暖房が効いて暑いくらいの店を出ると、外は冷たい風がふいていて、ぐるぐる巡っていた麻衣の脳内もいくらかすっきりした。 すっきりついでに、麻衣は綾子の腕を取り、幾分甘えた声で尋ねた。 「あたしがナルの家に帰れなくなったら、しばらく泊めてくれる?」 綾子は虚をつかれて咄嗟に黙り込んだが、言外に、麻衣が問題解決に重い腰を上げようとしていることを悟ると豪快に笑った。 「何があったか詳〜しく話してくれるなら、何泊でも泊めたげるわ。おまけに新しいアパートの保証人にもなってあげるわよ」 ぎゅっと組み直された綾子の腕からは、女らしい香水のいい香りがした。
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「ただいまぁ、綾子にご飯ご馳走になってすっかり遅くなっちゃった。ナル、ご飯は?」
「食べた」 極力明るく、ナルの顔を見ないようにして、麻衣はバスルームに直行した。 気合いを入れて念入りに身体を洗って、よく拭いて、すっかり髪を乾かしてセットし直しして、それから少し悩んで、化粧をするのはやめてリップクリームだけ塗った。 リビングを覗くと、ナルは帰ってきた時と1ミリも変わらない体勢で、こちらに背を向けるようにして、ソファで資料に目を通している。そこまでの歩数を目測で測ってから、麻衣は一つ大きく深呼吸し、スイッチに手を伸ばした。
突然真っ暗に落とされた照明に、ナルは思わず身構えた。 その緊張を解くように、高い声が状況を説明した。 「停電じゃないよ」 埒があかないとナルが立ち上がりかけると、制するように麻衣が大きな声で尋ねた。 その小さな物音に、麻衣はほっと小さなため息をついた。ため息の後に大きな深呼吸。そうして麻衣は口を開いた。 まるで反応のないナルに、麻衣はつめていた息を吐き、少し考えて返答代わりに尋ねた。
口にして初めて、麻衣はずっと自分が心に抱えていたものをようやく見つけた。 ナルとの関係に遠慮して、忘れてしまっていた自分の感情。 行為が重要なんじゃない。それで寂しくなってしまうのが問題だったのだ。 それが分かると俄然力が沸いた。 綾子が言っていたことの意味がようやく理解できる。言うべき事が洪水のように押し寄せてきて、麻衣は早口でまくしたてた。 「ぶっちゃけさ、夏の調査依頼じゃん。こうしてなんだかおかしくなっちゃったの。それって・・・その、あの暗示が関係してるよね?あれ以来、ナル絶対に一緒に寝なくなって、そのうちキスもしなくなっていった。それ以外になんか理由ある?私、なんかした?」 ここまで話をしても反応一つ返してこないナルに、麻衣は諦めと達観と、それから確信を持った。多分、自分の直感は間違っていない、と。 「調査でレイプする暗示に私かかったよね。あれ、相当嫌だったんでしょう」 「・・・」 「それから全部嫌になった?私も嫌になった?」 「・・・」 硬直するナルに、麻衣は緊張に耐えかねてその場にしゃがみ込んだ。 「ナルがエッチ嫌いなの知ってる。戸惑ってるのも、警戒してるのも分かる。ベターマンションはそれをピンポイントで思い出させるような調査になっちゃったよね。それでおかしくなっただけなのかな?これって時間が経てば元に戻れることなの?」 麻衣はそこまで言って、首を横に振った。ここまできて偽ることはない。 「嘘。それも嫌だ」 麻衣は深呼吸をすると、震える指を必死に押さえつけた。 「ね、私は元にも戻りたくない。調査の前まではイロイロしたよね。でも、ナルは最後まではしなかった。私が嫌がるから。しょうがないじゃん、だって私バージンなんだもん。どうしても怖いんだもん。でもさ、それはナルを否定しているわけじゃなかったんだよ。調査の時も言ったよね、レイプとそれは全然違うって。でも、ナルは全部ひっくるめて嫌がった。でもさぁ、それってさぁ、わかるけどさ、私を傷つけないようにって言ってて傷つけてたんだよ」 麻衣は悔しくて震えながら、それでも懸命に言葉を繋いだ。 麻衣はごくりと唾を飲み込んだ。 でもこれだけは、自分から言わないといけない。 そうじゃないと進まない。 珍しいことに、ナルが息を飲むのが分かった。 「これは避けてもきっともう解決しないよ。避け続けて3ヶ月経って、関係悪くなるだけだったもん。だったら正面から一回ガチンコ勝負してみたい。それでもトラウマに負けるかもしれない。でも、気持ちは繋がるよ。その過程が一番大切じゃない?」 綾子に言われたことがそのままセリフになった。 その不機嫌そうな口調に、麻衣は戸惑いながらしどろもどろと説明した。
心臓が飛び跳ねる程驚いた。 が、不機嫌なナルの怒声に、麻衣はふにゃりと笑みを浮かべた。 それなら。 麻衣はそこで満足しかける自分に、がんばって首を振った。 姫神は認めたが、自分がもう知っている。もう完全なプラトニックに戻ることはできない。 それでも、後退では結局どちらの心も満足はさせられず、問題は先送りになって事態を拗れさせるだけだと、皮肉にも今回のトラブルで思い知った。 それではトラウマなんて大きなものはとても超えられない。 こんなことをがんばっている自分が、とんでもなく滑稽に見えて居たたまれない。 「お願い、このまま手を離して」 でも、寂しいんだから仕方がない。 実際に何が何だか分からなくなるくらい寂しいんだから仕方がない。 言葉で埋めてくれるようなタイプじゃない。 だからこそスキンシップが大切なんだ。大嫌いなスキンシップだってわかっている。それでも自分には必要だから、譲歩する形だけでも見せて欲しい。
そうして麻衣を抱き留めて初めて、ナルは純粋に驚いた。 腕の中に倒れた麻衣はタオル一枚が身体を覆うだけで、ほぼ全裸に近い姿をしていた。 大口を叩いた割に、そうしてすり寄るだけでもう、麻衣の寂しさは十分に癒され始めていた。
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