「お待たせ」

バイトが終われば、決まって駆けて来る麻衣は本当にかわいかった。
にっこり笑って出迎えると、にっこりと花のように微笑む。立ち上がって腕を伸ばせば、ごく自然に手を繋いでくれる。ほわんとした、柔らかな色をしたオーラが温かく周囲を包む。

―― 幸せ過ぎて、勘違いしそうだ・・・

藤原は口元に浮かぶ怪しい笑みを必死で堪えながら、麻衣の柔らかい手を握った。

   

まず初めに、関係性を問おう

   

   

    

  

まず初めに、関係性を問おう V

 

  

   

   

  

1週間前、藤原はその場の思いつきで、目下猛烈プッシュ中の麻衣に 『彼氏もどき友達』になることを提案した。
その日のうちに即実行に移し、麻衣のバイト先まで迎えに行くと、その場では乗り気だったにも関わらず、麻衣は約束など忘れていたかのように予定時間をかなりオーバーして、他の男と一緒にバイト先の事務所から出てきた。そして藤原を見るとひどく驚き、一緒にいた男性に挨拶すると慌てて藤原の下に駆け寄って来た。
「藤原?」
「遅い」
「うっわぁ、うっそぉ真面目に来てくれたの?」
「失礼なヤツだなぁ。ちゃんと言っただろうが、レイトショーでも見ようって」
「うううううう、ごめんなさい」
麻衣は顔を真っ赤にして小さくなっていたが、それでも嬉しそうなオーラが滲み出ていて、藤原は笑った。
「まぁいいさ。今日はこのまま送っていくよ。映画は明日にしよう」
藤原がそう言って、麻衣の鞄を持つと、麻衣は顔を真っ赤にしながらトコトコと藤原の後をついて歩いた。
「でもさ、本当に来てくれるとは思わなかったんだもん」
「行くって言ったデショ」
「そうだけど・・・」
恐縮して小さくなる麻衣越しに、藤原は向かいの歩道を歩く男を見やった。しっかりとこちらを意識しているくせに、何事もなかったかのように前を歩く姿は、中々に堂に入っていた。
「あれが彼氏?」
藤原の問いに麻衣は顔を上げ、その視線の先を確認するとぶるぶると首を振った。
「違うよ。あの人はバイト先の同僚!」
「へぇ」
「最近ちょっと忙しくてさ、帰りが遅くなると駅まで送ってくれるんだ」
「何だ・・・じゃぁ、あの人も麻衣の『仲のいい男友達』なわけ?」
「友達は語弊があるなぁ。先輩とかお兄ちゃんって感じかも」
「へぇ」
麻衣のあまりに暢気な物言いに、藤原はこれは考えることは皆一緒かと、途端に不機嫌になり口を閉ざした。
藤原が沈黙すると、麻衣もそれにならって黙り込み、二人はそのまま渋谷駅に向かった。
渋谷道玄坂を下る道はさほど長くない。
藤原は横を歩く麻衣の細い腕を眺め、手を繋ぐべきか、やめておくべきか考えた。そして、考えている時点で終わっていることに気が付き、げんなりと肩を落とした。

―― これじゃ、まるで中学生だよ。

思わず苦笑すると、麻衣は首を傾げて藤原を見上げた。その様はただ本当に可愛らしくて、藤原は何か余計なことを考える前にと、麻衣の手を握った。 
「明日も迎えに来てやるよ」
「え?明日も続行すんの?」
「麻衣が満足するまでは、つきあってやる」
藤原が笑えば、麻衣もくすぐったそうに笑い返した。
それが、今からちょうど一週間前のことだった。 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 

 

  

「今日はどうする?飯でも食べて帰るか?」
「うぅん、でもさ、今週は本当にいっぱい遊んでもらっちゃたから悪いよ。藤原はバイトとかしてないの?」
「バイトはしているけど、SOHOだから」
「ソーホー?」
「翻訳の下書き。家でできるヤツだから大丈夫。気にすんな」
「でもさぁ、映画も奢ってもらっちゃってるし、金欠とかなってない?」
普通にいい子だよなぁ。と、藤原はしみじみと感慨に耽りながら、笑顔を浮かべた。
「これくらい大丈夫だよ。よし、適当に食って帰ろう」
「う・・・ん」
麻衣は苦笑しながら、それでも少し寂しそうに、たった今出てきたばかりの事務所を振り仰いだ。その視線の先を確認して、藤原は麻衣に気がつかれないように顔をしかめた。
麻衣が彼氏と喧嘩して、既に半月が過ぎようとしていた。
藤原は振り切るように、やや強引に麻衣の手を引き、道玄坂から繁華街に足を向け・・・・・立ち止まった。
「あっ」
「ん?」
急に立ち止まった藤原に、麻衣がどうしたの?と顔を上げると、藤原はえへっと笑い返した。
「ちょっとさぁ」
「何?」
「店までホテル街通り抜けた方が早いんだけど、気にしない?」
そして唐突な藤原の問いに、麻衣は噴出し、「気にしない、気にしない」とコロコロと笑った。
警戒心0の安心しきった友愛オーラが、麻衣の笑い声に共鳴してふるふると揺れていた。それを裏切るほど、藤原は切羽詰っていないつもりだった。そこで藤原は照れたように笑いながら、麻衣の手を引きホテル街に向かった。しかし、いや、だからこそ、か、黙ってホテル街を通り抜けるのはあまりに気詰まりで、藤原は沈黙を恐れて、苦し紛れに麻衣に尋ねた。

  

「ところで、彼氏は俺のこととか、最近よく遊んでること知ってんの?」

 

しかしその質問は、藤原の知らない所で麻衣の禁句領域に触れていた。藤原の何気なく、当然の質問に、麻衣は地面のアスファルトを見つめたまま、ぶっきらぼうに答えた。
「知ってるよ」
「で、何か言ってる?」
「言ってたけど、「関係ないでしょう」って言ったら黙っちゃった」
「はぁ?何だそりゃ」
「元々ね、私が食事とかばっかり心配するのに、「関係ない」って突っぱねたのよ」
「うん。それは前に聞いたけど」
「だから言い返せなかったんじゃない?」
「おいおいおい」
藤原が苦笑すると、麻衣はようやく顔を上げて、薄く笑った。
その目は僅かに潤んでいて、本来、神々しいばかりに力強いはずの彼女のオーラも、今は陽炎のように頼りなく揺らいでいた。
「私ってそんなに「関係ない」のかなぁ」
そして、そんな寂しいことを言う麻衣に、藤原は明らかにムッとした。
「一回見てみたいな、お前の彼氏」
彼女をこれほどまでに弱らせる、その彼氏様とやらに。
「そ?」
それは、藤原自身がびっくりするくらい、唐突で、強い怒りの感情だった。
「うん」
「多分びっくりしちゃうかも」
「何で?」
「趣味悪いって」
「趣味が悪いのは知ってる」
「あははは、そりゃこれだけ愚痴聞かせられたらそうなるよねぇ」
「だね。それにさぁ、俺は冷たい彼氏より、優しい 『男友達』 の方がいいと思うもん」
「あはははは、その通りだね」
笑う麻衣を見続けるのも腹が立ってきて、

 

 

「だろ?だからさ、このままホテル入っちゃうのもアリだよね」

 

  

藤原はさりげなく爆弾を投下し、握った手に力を込めた。
反射的に麻衣の手は逃げたけれど、藤原は、離さなかった。