「つくづくお前はトラブルメーカーだ」
「へ?」
急に話をふられ、麻衣が予定外に間抜けな返事をすると、ナルは気が抜けたようにそのままどさりとシーツ越しに麻衣の方に倒れた。上から覆い被される格好になり、麻衣が慌ててもがく中、ナルはどこか他人事のように言葉を続けた。
「僕が身体に触られるのが苦手なのはわかるな?」
「へ?あ、ああぁ、うん」
だから、どれだけ月日が経っても、麻衣は悪戯にナルに触れたりしない。
麻衣がそう一人ごちているのを見計らって、ナルは続けた。
「それは今でも変わらない。嫌悪感はあれと同じ」
「・・・・う、ん」
「それでも麻衣には触りたい」
「!!?」
「けど、嫌がられたくない。嫌がられてまでしたくない」
「・・・・」
「それでいて、やっぱり自分は触られたくない」
「・・・・」
「性欲はあるが、それがどこまで、どんなものを求めているのかさっぱり分からない。そもそも僕はセックスが嫌いなんだ。憎んでいると言ってもいい。できるかどうかも分からない」
予想外の強い言葉の数々に、麻衣がシーツから顔を出すとナルは真正面にいた。
間近に見上げる絶世の美人の顔は、息をのむ程美しく、今は艶めいてさえ見える。
漆黒の髪はより黒く、白磁のような顔はより白く、青ざめて見えた。
「正直、麻衣に発情するとは思っていなかった」
「!」
「予定外の問題で、頭が痛い」
麻衣は両手を持ち上げ、恐る恐るナルの頭に触れた。
本当に苦しそうで、すぐにでも慰めて、できる限りの手当をしたい衝動に駆られる。けれど強欲な本心はその先にあるかもしれない、自分が聞きたい答えを探し出したい。
酷い人間。
麻衣は自分の中に隠れていた狡さに驚きながら、尋ねた。
「どうしてって、聞いてもいい?」
沈黙の先を麻衣が静かに待っていると、ナルは僅かに躊躇した後、小さくため息をついた。
「サイコメトリで、性的犯罪のたくさんの加害者と被害者になったんだ」
「・・・・・前の調査で?」
「違う、警察への協力。怨恨での失踪であれば警察が見つけられるが、偶発的な事故や不特定多数を標的にした性的犯罪による失踪は発見が難しい。そんなものが僕に回ってくる」
「・・・・」
「たくさんのパターンがある。被害者になるのも酷い体験だったが、加害者というのも愉快ではない。共通しているのは醜悪だってことだけだな」
「・・・」
「無意識のうちに自分の性欲を強く否定していたとしても不思議ではない。そのくらい醜かった。けれど自分とは無関係だと思っていたから、それで特に不都合はなかった。それがここにきて自分が加害者にもなる可能性が出てきた事は、ある種の絶望でもあるな」
ナルはそう言うとゆっくりと首を傾げた。
「アルコールも元は大嫌いだった」
「そう・・・なの?」
「僕たちの育児放棄をした母親は重度のアルコール中毒だった」
「!」
「子どもの頃は臭いだけでも嫌だった。ジーンも同じようなものだったな。少なくとも16歳までは僕たちの周囲にアルコールは存在しなかった」
「それじゃ・・・何も・・・」
「冷静に考え対処すれば、それほど忌み嫌い、拒絶するものでもない。完全にコントロールすることの方が建設的と判断してからは、こうして口にしている」
だから恐らく事態は変わるだろう、と、続けようとしたナルはそこで涙目になっている麻衣に気が付き口を閉ざした。
少し喋り過ぎたと、内心で舌打ちしつつ、ナルは空虚な瞳で麻衣を見下ろした。
抵抗はあったが、問われたから答えた。
事実は事実だ。
けれどこの答えは、目的があって答えた解ではなく、消去法で選ばれたアクションだ。
自分の状況を教えて何になるのか、教えれば麻衣はどう思うのか、どんな行動を起こすのか、その先にどんな変化が生まれるのか、ナルにはさっぱりわからなかった。
分からないまま月日だけが悪戯に過ぎて、面倒なことにこんなつまらない問題でのストレスは増える一方だった。このままストレスを抱えて、何かに支障が出るよりは、何かアクションを起こした方がまだ対処法があるだろう。そんな一種投げやりな選択だった。
これで麻衣との関係は解消されるのかもしれない。
ナルはその可能性に悟られないように息を呑んだ。が、次の瞬間すぐにそのショックを握りつぶした。
今のところそれは望んだ結果ではない。
しかし、それならそれでいい。
性欲を感じるのは、麻衣が側にいる時に限られている。
恋人関係で麻衣が側にいなくなれば、こんな問題に頭を悩まされる必要もなくなる。そうすればやはり自分には恋人のような面倒な人間関係の構築は無理だと結論がつく。以降、こんな関係を築こうとしなければいいだけの話だ。
関係を解消しても、麻衣が気になることがあるかもしれない。
しかしそれなら雇用関係を解消すればいいだけだ。徹底するなら帰国してしまえばいい。そうすれば昔の様に、麻衣と付き合う前の、平穏な自分がまた帰ってくるだろう。
ジーンも麻衣もいない、望んでやまない静かな生活。
そうでなければ_____
「あたしと一緒にいるのは辛いこと?お酒みたいに・・・ナルにとっての課題みたいなもの?」
ナルが息を殺している間に、麻衣が尋ねてきたのは、やはりナルの想像外のことだった。
想像できない分野なのだから仕方のないことだが、本当にさっぱり分からない。
何を考えているのか。それを聞いてどうするのか。
底の見えない沼に石を投じるように、なんの手応えも期待せず、ナルはただ思い浮かんだことを吐いた。
「課題だったらもっと簡単だった」
しかしてその直後、ふわり、と、花がほころぶように、麻衣は嬉しそうに笑った。
「よかった」
高い声が細く、ほぅと安堵のため息をつくように囁いた。
「私がなんかいけないのかなぁ。魅力ないのかなぁ。嫌われているのかなぁって思っていたの。そうでなくてよかった」
まぁ気持ち悪いってのはしょうがない。
麻衣はそう言うと、頭を抱えていた両手をパッと離した。
真正面から伸ばされた手を嫌うほどではないと、ナルは弁解じみた気持ちになったが、麻衣は構わず続けた。
「ナルと付き合うっていってもさぁ、仕事か食事だけじゃない。デートもしたことなくて、私たち本当に付き合ってるのかって不安になっていたんだよ。その上でさぁ、同じベッドで平気で寝られると、これって兄弟ってこんな感じなのかな?とかさ疑っちゃったわけよ。女の子扱いまるでされてないってってことでしょう?」
「・・・・」
「でもさ、ちゃんと理由があるならいいの。あ!ナルの理由がいいって意味じゃないよ!?今どんなこと言えばいいのかわかんないくらい悲しいけど、それってちゃんと女の子に見えているってことでしょう?嫌なのに・・・嫌なのにさ」
麻衣は支離滅裂な説明に自分で戸惑っていたが、
「抱きしめてくれてありがとう、ナル」
それでもそのストレートな言葉一つで、2人の問題のいくつかを壊した。
麻衣だけのことかもしれないが、直情型の女はこんな解決方法を持っているのか。
ナルは内心でそんな感想を抱いた。
全く同じ人間とはとても思えない。エイリアンだと言われた方がまだ納得できる。
そんな驚きを秘めながらナルは麻衣を抱きしめた。
何度抱きしめても、その都度驚かされる程麻衣の身体は柔らかい。
その柔らかさが、ナルのみぞおち辺りをえぐっていく。
これが厄介なんだ。
ナルは眉間に皺を寄せながら、テーブルの上で空になったワインボトルを眺めた。
フルボトルは多すぎたのかもしれない、と、どこか冷静な自分が自分を諫めた。
酔っているとしか思えなかった。
饒舌で短絡的、こんな自分はかつて知らないもので、酷く不本意だったから。
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