大樹が指摘したとおり、屋敷内のブレーカーは落ちていなかった。
そうなると停電を解消する為には1度山向こうの発電所の供給を止め、原始的に徒歩で電線沿いを伝い歩き、寸断された電線を修理する必要があった。
電源を確認してくるとベースを出て行った大樹は、ブレーカーを確認した後、土間の勝手口から外に出て行った形跡を残していた。
しかし、通常であれば発電所までは車で向かうはずなのだが、車は車庫に残されたままで、勝手口から付いていた足跡も浜に降りて行く他の足跡に紛れ、どこからともなく追えないようになっていて、そのまま、大樹は姿を消した。
冬の遅い陽が昇るのを待ってから、屋敷に残された人間総出で、粗末な掘っ立て小屋にしか見えない小さい発電所から、屋敷に続く電線が渡してある道、その周辺と手分けして大樹の行方を捜したが、狭い島の中でその姿は見つからなかった。
 
   

  

             

 

  


#020  探 索
      
     

    

 

 

 
「後、探してないんは、深山さんと本当の崖っぷちやろうな」 

一番に島中を駆け回って大樹を探した月子がそう言うと、
重三が難しい顔をしてそれを止めた。
「この雪や。そんなとこぉ危なうて入っちゃられんやろう」
「そやって・・・」
イライラと爪を噛
む月子に、ナルが一歩前に出た。
「後一つ、探していない場所があります」
「え・・・?」 
そんな場所がどこに、と、眉を下げる月子に、ナルは淡々とした口調でそれを告げた。

 

 

 

 
 
「奥座敷です」

 

 

 

 

ナルに指摘され、初めてその場所に思い至ったといった顔をした月子は、その直後に集団の先頭を切って自身の居室であった奥座敷に向かい、麻衣の動向を見張っていた滝川とジョンの横を縫ってただ一人扉の前に歩み寄った。
雨戸が固く閉め切られている今、その奥座敷への出入り口は一本きりの渡り廊下の先、小さな扉しかなかい。月子はその状態を確認したが、扉は昨日と同じように中から鍵がかけられていてびくともしなかった。
「変わりなし・・・・か。そりゃずっとここで張ってるのに出てきてないしな」
 
「いくら神憑りとなっても、もう夕方ですよって、谷山さんもいい加減お腹空いて出てきてもいいような気がしますけどねぇ」
すぐさま渡り廊下の出入り口に戻ってきた月子に滝川とジョンはそれぞれに声をかけた。
「リンの式は?」
「残してもらってるけど、何も報告ねぇよ」
そうして駆けつけた滝川と綾子の会話に、月子は何かを確認するように目を細め、しばし悩んだ後に顎を擦りながら呟いた。
「鉈が一番早いやろうな」
「あ?」
「鉈?」
そうして何でもない事のように断言した。
 
「扉を壊すんや」
 
 
突然の、思い切りの良すぎる月子の提案に、何事かと囲炉裏端から様子を伺っていた重三と草子は悲鳴に近い声を上げ身を乗り出した。
「な・・・なに言い出すんや!」
「できません!そんなことできるわけないやろう!?」
「そやってそれしか方法はないやろう」
強固に反対する重三と草子を軽くいなして、月子はさっさと納屋に取って返ししまいこんでいた古びた鉈を自ら担いで戻ってきた。そうして目をむく綾子らに薄く笑った。
「この部屋はどんずまりや。部屋の奥に洞はあるが、そこも岩に囲まれて行き止まりになってる。
外に通じる出入り口はこの扉とそこの縁側だけ。けど、扉は渡り廊下を渡らんといけんし、縁側から出るんやったら雨戸を開けて渡り廊下真正面の脇道を通らないといけんから、出入りがあればすぐに分かるようになってるんや。まぁ・・・・そない言っても、昨日の晩は嬢ちゃんが突然大広間に出てきたからな。今更そんなん関係ないのかもしれんがな。唯一まともに出きりできる扉は頑丈そうやからな。これでもないと壊れん」
「姫さん!!」
「ブラウンさんが言うとおりや。いくら姫神さんが付いた言うても、嬢ちゃんは生身の人間や。腹も空くやろう。このまま何日も篭城されては嬢ちゃんかて具合悪い。それこそ中で倒れて死なれたら困るやろう?」
「・・・っっ!」
「それにこのタイミングで大樹がいなくなったのもどうしても気になる。俺にはこれが無関係だとはどうしても思えないんや」
月子はそう言うと着ていたダウンコートを脱ぎ、傍らで手を差し出したナルにそれを渡した。
「大樹がおらん今、この先に入っていけるのは俺しかおらん。俺が扉を壊して探してくる」
そして手早く着物の袖を紐でくくり、作業しやすいように身支度を整えた。
「・・・それにしたって・・・・そんな罰当たりな・・・」
「俺に当たる罰なら別に構わんよ」
麻衣の危険性を指摘されて勢いを失ったものの、不安を隠そうとしない草子に憎まれ口を叩きながら、月子は自分から視線を外そうとしないナルを見返し、ささやかに微笑んだ。
「何も心配しないでいい。例え大樹がおらんでも、嬢ちゃんをここまでお連れするから。そしたらお前さんらが手当てしてやり」
「異変があればすぐ引き返してください。深追いは禁物です。声を出せない場合は、何でもいいので叩いて音を立てて下さい。その時は踏み込みます」
自分の覚悟も、頑なに守っている風習も全部無視して、あくまで無感動に淡々と答えるナルに、月子は一瞬間言葉をなくしたが、直ぐに調子を戻して片方の口の端を釣り上げた。
「そんなん言ってると罰が当たるぞ」
だが、そんな揶揄にしてもナルは軽く受け流し、これもまたささやかに、しかしながら嫌に艶やかに微笑んだ。
「受けて立ちましょう」
「・・・・・そら、頼もしい」
月子は肩を竦め、それからひらひらと手を振りながら、肩に鉈を担いで渡り廊下を進んだ。 
 

 
 
 
  

 
 

渡り廊下の突
き当たりを曲がれば直ぐにその扉はある。
月子はそれを無感動に見上げ、一息ついてから鉈を振るってその大掛かりな扉を壊し始めた。
歴代の一族が大切に守ってきた扉は、昨日の手前の扉のように帯電こそしていなかたが見た目通りに頑丈で、ふらつきながら振り下ろす鉈では簡単に破壊されることなかった。

けれど月子は肩で息をしながらも的確に鉈を振るい続け、数十回それを繰り返した後にようやく拳大の小さな穴を開けた。
月子はそこで重い鉈を廊下に放り出し、小さな穴から腕を差し入れ、器用に手を返して中の錠を外した。コトリ、と、小さな音がして扉は僅かに傾ぐ。そこで月子は腕を引き、開いた穴に手を
かけた。
「失礼します」
月子ははっきりとした宣言とともに扉をゆっくりと横に引いた。
するとその視線の先に、見慣れた十二畳程の広い一間が姿を現した。
部屋の中央では常識外れに巨大な火鉢が赤々とした炭を燃やし、部屋を温めていた。
渡り廊下に続く扉は部屋の西側に位置しており、その脇には鮮やかな紫色の着物が掛けられた衣紋掛けと年代物の大作りな箪笥や鏡台、反対の東側には二間分の押入れ、その脇に文机、北側には同じように頑丈な作りの扉、南側には雨戸によって閉ざされた障子窓、その前にはちゃぶ台と喰い散らかされたお膳がどこか余所余所しい面持ちで並んでいた。
お膳は大晦日の晩に氏神用、先祖用と2膳並べておいたのだが、そのどちらも今は空になっていた。が、それ以外に取り立てて部屋の様子に変化はなく、そこに大樹の姿はおろか、部屋にいるべきはずの麻衣の姿もなかった。
月子は怪訝そうに顔を顰めながら慣れた足取りで部屋に入ると、まず手始めに東側の押入れを順に開けて中を確かめた。が、そこにも無論麻衣や大樹の姿はなかった。
「子どもの隠れ鬼でもあるまいしな・・・」
月子は自嘲気味にそう言うと、次に本命の部屋の北側にそびえる扉の前に移動した。
蔵への出入り口を思わせる重厚な扉。
これは座敷を隔てる扉よりもより大切なものとして扱われていた。
その先にはずっと以前の姫神が鎮座し、暮らしたと伝わる洞がある。
 
―― おるとしたらここやろう。
 
月子はいささか緊張した面持ちで、こちらは正規の手順で複雑に細工された鍵を開けた。
洞は魂代えの忌み嫌いの時に母子が2人で篭る神聖な場所で、そもそも姫の屋敷とはこの洞を覆うようにして作ったものだった。
しかし伝説にある神聖な場所とは言っても、その洞自体は人一人がようやく通れるような狭くて細長い通路の先に、ぽっかりと四方をむき出しの大岩に囲まれた四畳半ほどの大きさの部屋があるだけの極めて簡素なものだった。
日の光が一切差し込まないそこは、歴代の姫神が焚き染めた薬草の臭いが染み込み、篭った湿気と共におかしな臭気を漂わせ、そこそこに雰囲気を出してはいる。
だか、それだけと言えばそれだけのものだ。
それにも関わらず、怖いもの知らずだった幼少期からずっと、月子はこの場所が苦手だった。
姫神の役職に昇ってからもその苦手意識は払拭されることはなく、月子は正月に扉を開ける他は極力扉を開けないようにし、中に入る時は余計なことは一切せず、出来る限り視線を床に固定して素早く外に出るようにしていた。
なんとなく嫌。
なんとなく怖い。
その苦手意識と、昨夜対面した麻衣の様子を思い出し、月子は緊張の為に扉に伸ばしかけた手を止めた。けれどここに入れるのは今や自分しかいない。逃げ出すわけにもいかない。そうして辛うじて競り勝った義務感によって、月子は大きく息をつくと、今一度大きな声をかけてからその扉を開けた。 
出入りを告げる声はその場に落ちるように扁平に響いた。
扉の奥はむっと篭る湿気った空気に覆われ、昼間だと言うのに月のない晩のように暗い。
月子は急いで壁にくりぬかれた穴に立てられた蝋燭に手持ちのマッチから火を付け、それを持って一歩その奥に足を踏み入れた。
この洞がどんな形態をしていて、それが何を意味するのか、それは姫神直系の娘しかしらない。
何にも記されず、ただ、口伝でのみ伝わる場所。
繰り返し姫神が生まれる場所。

 
細い通路は産道。
奥の小部屋は子宮。
それを巡って姫神の魂は幾度でも生まれ変わってこの島に留まる。

 

「 何もおっかないことはない。ここで月も生まれ変わるんやから 」 

 

昔、祖母から伝え聞いた洞の由来。
月子はそれを繰り返し思い出しながらさして長くもない細い小道を進んだ。
 
――― 無意識に、考えないようにしてたんやろうなぁ。
 
月子は肩をいからせたままそんなことを思い、ふるりと身体を震わせた。
本来、生まれ変わるにしても、新たに生まれたてだとしても、そうして、大樹を隠すにしても、そこはとても似合いの場所のはずだ。
 
――― 大樹は、今年36の年男や。
 
月子は草子が指摘した、まるで仕組まれたようにぴたりと重なった条件を思い出し、つっと視線を落とした。
姫神は娘を産んでこそ、ようやく本当の姫神になる。
もっと言えば玉依姫命は母子神として奉られるのが本当なのだ。
その道理を考えれば、姫神になり損ねた自分程この洞に似合わない者はなく、姫神を降ろした麻衣には年男での大樹が必要で、この場所と似合いの深い因縁がある。 
月子は自分の未熟さを恥じ入りながら通路を抜け、ぽかりと開いた空間の中で、意を決して視線を上げた。
洞の先は蝋燭をかざせばすぐに全部が見渡せる程の広さしかない。
しかし、そこに人影は一つとしてなかった。

 

 
「なんでや?!」

  

 
そこに麻衣がいると思いこんでいた月子は思わずそこで叫んだ。
いないはずがない。
姫神にとってここは一番安全な場所だ。
ここ以上に、大事を行える場所はない。
月子は突き動かされるように火が吹き消える危惧を忘れて蝋燭を左右にふりかざし、狭い洞の中を何度もくるくると回って周囲を探った。
無論それで麻衣が出てくるはずもない。
けれど月子はじれたようにそれを繰り返し、終いには蝋燭を投げ出して、まるで小さな小人でも探すかのように、月子は洞の端から端まで手探りで中を探った。
冷静に考えればまるで理に適わない方法だった。
しかしそれによって、月子は僅かな異変、頬に当たる冷たい風に気がついた。
それは僅かな空気の震えにすぎなかった。
けれど月子はその異変がどれだけおかしなことかと直感的に理解した。
そこで再び凍るように冷たくなっている岩盤を指でなぞり、とうとう岩盤の裂け目を見つけ当てた。
それは指一本分もないような細い亀裂だった。
しかし月子はそれにしゃにむにしがみつくように指をつき立て、その先を探ろうとぎりぎりと指を差し込んだ。とすると、意図に反して指を差し込んだ岩が大きく下にズレた。
思いも寄らないことに驚きながらも、月子はズレ始めた岩を懸命に両手で動かし、動き始めた岩を完全に床に落とした。
するとそこには人一人がようやく入れる程の、狭い横穴が開いていた。
「こんなん・・・・知らんし・・・」

月子は汗と泥にまみれながら、魅入られたように這いつくばって横穴の中を窺った。冷たい風は確かにその横穴から吹き込んでくるもので、それは僅かに潮の香りを含んでいた。
ざわざわと、気色悪い悪寒が月子の背を撫でた。
あわせて、潜ったが最後、二度と外には戻れないような、確信めいた嫌な予感が脳裏をよぎる。
けれど現実問題と
して奥座敷の部屋と洞に麻衣の姿が見えず、その上で新たな道筋が見つかったとなれば、これを無視することはできない
月子は額から流れ落ちてきた汗と、目じりに浮かんだ涙をまとめて袖で拭い、それから再度意を決して、身を屈め、その細い横穴に自分の身体をねじ込んだ。