社のすぐ下は切り立った崖で、落ちれば良くて重傷、悪くて即死。
あっと思って駆けつけ身を乗り出すと、時子は辛うじて着物の裾が欄干の角に引っかかり宙吊り状態で直後の落下を免れていた。
けれど一枚布が人一人の体重を支えきれるわけもなく、その布地は見る間に音を立てて裂け始め、その度に時子の身体は下に下にと落ちていった。
「蚊の泣くような声で、助けて、助けて・・・って言うのが聞こえた」
月子はその当時の光景を思い出すように目を細めた。
 

「そやけど、俺はどうしても手を伸ばしてやることができんかった」 
 

そうこうしている内に、身体を支えていた裾は切り裂かれ、時子は驚愕の表情を浮かべたまま谷底に消え、すぐに鈍くて重い音が社に響いた。 

 


 
 

 

  

  


#025  始まりと終わり
      
     

    

   

  

 

 

 
「それっきり・・・・とか?」
いくらかの希望的観測を持って前後の話を繋げて滝川は尋ねたが、月子は首を横に振った。
「気ぃついたら、大樹が側におった」
「・・・・・」
「それから2人して下に落ちた先代を探した。周りは暗かったし、雪も降っておったけど、先代の着物は派手やったから身体は直ぐに見つかった。随分下まで落ちてしまって、首がおかしな角度に曲がっておった」
月子はそう言うと麻衣の頭から手を離し、その手をまじまじと眺めた。
「逃げ出したいくらい怖くて、どうしたらいいか分からんでいたら、大樹が言うた」
「・・・・」
「もうすぐそこに"さんしゃ"のお宮さんがある。お宮さんの中には俺らと樹里おばしか入られん。探すにしても多分自分達で探すことになるやろう。あそこの床板剥がして死体を埋めたらきっと誰も気がつかない。足跡も雪が隠してくれるやろう。このまま死体さえ見つからなかったら、秘密は何もバレない。このままでいられる。全部俺がやってやるから、月子は目と口を塞げ」
月子は俯き、心持ち声を潜めた。
「そういうわけにはいかんやろうと思っても、我が身可愛さで俺は大樹の言うとおりにした。
言い訳はいくらもできたし・・・・・自分のことを棚に上げて、先代を怨んでしまったんやろうね」
 
母親なのにってな。
 
きゅっと、しがみついている麻衣の手に力が入った。それを愛しく思いながら、月子は自身に言い聞かせるように、恥じるように、そうしてまた噛み締めるように語った。
「それでも俺の性根は弱くてな。どっかでバレてくれんもんかって、偽者の良心の呵責に耐えかねて、姫神さんを俺が殺した言うたり、俺は姫神さんやない言うて強情張った。でも、それ、ご指摘通りや。皆いい風に考えてくれて、俺はとうとう最後まで言うことができんかった」
月子はそう言うと、その場に不似合いなシニカルな笑みを浮かべた。
「何も真実を言わんまま姫神さんに祟られて死ねたら本望やったんやけど、そこまでズルはできんかったなぁ」
そしていつの間にか抱くような格好になっていた麻衣を横に座らせ、乱れた襟を正すと畳に三つ指をつき、頭を垂れた。
「俺は言葉通りに姫神さんを殺したんや。親殺しの大罪で、俺が死ぬか、俺に罰が当たればいいのに、それに神様までついておったから島にばっかり悪いことが続いた。それが一番悲しくて切なくて申し訳なかった」
それまで大人しく話を聞いていた朋樹は、そこで再び声を荒げた。
「それで、全部嘘ついて黙って2人で隠してたんか?」
「ああ」
「ああって・・・・そんなん、ああ、そうさな。けど、俺かてその場におったらそうする!確かに常識的には犯罪やろうけど、常識なんて関係ない。むしろ姫さんを守るんやったら島の誰やてそうした!!」
朋樹はそう言い放つと少し具合悪そうに面々の顔を見渡したが、それを振り切るように頭を振った。
「問題はそんなことやない!そやったらもっと上手に隠せ言うんや!どうせ隠すならそのまま姫神さんになって、大事にされておったら良かったやろう!?
姫神さんがいなくなったって馬鹿正直に言ったせいで姫さんやダイがどれだけ酷く当たられた?
それこそ先代よりも酷いこといっぱい言われたやないか!あの地震が姫神さんの罰やったなんて俺は今でも思ってない!もしかしたら罰だったのかも知らんけど、島がどうなったかまでは分からん。そやったら、何もこんな形で姫神さんをなくさんでも良かったやないか!!こんな・・・・20年もして、もう今更何にもできなくなるような状態にまで何もしないでいることなかったやろう!?」
「そやって、事実俺は姫神さんになる資格がない」
「だから!!」
「実際に姫神さんがいらしゃらんようになって土地と海が枯れた」
「そんなん自然現象や!」
「幽霊があたりを歩いてる」
「たまたまや!」
「姫神さんはちゃんといらっしゃったんや!そして殺した!! これで分かったやろう!!」
月子の怒声に朋樹は混乱する頭を整理するように髪をかきむしり、呻くように言った。
「せやって・・・こんなん最悪や」
「・・・・・」
「こんな・・・・どっからつっこんでいいのか分からんような話、どうしたらいいっつうんや」
「・・・・・」
「何でや?せめて俺にだけでも言ってくれとったら・・・・」
その呻きを否定するように、大樹の声がそれに被さった。
 

 

「俺が月子の良心につけこんだんやよ」
 

 

大樹はいつの間にか布団の上で上半身を起こし、苦しそうに身体を傾がせながらもじっとベースを睨んでいた。そうして周囲の視線が全部集まると、大儀そうに顔を顰めつつ口を開いた。
「俺かて最初は何にもなかったことにしようと思った。それが一番平和でいい。けど、月子はなかったことにはしたがらんと、全部一人で背負いたがった。月子の言い分は、俺には都合が良かった。そやから月子の言う通りにしたんや」
「はぁ?! こんなアホらしい生活より大事な都合なんてあるんかい?」
喧嘩腰で声を荒げる朋樹を大樹は挑むように睨み上げ返事を返した。 
「嘘でも月子が姫神さんになってしまったら、月子はトモ兄と結婚せないけなくなるやろう?」
しれと告げられた大樹の告白に、朋樹は今更ながら顔色を無くした。
それを見遣ってから、大樹はゆっくりと視線を月子の方に移し、無表情で答えた。
「俺にはそういう気持ちがあったんやし、最後に先代に止めを刺したんは、土ん中埋めて隠した俺や。半分以上は俺のエゴやろうが、自分一人で全部背負うな、俺かて同罪や」
大樹はそう言うと、ふっと目を細めた。  
「俺が月子に横恋慕した。始まりも終わりもそれだけのことや」
月子が悪いことは一個もない、結論は簡単なことや。と、大樹は嘯きながらも、突然起き上がったせいか、顔を顰めて前屈みになった。その身体を支えようと麻衣は咄嗟にその場に駆け寄った。が、手を伸ばしたその先で短い悲鳴を上げ固まった。
「嬢ちゃん?」
「キズが・・・・」
「え?」
「痕・・・・広がってない?」
そうしてカタカタと震え出した麻衣を横において、代わりに前に出た綾子と月子とで大樹の上着をはだくと、肩から胸にあったはずの火傷痕はこの僅かな時間の内に首から腕に向かって広がっていた。
「どういうこと?!ちゃんと冷やしているのに患部が広がるなんて・・・」
急ぎ救急箱に手を伸ばした綾子に対して、麻衣は震えながらもその肩越しに大樹の患部を見て、くっと息を詰めた。それを見咎め、綾子は顔を顰めた。
「麻衣、吐かれても面倒だから、ダメなら見ないでなさいよ」
麻衣は蹴落とされるようにその場から一歩引いたが、それでも耐えるようにその場に留まり呟いた。
「肩に手がある」
「は?」
その言葉に大樹が顔を上げて尋ねた。
「手やと?」
「あ・・・・いや」
「何や?何か見えるんか?」
麻衣は迷うように視線を彷徨わせたが、それでも大樹の視線が揺らがないことを見て取ると、不安そうな顔をしつつ口を開いた。
「あの・・・・私の見間違いかもしれないんだけど・・・・・・」
「いいから、何や?」
「大樹さんの肩を・・・・・手首までの左・・・・手が掴んでいるの」
「え?」
傍らの綾子が聞き返すと、麻衣は恐る恐ると言った体で再度大樹の肩を見遣り、ごくりと息を飲んだ。
「細い左手・・・・・深爪で・・・・・・・丸い爪が指の先の半分くらいしかない・・・・・・手が大樹さんを掴んで、傷跡に指立ててる・・・・・の」
麻衣がそう言った瞬間、朋樹が信じられないと言ったように目を丸くし、月子はぼすんとその場に尻餅をついた。そうして驚く麻衣の正面で、大樹は勢いよく布団に倒れこみながら声を立てて笑った。
「大樹・・・さん?」
戸惑う麻衣に、大樹はしばらくそうして笑った後で顔を向け、冷やりとするような鋭利な笑みを浮かべ言った。
「すごいな、嬢ちゃん。霊能力ってやつを、俺もようやく信じてやろうって気になったわ」
「え?」
「そりゃ、先代の姫神さん・・・・時子叔母の手や」
そうして大樹は熱で腫れた瞼を指で押さえた。
「上等や。これで先代からの恨みが晴れてくれるといいんやけどな」
「大樹!!」
堪らず月子が声を荒げると、大樹は心外だと言った表情で月子に視線を移した。
「なんでや?罰当たって当然やろうって月子が言ってたんやないか」
「そやって!お前やない!!」
「俺やて」
「俺や!」
「俺やなきゃ困る」
「バカか?!」
今にも殴りかかりそうな勢いで月子が枕元に詰め寄ると、大樹は顔の前に垂れた月子の長い黒髪に指を絡めて低く笑った。
  

「月子を自分のもんにできたんや、俺は後悔してない。その代償を払うのも嬉しいもんや」
 
憎々しいものでも見るようにして言葉をなくした月子を見上げ、大樹は満足そうに瞼を閉じた。

 

 

 

 

腹立たしげに朋樹がベースを出て行き、そのボディーガードとして滝川が後を追った後、月子は追加した鎮静剤でようやく眠りについた大樹の肩を見つめながらナルに問いかけた。
「なぁ、これって呪いなんやろう?」
問われて、ナルは少し考えるような素振りをしてから返事を返した

「憑依とはまた別の現象のようですから、そう考えるのが妥当でしょうね。日本の故事には鬼の手など体の一部をもってして人間に危害を与える話も多いですから」
「身代わりになる・・・・っていうのは、できんかなぁ」
「・・・・」
「真っ当な恨みや。受けなくてはいけんけど、相手が違う。なしにしてとは言わんから、俺が身代わりになるとか・・・・」
月子の話にモニタの前で沈黙を守っていたリンが重い口を開いた。
「ここまで浸透している状態ですと、むしろ呪いを解く方が簡単です」
「のろいを解く・・・・・」
「一般的には呪者に術を返してやる、もしくは呪者そのものを攻撃し術を中断させます」
リンの話に月子は眉間に皺を寄せ、考え込むように俯いた。
「そしたら、先代をどうにかするってことになるんやないか」
「そうですね。むしろその方法を考えた方がいい」
「それは本末転倒やな」
根本的に話を否定され、ナルが怪訝そうに顔を覗き込むと、月子は無表情で弁明した。 
「先代は被害者や。私怨ゆっても報復しようとしているだけやろう。叶えてやるのが一番や。お前さんらももともとの加害者を庇い立てするのは嫌やろう?」 
その言葉にナルはため息をついて首を振った。
「今現在においてそんなものに拘るつもりですか?」
「そんなものとは酷い言われようやな。仮にも殺人罪や」
「僕は生きている人間の人命を第一に優先させると、言ったはずですが?」
その返答に月子は虚をつかれたように目を丸くし、それから嫌そうに眉を潜めた。
「なんや、やっぱりお前さんは嫌な奴やな。本当はどの時点で全部分かっていたんや?」
「サイコメトリはしていませんので、はっきり分かっていたことはあれで全部です。後は単なる推察に過ぎませんし、未だにこの島の心霊現象については分からないことがある」
しれと言いのけるナルに月子は肩を竦めた。
「解決しなくていいと言っておるやろう」
ぞんざいな口ぶりとは裏腹な強い意志を孕んだ月子の眼差しに、ナルは硬質な瞳を更に硬化させた。その僅かな表情の変化を見透かして、月子は僅かに微笑んだ。
「このままにして、全てを受け入れることが贖罪なんや。邪魔せんといてくれや」
「・・・・」
「頼むわ、俺はこれ以上後悔なんかしたくないんや」
そうして真相を知った今でもまだ真意を掴みかねる曖昧な返事を残し、足早に女性用仮眠室に向かうと直ぐ、綾子と麻衣が話しかける間もなく布団に入って背を向けた。