少し顔を出していけ、と滝川が麻衣と安原をスタジオに誘うと、控え室にはドラムとキーボード、その他夏目を除く数人のスタッフがたむろしていた。

互いのことを簡単に紹介してやると、安原は卒なくにこやかに愛想を振りまきながらも、困ったように唸った。

  

「残念だなぁ。せっかくだから是非とも噂の " リュウさん " を見たかったんですけどねぇ」

「噂のって何だよ」

「ノリオと一番仲のいい方なんでしょう?」

「あ?まぁ・・・そうなるかな」

「そしたら僕のライバルじゃないですか」

「・・・・」

 

心底うんざりした表情を浮かべる滝川が面白かったのか、その場に居合わせたメンバーはあけすけな安原の言葉にカラカラと笑い、3人に夏目がいるであろうスタジオの場所を教えた。

 

 

  

  

 

  

    

 Sugar
少し笑って 少し優しくして 少しでいいんだ

  

 

   

  

  

 

 

扉の開いたスタジオからは、主旋律だけのか細いメロディーが流れていた。

その懐かしい旋律に滝川はおっと顔をほころばせ、後ろについてきた麻衣と安原を手招きすると大人しくしろとジェスチャーしながら、小声で囁いた。

 

「珍しいなぁ、リュウのヤツ自分のオリジナル弾いてる」

「あ、このギター弾いている人が " リュウさん " なんですか?」

「そうだよ。この曲って確かリュウがまだ十代の頃に作った曲のはずだから」

「作曲もされるんですか?」

「基本的にはあんまりしねぇんだけどね、この曲はいい曲だよ」

「私リュウさんが曲弾いているの初めて聞くかも」

「そうだっけ?んじゃ、よく聴いてみな、リュウのギターはすっげぇ上手いぜ」 

  

滝川はまるで自分のことのように夏目の腕を自慢しながら、演奏の邪魔をしないように足音を潜めて2部屋に分れたスタジオに足を踏み入れた。

録音機材が詰め込まれたミキサールームと、音を録音するためのスタジオはドア一枚隔てているだけなのにその雰囲気はがらりと変わる。

煩雑なミキサールームに、必要最小限のものしかないスタジオ。

2部屋の間には大きな透明の窓ガラスがはめこまれているので、お互いの姿は難なく確認できるのだが、厚い仕切り扉を閉じてしまえば互いの音は一切届かないようになり、スタジオはおっかない程の沈黙に隔離され、ミキサールームにはマイク越しの音しか入らないようになる。

ただし休憩時間中の今は、扉が半分開かれており、中と外の音はその距離分の近さで響いていた。 

 

 

夏目が弾くスローテンポのその曲は、盛り上がりのない地味なバラードだった。 

退屈な曲と言ってしまってもいいほどの曲なのだが、それでも夏目がその曲を弾くとそのメロディーは急に息を吹き返したように瑞々しく響く。

甘だるいような夏目の匂い。

それによく似合う、だるくて、生温かい、まるで夏目自身のような音。 

自分に似合うものを心得ていて、それを好きだという夏目は時々思い出したようにその曲を弾く。

それは弾くたびにアレンジが加わり、今ではすっかり技巧的には難解なレベルに達しているのだが、その印象は初めて聞いた頃となんら変わることなく、切々と物悲しいような、それでいて許されるような不思議な感覚を残した。 

たっぷりワンコーラス弾き終えるのを見計らってから、滝川は半開きだった仕切り扉を押し開け、中で一人ギターを爪弾いていた夏目に声をかけた。 

「随分また、懐かしいもの弾いてんなぁ」

「ん〜、最近他人の音楽ばっかりだったから、ちょっと疲れちゃってね。リハビリ」

夏目は驚くこともなく返事をすると、リピート部分を奏でながら顔を上げ、そこでようやくミキサールームにいる麻衣と安原の存在に目を止めた。

「今日は麻衣と同じバイトやってる男も来てたんだ」

「安原と申します、初めまして」

愛想良く微笑みながら頭を下げる安原に、夏目はぎこちなく首を傾げて返事を返した。

 

 

「どう・・・も、と・・・・それで、一体谷山さんはどうしちゃったの?」

 

 

夏目の指摘に滝川と安原が揃って視線を麻衣に向けると、麻衣はミキサーの前で立ちすくみ、呆然とした顔で涙を流していた。

「麻衣?」

慌てて滝川が麻衣の顔を覗き込むと、それでようやく麻衣自身も自分が泣いていることに気がついたらしく、慌てて両方の頬を手で押さえた。

「・・・・あ、あれ?」

すかさず安原にハンカチを手渡され、麻衣はなぜ泣いているのか理解できないといった顔をしたまま、条件反射でそれを受け取った。

「大丈夫ですか?」

「や・・・・大丈夫です!やだなぁ、すみません。何で泣いちゃったんだろう?・・・・なんだろう、リュウさんのギター聴いてたら自然と・・・」

最後は消え入りそうな口調で呟き、さらにハラハラと涙を流し始めた麻衣に、滝川と安原は何事かと詰め寄りながら、暗黙の内に視線で示し合わせた。

先天的センシティブで、ある種破天荒な麻衣に、この場と関わらずも何かと怪談話の多い音楽関係の事務所。何かを受け取ったと勘ぐるのは、彼らの普段の付き合いから考えれば当然のことだった。

念の為に真砂子にそれとなく確認してもらうのが無難だろう。2人の思考がそれに固まった段階で、夏目はスタジオから気の抜けた声をかけた。

 

 

「何だ、谷山さん、俺のギターに感動してくれっちゃったわけ?」

 

  

能天気な声に滝川と安原は顔を見合わせたのだが、麻衣はその声に救われたといった顔をして、泣いたことを誤魔化すように滝川の脇をすり抜けスタジオに入ると、夏目の横に立ち、照れくさそうに笑った。

「そうかも?すごいねぇ、リュウさんかっこいいです」

「それは・・・どうもありがとう」

悪びれもせずに微笑む夏目に、麻衣はほっとため息をついて微笑んだ。

「何だか切ない気持ちになっちゃいました」

麻衣の感想に夏目は首を傾げ、愉快そうに口角を吊り上げた。

 

 

「孤独がテーマの曲なんだけど、心当たりでもあった?」

 

 

まるで謀ったかのようにタイムリー過ぎる単語に、滝川はさっと顔を顰めたのだが、夏目はそれには全くく気がつかず麻衣を見上げ、戸惑う麻衣の表情に夏目もまた困ったように目を細めた。

「孤独もそんなに悪くないって気持ちを込めたんだけど、そこまではダイレクトに伝わんなかったか」

「いえ・・・あの・・・」

「まぁ寂しいような曲だからしょうがないか。でもさ、特に悲しい曲ってわけじゃないんだよ?だから泣かないで」

「え?」

怪訝そうに固まった麻衣に、夏目はにっこりと笑みを浮かべて言った。

「独りでいるって悲しくて悪いことみたいなイメージが多いけど、俺は結構ヘイキだし、好きなんだよね。孤独でいるってもそんなに悪くないよ。言うほど冷たくないし、時々自分を甘やかしてくれるし、いいもんだと思うんだよねぇ。だからこれは孤独を歌った歌だけど、それを悲しむのじゃなくて、賛美する歌。のつもり」

歌詞もあるんだけど、歌う? と、夏目が笑って言った瞬間だった。 

 

 

 

 

 

 

「それは本当の孤独を知らないからだよ」 

 

 

 

 

 

震えるようなか細い声が、目の前の作者を否定した。

「谷山さん?」

きょとんとした表情のまま麻衣を見つめる夏目に、麻衣は安原のハンカチを胸の前で握り締めながら反抗した。 

「独りでいるって多分大切なことです」

「うん?」

「それに独りになってしまうって現実的に絶対あることです。どうしても独りきりになることってあるもん。それを全部悪いことだって思わないけど、本当に独りきりになると、怖いくらいに静かになって、そんな甘い音楽なんて聞こえてこないもん。独りきりってそんなにあったかい場所じゃないです。冷たくって、自分の境界もわかんなくなっていって、世界に飲み込まれそうになる、怖い所だからっっ」 

突然堰を切ったように語り出した内容に、滝川は慌てて麻衣を止めようとスタジオに戻り、その肩を揺すった。

「麻衣!」

「あっ・・・・」

細い肩が前後に傾ぎ、それでようやく我に返った麻衣は、呆然と滝川を見上げた。

熱を持ち、浮かされたようなその表情に滝川はくしゃりと顔を歪め、次にガシガシと乱暴に麻衣の髪をかきまぜ、おどけるように声を荒げた。

「麻衣ちぃぃん?どうしちゃったのかなぁ?これはリュウの作った歌なんだから、麻衣が評価をつけるもんじゃないでしょう?あなたどこのおエライさんよ?」

麻衣はそれでようやく自分が口走った事の意味を悟り、慌てて夏目に頭を下げた。

「ご、ごめんなさい!何か勝手にベラベラと・・・・」

「悪いな、リュウ。ちょっとこいつナーバスになってんだよ。な?麻衣」

麻衣の首を両手で囲い込みながら、滝川が取り繕うに笑うと、その正面に座っていた夏目は感情の窺えない表情で麻衣を見据えていた。これはヤバいと、滝川は慌てて麻衣を引っ張り、安原もろともスタジオから追い出そうと背中を叩いた。

「わりぃ、リュウ!先に控え室行ってるから、後から来いよ!」

そうして自身も急いで背を向けたのだが、その背中を追い越し、夏目は真っ直ぐ麻衣の背中に向かって、彼にしては珍しい大声で声をかけた。 

 

 

 

 

 

「本当はね、この曲って独りになりたいって歌っているんだよ!」

 

 

 

 

 

 

いつもの声とは違う、どこか切羽詰った夏目の声に、麻衣はぴたりと歩みを止め、恐る恐るといった風に夏目を振り返った。

そうして一瞬間、麻衣は夏目を見つめ、それからゆるゆると精一杯の笑顔を浮かべて頷いた。

  

「だから切なくなって、泣いちゃったんですね」

 

どきりとさせられる程、酷く儚げな笑顔のまま、麻衣はスタジオを後にし、廊下の角を曲がって、夏目の視線をすっかり振り切ると、堪えきれなくなったように声を出さずに泣き出した。

 

  

 

 

 

 

 

過去に絶望的な程の孤独を感じただろう麻衣は、一人でいることを極端に嫌っていた。

その麻衣にとって、孤独は怖いものでありこそすれ、願って止まないものではなく、それが欲しいなどと言うのは、それを知らない者の贅沢で不遜な暴言にしか聞こえなかったのだろう。

普段は明るくて、それこそ泣いているところなんて想像もできないような"女の子"だから、それはついつい忘れがちになるけれど、その恐怖はきっと心の深い場所まで麻衣を侵食している。

表面的にはたくさんの友人を作り、自分の味方となってくれる人間を増やしていく才に恵まれているというのに、麻衣はそこから一歩踏み込んで、我侭が言えるような関係になるのを怯えているふしがある。それはこれだけ長く、親密な付き合いを重ねていても、悲しい程に消えることはない。

その点について特に甘やかしているつもりはないが、それは麻衣の生い立ちを思えば無理からぬことに思えた。そんな麻衣には常に笑いかけて、優しくして、思う存分甘やかしてくれる男が似合いだ。

 

 

だから、ナルには少しでいいから甘くあって欲しいと願っていた。

理由は簡単だ。

ナルは、麻衣が好きな男だから、だ。

天文学的な確立で、奇跡的に2人が付き合うようになったから、だ。

優しくし合うことをお互いに許した相手だから、だ。

 

 

けれどナルは何の躊躇いもなく麻衣を一人にする。

そこに彼なりの理由があるにせよなきにせよ、事実として、物理的かつ精神的に麻衣に孤独を味合わせている。そしてそれは二人でいることを知ったから、より一層強く麻衣を追い詰めているのかもしれない。

 

 

 

 

滝川はままならない現実に深くため息を落とすと、声を殺して泣く、憐れな愛娘の頭を撫ぜた。

それでも我慢しようとする麻衣が健気で、可愛らしくて ―――― こうして麻衣を泣かせるナルに殺意に近い嫌悪感を感じつつ。