「お宅の坊ちゃんとちょっとお話したいんだよねぇ」
電話口でそう伝えると、リンは数秒の沈黙の後、簡潔な口調で日付と時間を指定した。 指定された時間ぴったりに滝川がブルーグレーのドアを開けると、そこには予想違わずナルが一人応接室のソファでお茶を片手に分厚い本を読んでいた。
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Black tea
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「生憎、相手をする者は誰もおりませんが・・・」 「うん、そのようだねぇ。邪魔するよ」
迷惑そうな顔を隠そうともしないナルにひるむことなく、滝川は慣れた足取りで事務所に入ると、勝手に冷蔵庫に作り置きしてあるアイスコーヒーをグラスに注ぎ、それを片手に応接室に舞い戻った。 そうしてどかりとナルの正面のソファに腰を下ろすと、前触れもなく口火を切った。
「年末まで帰国するんだって?」
滝川の不躾な質問に、ナルは完全無視の態度を取ったが、滝川も慣れたものでそんなナルを無視して話を続けた。 「それは特に問題ないわな。仕方がないことだ。でも、それを恋人に伝える方法がまずかったな」 「・・・・」 「ちょっと考えれば分かるべぇ、4ヶ月と言っても同棲生活から一気に遠距離だ。麻衣が動揺するのは目に見えてただろう。特にお前さんは向こうに行ったら最後、マメに連絡寄越すようなタイプでもねぇしな。寂しくもなるし、不安にもなる。それをバカにするのはお前さんの勝手だけど、それはあんまりにも優しくねぇ自分勝手な考え方だよな。不安を軽減する方法なんていくらでもあるんだよ。それをみんな省略しちまおうってのは明らかにお前さんの怠慢だね」 滝川は一気にそう言うと、グラスをテーブルに乗せ、ソファの上にふんぞり返った。 「それがお前のキャラクターだって言うのも一理あるがな、恋愛は一人でするもんじゃない。相手がいてようやく成立すんだよ。相手のことを考えてやらなきゃ付き合いなんてその内破綻する。ナルちゃんや、お前さんそういうことも全く考えずに麻衣と付き合ってるわけ?」 「・・・・」 「いくらなんでもそれは頂けんわな。麻衣が気の毒すぎる」 「・・・・」 「この様子だとリンにも小言を言われてるんだろう?ちょっとは自分も悪いと認めてその独善論理を改善しろや」 突然挙げられたリンの名前に、それまで本から顔も上げようとしなかったナルはようやく反応を示し、訝しそうに視線を上げた。視線が自分を捕らえたことに滝川はにんまりと人の悪い笑みを浮かべ、ナルの本を取り上げながらリンから今日のこの時間を指定されたことを教えた。そうして余計なことをと顔を顰めるナルを哂い、滝川は取り上げた本で肩を叩いた。 「4ヶ月の遠距離は何気にしんどいぜ?今のうちに麻衣の機嫌を修復しておいた方がいいと思うぞ」 滝川の忠言にナルは心底呆れたようにため息をつき、形のいい瞳を細めた。 「随分、過保護が過ぎるんじゃありませんか?」 「パパだもん」 ふん、と胸を張った滝川をナルは鼻でせせ笑い、すっかり冷めた紅茶を口に運んだ。 「所詮ダミーでしょうに」 さらりと放たれた苛烈な毒舌。 しかしてそれを滝川は軽く舌先でいなした。 「ダミーねぇ・・・・まぁ違いねえわな。いくら言っても偽者だからね」 そしてかわしたその手で攻撃の一手を放つ。
「だからこそお前さんは注意しなけりゃいけねぇんじゃないのか?」
予想外の反撃に、おや、とナルの眉が上がった。 それを見逃さず、滝川は追撃の手を緩めずに畳み掛けた。 「お前さんがいようがいまいが、ケンカ中だろうが何だろうが、俺は娘を構い倒すぜ。まぁ俺じゃなくとも麻衣はあれで意外とモテるからな。寂しくなった麻衣が浮気しちまったらどうするんだよ?」 「・・・・」 「ん?」 会心の一撃に愉快そうな表情を浮かべる滝川に反して、ナルは僅かに浮かべていた不愉快そうな表情を取り払い、口をつけていたカップをゆっくりとテーブルに戻した。 細く、形のいい指が音もなく、カップから離れる。 その歪みのない軌跡の先で、ナルは優雅に身を起こすと、不精して長く伸びた前髪を億劫そうにかき上げ、顕わになった瞳で正面から滝川を見据えた。 深く神秘的な瞳。 肌理の細かい肌。 完璧なシンメトリーを有する目鼻立ち。 出会った頃にはまだ残されていたはずの青臭い未熟な部分も、今ではすっかり削ぎ落とされている。 未完成な色香もそれはそれで捨てがたいものではあったが、こうして完成された造形を見せ付けられれば、あれはまだまだ未完だったと思い知らされる。それ程に二十代となった現在のナルは、そこにあるだけで匂い立つような色香を纏い、罪深いほどに美しい青年となっていた。 非の打ち所のない美貌とはこのものを指すのだろう。 それはどれだけ見慣れても見尽くすことはなく、その完成度の高さは感動的ですらある。 それと間近に対面すれば、誇らしいような、恥ずかしいような、奇妙な気持ちになって、自然、鼓動が早くなる。見惚れる自身をみっともないと詰ろうが、責めようが、どうしても視線を外すことができない。悪魔的なまでに魅力を孕んだそれは、毒と言っても過言ではないだろう。 今更こんな毒にあてられては叶わないと理性では訴えるのだが、不本意ながら滝川も思わずナルの顔に見惚れた。 間近で見つめるナルはやはりきれいで、目をそらすにはあまりに勿体無かった。 そうしてじっとりと見つめられているにも関わらず、ナルは恥じらうこともせず、さも当然といった体で滝川を見つめ続け、自責の念で滝川の息が完全に上がるのを見計らった後に、潤んだような瞳を僅かに細め、薄い唇で弧を描いた。
「生憎」
麻薬のように耳を喜ばす、形のいい口がつむぐ、ビロードのような、低いテノールの声。 忌々しくも抗えない事実をあざ笑うかのように、ナルはその声で滝川の頬を撫でるように甘く囁いた。
「この僕に本気で詰め寄られて、平常心でいられる人間を僕は知りません」
それがナルと知ってなお、どうしても抗えないあまりに艶っぽい声に滝川は思わず撫でられてもいない耳を両手で塞ぎ、真っ赤な顔をして仰け反った。 その勢いで滝川の座ったソファは耳障りな音を立てて斜めにずれる。 その一連の反応にナルは偽悪的に微笑むと、ふっと視線の力を弱めて自身が座っていたソファに背を預けた。
「お父様には耳に痛いでしょうが、僕は麻衣を本気で落としてます。そうされている麻衣が簡単に浮気をするはずないでしょう?」
地球は自転しているのだから、太陽は昇るし沈む。 そんな万物の法則を唱えるような自身たっぷりのナルの反論に、滝川は不本意ながらも動揺した自分に舌打ちしながら文句をつけた。 「・・・・・・・自信たっぷりだな、ナルシスト」 「性格が悪いのは周知の事実。それを補うセンテンスをご覧に入れただけですよ」 ナルはそう言うと、滝川がいつの間にか投げ出していた本に手を伸ばし、パラパラとページを綴った。 滝川はそんなナルをねめつけ、大仰にため息をついた。 「そのキレイな顔と頭よりも、性格悪いのが先んじるとはどうして思わんかね」 「・・・・」 「そうやって甘く見てると痛い目みるんだよ、御大」 糠に釘を刺す気持ちそのままで言い含めると、滝川はもう知らんと背を向け、ずらしてしまったソファを元の場所に直そうと重厚な造りのそれに手をかけた。 そして力を入れた瞬間、背後から思いもよらない言葉が発せられた。
「そうは言っても世の中の半分は男で、ぼーさん自身も男だろう」
まるで弱気な男が吐く愚痴のようなそれに、滝川は目を丸くして肩越しに振り返った。 期待したのは言葉から思い描くような恋に気弱な青年の姿だったのだが、しかしてそこにいたのは、常に変わらぬ無表情のナルだった。 聞き間違いかと、滝川が訝る中、その無表情の権化はさらりと抑揚のない声で呟いた。 「浮気が嫌だからと言って、人の目に触れないように麻衣を監禁しておくわけにもいかない」 半ば、本気ではないかと疑いたくなる表情の窺えないナルの語調に、滝川は思わず息を飲んだ。 本気で惚れた相手を可愛いと思う男なら、一度は考える願望かもしれない。 それをあのナルが考えたのかと思えば笑える。 が、だ。 それは妄想であって、およそそのワードは軽口として受け取られるはずなのに、それもこの常識はずれな美人が言うと何かを含んだ物言いに聞こえるのだから始末に終えない。
「無茶言うな」
辛うじて、滝川がそう搾り出すと、ナルはそこに潜んだ狼狽を敏感に嗅ぎ取り、僅かに頬を緩めた。 「そうであれば、自分の武器くらい誇らせていただいてもいいのでは?」 軽口に落ちたその話題に、滝川は自分でも滑稽と思うほど安堵しながら、いつの間にか汗で湿った両手を腰にあて、呆れたように忠言した。 「性格変えろや、その方が早い」 瞬く間に色を変えた事務所の空気に、ナルはひっそりと瞼を閉じて肩を竦めた。
そうしてナルは忠言を聞いたのか聞かなかったのか、まるで窺えない態度のまま会話を終わらせ、彼らしいスタイルを頑なに維持した状態で母国イギリスに帰国した。 表面上、そこに反省の色らしきものは窺えなかった。 けれど、それを見送りに来た滝川を含めたメンバーの前で、ナルはこれ見よがしに麻衣に激しいキスをし、その衝撃に顔を真っ赤にして倒れ込んだ麻衣を滝川に預けて搭乗口に消えていった。
「こ・・・・・こんなので誤魔化されないんだから!!!!」
麻衣が意識を取り戻した時、ナルは既に機上の人となっていて、そこに漆黒の姿は残っていなかった。麻衣は悔しそうに拳を握り締めながら、我慢ならないと怒声を張り上げた。 それを手の内で聞きながら、滝川は堪えきれずに苦笑した。
愛しい娘の憎っくき恋人は、アレで存外かわいらしい。
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