事務所が休みだと言う日に、麻衣は安原を伴って滝川が缶詰になっているスタジオに顔を出した。
「仲良くランチでもご一緒しようと思いまして」
率なく柔和な笑みを浮かべる安原に、滝川は苦笑しながら肩を竦めた。
「ほいでは、娘にはお兄さんが奢ってあげようかね」 「わぁい!」 「わぁい、ノリオ愛してるvvv」 「ヤローはテメーで払うの。コレ鉄則」 「それじゃ、私今から修子になる!よろしくね?お兄ちゃん」 「そんなむっさい子知りません」 「ひっどぉぉい!」
しなを作る安原を滝川は遠慮なく蹴飛ばし、麻衣は声を立てて笑った。
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Sherbet
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安原が事前にサーチしておいた滝川好みの飲食店は、さすが越後屋と言うほどには美味だったのだが、いかんせん客が多く、昼休みと称して抜け出した滝川ら3人は食事を終えるとデザートをテイクアウトに切り替え、早々に店を出て近くの公園に立ち寄った。
「暑さ寒さも彼岸まで、なんて、温暖化の進む現代では既に崩壊して、今年もいつまでも暑かったですけど、流石に10月ともなると涼しくなりますね。秋風が気持ちいい」 「じじいか、お前は・・・」 「やだなぁ、僕でじじいだったら、滝川さんなんて既にギネスクラスのご長寿じゃないですかぁ」 「・・・・」
昼日中から回りの良過ぎる舌と付き合うのはしんどいと、滝川は肩を落としたのだが、その様子さえ嬉しいのか、麻衣はテイクアウトしてきたカシスシャーベットを舐めながらくすくすと機嫌よく笑い、滝川が自分を分を分けてやると、世の中の幸福を独り占めしているかのような笑顔でそれを受け取った。
「何か・・・・元気だなぁ」
滝川が腰を落ち着けたベンチとは少し離れた噴水前で、懐いてきた犬とじゃれあう麻衣の様子を眺め滝川がそう一人ごちると、何故か隣にちゃっかり腰を下ろした安原は、同じように麻衣を眺めながら微笑んだ。 「やっぱりお父さんと一緒だと嬉しいんじゃないですか?」 「そう?」 「妬けちゃうなぁ」 あはははと、色なく笑う安原に滝川は僅かに眉を顰めた。 「そうだと嬉しいけど、そうでもねぇよ」 「はい?」 「先月あたりからこうやって時々顔見せに来てくれてたんだけどよぉ、何かイマイチ元気なかったんだよね。あれだけ笑ってるの見るの俺も久々よ」 「あれぇ、そうだったんですかぁ」 「何かイイことでもあった?」 暗に、遠いイギリスにいるであろう黒衣の美人について尋ねると、しっかりと情報を握っているであろう安原はあっさりと首を横に振った。 「そういう意味でしたら何もありませんよ」 「何もってのは?」 「言葉通りですよ」 安原は言葉を濁すでもなく、躊躇なく現状を解説した。 「お仕事上ではリンさん宛てにメールで色々連絡が来ているんですが、僕と谷山さんに直接連絡が入るようなことはありません。プライベートな連絡は別と僕なんかは思うんですが、こちらもなしのつぶてみたいですねぇ。谷山さんから直接聞いたわけじゃありませんが、多分詳しく相談しておいでのお姫様と女王様が今現在怒り狂ってらっしゃいますので」 おっかないですよぉ、その話題になると事務所の中がピリピリと焼け付くみたいで。と、安原は怯えた様子など微塵も感じさせない笑みを浮かべて言った。 「リンさんにメールはできるのに、どうして恋人に電話の一本も掛けられないのかって・・・向こうのチームリーダーも色々仰っているみたいなんですが、中々功を奏しないみたいです」 「ほぅ・・・」 「ええ」
予想はできたことだけれど、そのあまりの予想通りの解答に、滝川と安原はしばし見詰め合い、同時に苦笑してその沈黙を破った。
「にしても、そろそろ1ヵ月半?くらいだろう?」 「正確には後5日で2ヶ月です。帰国が少し早まりましたからね」 「その間、電話の一本もなしってか?」 「みたいですねぇ」 「そのくせ仕事の連絡はするって、さらに悪いじゃねぇか・・・」 「女性陣に言わせると 『 最低・最悪の冷血漢 』 らしいです」 「・・・・・・正しいわな」 「同意見です」 「本当に何を考えているんだか・・・・いくらナルだって言っても段々本気で腹が立ってきたぞ」 「そうですねぇ」 安原はのほほんと応えながら、犬の相手を終えてこちらに向かって歩いてくる麻衣に手を振った。 「もともと反応の少ない方ではありますが、ここまで徹底されていると何だか裏でもあるのかと思っちゃいますよね」 「・・・裏ぁ?」 「所長に限ってありえないと思いますが、まぁベタなところで浮気とか、浮気までいかなくても女性に追いかけられて、軟禁状態になって連絡もままならないとか」 突然飛躍した話題に滝川が目をむくと、安原は冗談ですよぉ、と軽く笑った。 「お仕事はしてらっしゃいますし、森さんからの情報でもそんな弊害はないと太鼓判頂いていますからね。そんなことはありえないのですが、いっそそんな理由でもいいからあった方が少しは納得できるかなぁって思って」 「大方・・・普段煩い麻衣がいないのをいいことに、仕事やら何やらに没頭し過ぎてんだろ」 「まぁそうなんでしょうね。だからこそですよ」 安原はそう言うと残ったシャーベットを口に収め、その場に立ち上がった。
「何だかそれじゃぁ、谷山さんをあまりに軽視してて・・・・そのくせ手放す気は絶対にないんですよ?まるで悪戯に谷山さんの忍耐力を試しているみたいじゃないですか」
当たらずといえど、遠からず。 さすがは越後屋。 滝川は内心でそう思いながら、息咳切って駆け寄ってくる麻衣にこちらもベンチから立ち上がった。 麻衣は滝川と安原の真ん中に到着すると、僅かに眉を寄せ、首を竦ませた。 「う〜〜、さすがにアイス2個は多かったよぉ、何だか寒くなってきた」 「結構量が多かったですもんねぇ」 「頭痛いし、舌がビリビリする」 「あ、僕もです」 安原は直前までの陰気な雰囲気を払拭するように、朗らかに微笑みながらおどける様に舌を出した。そうして突き出した舌はカシスエキスをたっぷり含んで赤紫色に変色していた。 「うわぁ、何かプール入りすぎた人みたい」 「それは唇だろうが」 「そうだっけ?」 「そうだよ。つうか、麻衣だってそうなってんだろう?安原の2倍食べてんだし」 「そうかなぁ?うわぁ、ぼーさん見て見て!」 麻衣はそう言うが早いか、滝川の腕を引っ張って、べっと勢いよく舌を突き出した。 小さな口から飛び出した舌はやはり濃い紫色に染まっていたのだが、その舌は会話の名残か唾液に混じっていやに艶めいて、滝川はぎょっとして口を結んだ。 その行為は無邪気すぎるほど無邪気なのだが、上から見下ろすその図は、何かをねだる様にも見えて、キャラに合わず、また昼の公園というシチュエーションにも似合わず、しかも赤紫色をしているというのに、思いの他、エロティックだった。 見てはいけないものを見てしまった感覚に、何故か罪悪感まで感じて滝川は目を反らしたのだが、本人にその自覚は微塵もないのだろう。
「やっぱり紫になってる?」
麻衣はそう言うとすぐに舌をひっこめ、少しでも色素を落とそうと口内でもぞもぞと舌を動かし始めた。 それが何だか無性に恥ずかしくて、滝川は急いで近くの自販機で缶ジュースを買うと、今度は安原に確認しようとしていた麻衣に無理やり手渡した。 「あのね、お嬢ちゃん。仮にも大学生でしょう?行儀悪いからやめなさい。気になるならこれでも飲んで落としとけよ」 諭すような滝川に、麻衣は具合悪そうにさらにちょっぴり舌を出し、それから缶ジュースのタブを開けて、我慢するようにそれを飲んだ。その様子にほっと胸を撫で下ろしながら、滝川は動揺した自分に動揺して、それと悟られないように内心で唾を飲んだ。
――― 心臓に悪いっていうか・・・・ 本当に、ナル坊、お前早く何とかしろよ。
そうして、動揺をもみ消しすように、何か八つ当たりじみたことを念じた。
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