけ」
「・・・・」
「この事、外に漏らすと面倒になるやろう。草ばばちゃんを口止めするより、そっちの方が早い」
気だるげなその声に、滝川が驚いたように肩を揺すり、朋樹はそれに肩を竦めた。
「 分を弁えた "いい子" でいるための方便や 」
呆れたのか、はたまたその言い草が懐かしかったのか、大樹は朋樹の態度に僅かに頬を緩め、踵を返して早々にベースを出て行った。
そうしてそれきり、大樹はベースに戻って来なかった。