屋敷に帰って来た月子と大樹と麻衣の姿を目にして、草子は甲高い歓声を上げ迎え入れた。
そうしてずぶ濡れの面々に3箇所の風呂場を割り振り十二分に身体を温めさせると、屋敷に秘蔵しておいた身体を温める薬湯をふんだんに振る舞った。
それが効いたのか、程なくしてその場にいた面々の頬は程よく上気し、平熱を取り戻した。

 
   

  

ただ一人、大樹を除いて。 

             

 

  

 

  

  


#023  話を
      
     

    

 

 

  

 
大樹の火傷跡は膿んだように爛れ、酷い熱を持っていた。そしてその熱が伝染したように、屋敷について直ぐ、大樹は高熱を出して寝込んだ。
霊障が元になっていることもあり、目を離すことはできないと、大樹はベースの直ぐ隣室の仮眠室に床をとって寝かせられたのだが、麻衣の発熱のこともあって、草子は不謹慎にもその大樹の高熱を吉兆のように騒ぎ立てた。
はしゃぐ草子の姿は見ていて気持ちのいいものではない。
だが、真っ先にそれを諌める月子と朋樹はともに疲れ果て、叱る気力もなかった。
それを気遣って重三が間に入り、草子を自屋に連れて行き、何事からかも逃げるように閉じこもった。
そうして誰も口を利くものがいなくなり、重苦しいような静寂があたりを包んでから、ナルはおもむろに口を開いた。

 

「そろそろ、事実関係をお教え願ってもよろしいですか?」

 

曖昧過ぎる問いかけに、問われた月子は眠り込む大樹の顔を覗いたまま、いささか投げやりに尋ね返した。
「お前はどんな具合にどこまで分かっているんや?」
依頼主はそうして顔さえ見せない態度だったが、ナルは大した関心も払わず続けた。
「はっきりと事実関係が判明したものしか僕は信じませんので、言えることはごく僅かです」
「・・・・ああ」
「それで言える事と言えば、失踪したとされる先代の姫神・・・・・分かりやすく分類する為に時子さんと呼称を改めましょう。彼女が20年前に既に亡くなっていること。そしてその死亡に関して、月子さんと大樹さんが大きく関わっているだろうことくらいです」
「どうしてそう考える?」
ゆっくりと顔を向ける月子に対して、ナルは闇色の目を細め、細い肩を竦めた。
「あなたは最初から嘘をついていないからですよ」
「・・・・・」
「この調査を依頼した時点から、あなたと大樹さんだけは時子さん、もしくは姫神という存在を " 死んだ "" 殺した "と表現しています。これは行方不明になった時子さんに当てた言葉としても、姫神という概して抽象的な宗教的シンボルに対してもあまり適さない表現です」
「・・・・そう言えば、そう・・・・ね」
綾子が思わず頷くと、それを受けて安原が口を開いた。
「失踪したイコール死亡とは限りませんしね」
「何となく繰り返し聞くうちにそんな気分になってたけど・・・・」
「神様みたいな存在に対しては " いらっしゃらなくなった " " 見えなくなった " もっと直接的に言ったとしても " 消えた " くらいが表現としては妥当だろうな。日本人は神様とか位の高い存在について、特に縁起の悪いことはそうして言葉を濁すように教育されてるからな」
滝川が合いの手を打つと、安原が頷いた。
「その言い回しは、方言だからっていう理由と・・・・言ってはなんですが月子さんと大樹さんの随分はっきりとした性格のせいだと思ってました」
「まぁな、姫さんは責任感強そうだしな。何となくそう言うもんだって・・・・」
ごにょごにょと濁された語尾を取って、ナルが続けた。
「そう、特に月子さんは姫神の娘というポジションの自覚がはっきりしていて非情に責任感が強い。
その為、僕達のみならず、朋樹さんらに代表されるように島民の多くがあなたが " 殺した " と真実を言っても、それは代を受け継がなかった自責の念から発する、自分を罰する言葉だと誤解しやすいようになっていた」
「・・・・・」
「それが故意によるものか、偶然の産物か、事実会話だけでは僕も確証が得られなかった。だからカマをかけさせてもらいました」
「カマ?」
ナルの言葉に、いつの間に、と、疑問符顔を並べる面々の中で、ただ一人月子だけが思案顔で俯き、それからややあって、はっと目を大きく見開き顔を上げた。
その表情を見据え、ナルは口角を釣り上げ頷いた。
「月子さん、やはりあなたは大変頭が回る」
「・・・・・・」
「だからこそ、おかしかったんですよ」
「どういうことでっしゃろ?」
ジョンの問いかけに、ナルは面倒そうに眉間に皺を寄せたが、ため息と共にその内訳を語った。
「安原さんと麻衣が遭難した時、僕はサイコメトリをして2人の安否と行方を追おうとした」
頷く面々の他所で未だ疑問顔の朋樹に視線を投げ、ナルは説明を続けた。
「サイコメトリとは、簡単に言えば物質に触れることによって、その持ち主の過去の記憶やその場にあったことを見る能力、時にそれによって持ち主の安否や、現在の居場所がわかるものなんですよ。僕はその特殊能力を持ち合わせています。
平素はそんな事をわざわざ説明することはありませんが、あの時、月子さんは僕の不自然な行動に気がつき、後からあれは何だったのかと尋ねてきた。だから僕は今と同じようにこの特殊能力を説明した。そして依頼人の希望があれば、この能力を活用すると言ったんだ」
「秘密主義のナル坊にしては破格の扱いだな」
その時の綾子と同じように嫌味交じりに唸る滝川に、ナルは目を細めた。
「それで彼女の本意が計れるなら安いものだ」
ほっと、口を丸くすぼめた滝川を嫌そうにねめつけながら、ナルは月子に視線を戻した。
「月子さん、あなたはとても賢い」
「・・・・」
「だから本当にあなたが言っている " 神殺し " の言葉が自虐の意味を込めた自戒の念で、時子さんの失踪が真実あなたにとって不明なものであれば、僕のこの能力を耳にした時点であなたは何らかのアクションを起こしたでしょう。可能かどうか、事実かどうかは別として、時子さんに関わるものを僕に預け、20年前の失踪がどういったものか、とりあえずは探ろうとしたはずだ」
「・・・・・」
「けれどあなたはそれをしなかった」
「・・・・・・思いつきもせんかった」
「違いますよ」
「・・・・・」
「解決しなくていい。記録だけしてくれればいい」
「・・・・・」
「調査開始当初からあなたは頑なにそれを主張していた。それを貫いたに過ぎません。
それはそうです。僕の能力に頼るまでもなく、あなたにとって謎は何一つなく、原因は既に分かっていたことですからね。そしてそれについては、誰にも触れられて欲しくなかった。それが実情でしょう。麻衣に時子さんが憑依し、事態があなたの思わぬ方向に動いてしまうまでは」
「・・・・・」
「あなたは大変に意思が強く、姫神が現れるまでその行動や思考には一貫性があった」
「随分な買いかぶりようやな」
「別に褒めてはいません」
ナルはそこで大きくため息を付き、顎を上げた。
「本来の調査以来の主旨から言えば、宗教によって一定の秩序が保たれていたはずの生活の破綻状況、心霊現象の十分な記録も取れた。僕らはここで引き上げても何の問題もありませんし、このまま今までのように素知らぬふりで目を瞑っていることにもなんら問題はありません。
その原因を隠したければ隠し通せばいい。事象の解決を求められていない以上、これは当事者の問題です。だが、代替わりのタイミングで今まで沈静化していた霊が活性したのは確かです。そしてそれは少なくとも月子さんに殺意を持っています。このままこの島で暮らすならば、傍観しているだけではすまなくなっています」
「それはなんの脅しや?」
「専門家からの単なる警告です」
「警告なぁ」
「この依頼は内郷さんが世界最古の心霊調査団体を介して、半ば強制的に僕に差し向けたものです。依頼内容から考えれば、ここまで口出しする義務はありませんが、団体を介している以上、僕は専門家としての対応をしておかなければいけない」
月子はナルの弁を聞き終えると、そっと指で顎を撫で小さく笑った。  
 
「専門家さんからの助言は、まるで必要ないんやけどなぁ」
そして、月子はようやく重い口を開いた。 

  

   

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう随分昔のことやから、どうしてそうなったんか。どうしてそんな気持ちになったんか。そんなぼんやりしたもんはもう思い出せないんやけどな。まぁ、順を追って話をしようか」
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
月子はそう前置きすると、ベースと大樹が眠る仮眠室を隔てる襖の前に腰を降ろした。
「今から20年前・・・もうすぐ姫神さんになろうとしていた頃な、俺は大樹と好きおうてたんやよ」
ガタリと派手な音を立てて朋樹が障子に倒れ掛かったが、月子はそこに視線をくれることなく続けた。
「子どもの恋や。本気や何や言うても世界は狭くて、その分随分固ことばったもんやったな。
18や、次の姫神や、言うてもその実は先に中学を卒業しただけの16の小娘に14の野郎っ子や。
賢いふりして口が立っても、自分の生活の面倒をみることもできんような子どもや。そやけど、姫神がどんな役回りか理解できん程子どもやったわけやない。どれだけ真剣に思うても俺らの仲はどうしてもまずい。それをちゃんと理解できるくらいには大人やったんや。それに俺たちは島が好きやったから、俺たちは自分達のことは自分達の胸の内に隠して、表面上は知らん振りして役目をしようと思っていたんや。俺は姫神になって、トモ兄さんを婿にとって、ちゃんと娘を産んで育てる。それでちゃんと島の役に立つつもりやったんや。島の誰よりも島のことを愛して、姫神っていうもんを守るつもりやったのは事実や。自分達が真っ先に姫神をだまくらかして、コケにしてた言うのにいい気なもんや」
「ちょ・・・ちょっと待ってよ。それだけなら別にいいんじゃないの?」
何が問題なの?と、話に首を突っ込んできた綾子に月子はひょっと視線を向けて首を傾げた。
「問題大ありやろう」
「なんで?」
「姫神になるまで、巫女の娘は生娘やないといけんかったんやから」
途端に顔を真っ赤にした綾子に、月子は薄っすらと笑った。
「だって・・・・」
「年は関係ないやろう。そういうんなら、十分に大人や」
「・・・・・だけどさぁ・・・」
何故か一人動揺する綾子を他所に、当事者である月子の方が落ち着いて話を続けた。
「けどまぁ、そんなん自分で言わなきゃ誰にバレることでもやないやろう」
「ま・・・・・まぁ」
「悩みなんて相談するから大事になるんや。冷静に考えればできることやることなんて決まってる」
「・・・・・」
「そしたら黙っておったらいいんやって、それもまた簡単に考えて・・・・・いや、少しは真剣に考えてたな。しばらく悩んだりもしたんやけど、結局のところ皆だまくらかしたらいいって腹くくったつもりで、タカをくくってたんやな」
「・・・・・」 
「なんや、自分らだけ、島中の誰よりも、姫神さんよりも高みにいるような気持ちでな」 
懐かしむように、誇るように、月子は淡々とそう言いながらも、じっとこちらを凝視する朋樹の視線から逃れるようにしてその背に大樹を隠した。
そうして背筋を伸ばし、襟を正し、月子は口を開いた。
「直前まで俺たちは本当にうまいことやってた。2人きりになるには何の不自由もなかったからな。
あの当時、社の中までには姫神とその家族と従者役が出入りできたんやけど、先代の姫神さんは足が悪いと言って行きたがらなくて、全部俺と大樹に任せ切りやったから、社の中におりさえすればまず人目につくことはなかったんや。現に島の誰一人気がつかんで、近付くトモ兄さんとの婚礼の儀式を喜んでくれとったよ。そしてそのまま魂代えの前の晩が来た。その晩は正月に舞う舞踊の練習をしようと俺と大樹はいつものように社に篭った。誰も不思議にも思わんと、大して気にもしておらんかった。そやのに、その晩に限って夜も随分更けてから、先代の姫神さんが社に顔を出したんや
」