「リュウはさぁ、なんで彼女とか作んないわけ?さっきのキレイ目なお姉さんもリュウ狙いだろう?」
「興味ない女の子から告られても嬉しくないし」
「・・・・・・・・・にっこり笑って怖いこと言うなやな」
「好きな子ができたら彼女にしたいとは思うけどねぇ、そこまで思うことって中々ないから腰重くって」
「じじぃかお前は・・・」
「ノリオに言われたくないなぁ。同い年じゃない」
「・・・・」
「だって当然だろう?こんな歳で恋愛沙汰で致命傷なんてマジでシャレにならんもん」
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Perrier
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尻軽でもないし、軽薄でもなく、だからと言って重過ぎもしない。 そういった意味でヤツは信用のおける男だったから、どんな女の子にも太鼓判を押して薦めていた。 少しおかしなヤツで、積極性はないかもしんないけど、いいヤツだよ。優しいし、と。 でも、できたら女から好かれるより、自分から好きになるような女と出会えるといいなとは思っていた。 ヤツは基本的に追いかけられると逃げてしまう腰抜け。 それでいてマイペースで人とあわせることを露とも気にしないタイプだから。 だからヤツに好きな女ができたら諸手を挙げて応援するつもり、もしくは生温かい目で、邪魔しないように見守るつもりだった。 独立独歩を地で行くヤツが、俺に恋愛相談なんて恥ずかしいことしてくれるとは思わなかったけど。
――― 相談しねぇ・・・ってトコだけは当たったか。
その男、夏目が "晒し者になる場所" と揶揄した喫煙所で、滝川は一人煙草を吸いながらそう一人ごちた。 ガラス張りの公式喫煙所は、よりにもよってのエレベーター脇にあるので人通りが多く、その度にちらりちらりと無機質な、もしくは不快そうな視線を投げかけられる。 滝川とて喫煙ごときでまるで罪人のように晒し者になるのは避けたかったのだが、かといって最近使っていた人目につかない非常階段側では、同じように人目を避けた夏目がいる可能性が高かった。 夏目とは正面から顔を合わせずらかったので、やむなくこちらを選んだのだが、それでもやはり居心地が良いとは言えない。けれど、そこまでして吸いたいと思うのが、ニコチン中毒の怖いところだ。 滝川はやめることなどできそうにない煙草を見下ろし、自嘲気味に口の端を釣り上げた。
夏目の弾いた曲に麻衣が難癖をつけ、その後、相手の名前までは聞けなかったけれど、まず間違いなく夏目が麻衣に電話をしたのはそれから2日後、今から2週間程前のことだった。 電話の内容は謝罪と、いわゆる愛の告白もどき。普段呆れるほど淡白な男がしたとは思えない、最速のアプローチだった。 盗み聞きによって図らずも滝川はその衝撃の事実を知ったのだが、だからと言って直接本人に問いただすこともできず、そのまま無為に日々は過ぎた。 その間にも夏目とは毎日仕事場で顔を合わせ、麻衣とも幾度か一緒に食事をした。 けれどどちらからもそのような内容の話をされることもなければ、別段2人の仲が変わったようには見えなかった。 そもそも、夏目がどんな風に思おうと変わるわけはないのだ。 麻衣にはナルという歴とした彼氏がいて、確かに酷い男ではあるけれど、麻衣はアレに惚れている。 ざっくばらんにその話をして、手っ取り早く夏目に諦めろと説得してしまいたい欲求がないわけではなかったけれど、今の微妙な状況で夏目と2人きりになり、滝川は自分が冷静でいられる自信がなく、お陰で、まるでこそこそと逃げ隠れるように夏目を避けていた。
どっと噴出したストレスに、思わず咥えていた煙草のフィルターを噛み切ってしまい、滝川は舌に広がった強烈な苦味に眉を顰めた。
そもそも、麻衣に好意を寄せる男は無条件で面白くないのだ。 それがつまらない男だったら、無様だろうが、おせっかいだろうが横入りして、その男を切り捨てて投げやってしまうのも簡単なのだが、今回ばかりはそうは簡単にいかなかった。 相手は夏目で、しかも彼はすばやい告白とは相反して、簡単には麻衣に手を出さず、冗談と笑顔でオブラートに包みながら、それでも含みのある視線で、ひっそりと麻衣を見つめているのだ。 彼の性格と過去を知っているがだけに、その静か過ぎる彼の行動は逆に厄介だった。 それは中々本気にならない男が本気だということを意味する。 夏目は本気になれば何事もそこそこうまくやれる。そして、何も知らない子供でもない。 普段低体温なだけに、ひさびさの発熱はどんな症状を起こすか分からない。 夏目に限って、麻衣に限ってと信じたいことは多々あるが、まかり間違ってということが絶対にないとは、どうあっても言い切れないのだ。 それにそれが実らない場合に受ける夏目の痛手は、昔自身で語ったようにシャレにならない深手になるだろう。その後の芋ずる式に繋がってくる厄介ごとは、考えただけで眩暈ものだ。 そうして滝川は噛み砕いてしまった煙草を吐き出し、イライラと新しい煙草を取り出した。
――― おじちゃんは平和が一番好きなんだけどなぁ。
滝川はそんな日和見なことを思いながら、新しい煙草の煙を吸い込み、喫煙所の透明な壁に頭をぶつけた。
「あれ、ノリオ?谷山ちゃんは?」 「帰っちゃったの?」
滝川がスタジオに戻ると、スタッフは不思議そうな顔で口々に言った。
「何のことだよ?」 「だから谷山ちゃん。いつも来てる女の子だよ」 「麻衣が来てたのか?」 「そうそう」 「ノリオいないかってちょっと前に聞きに来たんだ、しばらく待っていたみたいだよ」 「休憩するって出て言ってたから、非常階段の所で煙草でも吸ってんじゃねぇ?って教えたんだけど、入れ違いになっちゃった?」 「あ・・・俺、喫煙所行ってたから」 「何で?あそこ晒し者になるみたいだからイヤだって言ってたじゃん」 「それは・・・・リュウが言ってんだよ」 「そうだっけ?ありゃ、んじゃ嘘教えちゃったなぁ」 「探してると思うから、ノリオ迎えに行けよ」 「ああ、わりぃ、直ぐ戻るから」
取り立てて問題にならない会話。 それでも滝川は胸にこみ上げる不快感に押され、直ぐにでも飛び出して行きたい衝動に駆られた。 それを何とか抑えて、普段通りの余裕をかまして、ひらひらと手を振ってスタジオを後にする。 それから滝川はめいっぱいの大股でその場所に向かった。 慌てて走り出すようなものでもないのだけれど―――― 非常階段に、麻衣と夏目。 それはなんとも嫌な符号だった。
半開きになっていた非常階段に続くドアを開けると、そこからは鮮やかなオレンジ色の夕日が、目を突き刺さんばかりの勢いで飛び込んできた。 思わず瞼を閉じ、顔を顰める。 そして下りた一瞬の盲の中、ささやかな笑い声が上から降ってくるのが聞こえた。 非常階段の手すりにもたれ掛かりながら声のした方を見上げると、2階高い踊り場で夏目と麻衣が何やら楽しげに談笑している様子がちらりと垣間見えた。 夏目が彼らしい低くて甘だるい、それでも最大限の親しみを込めた声で小さく笑っているのは頷ける。彼はまだ麻衣に好意を寄せているのだろうから。 けれど、麻衣がいつもの元気で明るい笑い声を上げているのは問題だ。 その様子に滝川は反射的に顔を顰めた。 どんなやり取りがなされたかは知らないけれど、対面する男が自分に好意を寄せていた、もしくはいる事実を麻衣は知っているのだから。
――― ああ、でも、麻衣も抵抗力弱まってるからってか?
恋愛において、どんな人間にも魔がさすという事実を、滝川とて知らないわけではない。 突如襲ってきた胃の底が焼けるような感覚に、滝川は険しく眉間の皺を寄せた。 この場においての裏のない麻衣の笑顔は、ざわりと皮膚を逆撫でる凶器でしかない。
――― 笑うなよ。
眩しいように輝いて見えるその光景に、滝川はそのままひっくり返りそうになるのを腕の力だけでなんとか凌きつつ、声にならない怒声を張り上げた。
――― リュウなんか見んなよ!
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