#003
オリヴァー
自室に篭って論文を書いていると、ふいに集中力が途切れた。
気が付けば時刻はとうに深夜の領域に差し掛かっていた。
紅茶でも飲もうと、固くこった体を無理に動かしリビングに向かうと、そこには既に眠ったと思っていたジーンがノートパソコンを広げて、カタカタと何事かを打ち込んでいた。
いやに熱心だと、背後を通過する際にディスプレイを覗き込むと、ジーンは本国にいるガールフレド達に長いメールを打っていた。
ナルがあきれてそのまま素通りしようとすると、ジーンは背中をむけたまま、片手を上げてそれを制した。
「ナル、お茶入れるんだったら僕にもぉ」
「飲みたいのなら自分でやれ」
「先に立った方のが負け。僕忙しいし」
「・・・・」
紅茶をいれるのに勝ったも負けたもないだろうとナルは肩をすくめ、それでもそのままキッチンに向かいケトルをかけた。
湯が沸騰するまでの間、ぼんやりと書き上げた所までの論文を反芻していると、リビングから声が上がった。
「ナル、マーティンにもメールするけど、何か伝えたいことある?」
ナルは首を振って返事とし、二人分の紅茶をいれるとリビングのソファに戻った。
「ご苦労なことだな」
「ん?」
「要件もないのに、そんな長いレターを作成するなんて信じられない」
ナルの皮肉に、ジーンはキーボードを打つ手を止めずに反論した。
「伝えたいことはいっぱいあるからね」
「マーティンはともかく、その不特定多数のガールフレンドにも?」
「あるよ。どれだけ僕が君に興味があるかとか、会えなくて寂しいとか、相談事とかされるしね。丁寧なレスは喜ばれるんだ」
「下らない」
「だってさ、直接会うことはできないんだから、こうでもして繋ぎ止めておかないと。帰国して人間関係一新なんて、僕ヤダもん。ああ、でもミシェルには彼氏できちゃったんだよねぇ。ナルは知らないだろうけど、ボートやってる男。やっぱりあそこではボート強いよねぇ。メイウィークの花形だもんなぁ」
ジーンのため息に、ナルは別の意味でため息をついた。
――― 一体この双子の兄は何人の女の子を捕まえておけば気が済むのだろうか・・・
ナルの内心を読んだかのように、ジーンは振り返り、にっこり笑った。
「僕は特定の彼氏彼女ってことより、女の子全体からの人気者がいいもの」
「・・・」
「読んでないよ。でも、ナルが何考えているかくらいわかるよ。だからそう睨まないでよ」
言われて、ナルはジーンを睨んでいたことに気が付き、こめかみを指でさすった。
自分達双子のホットラインの繋がりは強い。
声を出さずに意識をやり取りし、必要とあれば互いの心をスキャンすることもできる。
ただ、その力は加齢と共に減衰し、また成長とともに見られたくないことも増え、今、それを悪戯に酷使するようなことはない。
第一、やれば間違いなくわかる。そうして、同じことを考えていたのか、その相手、双子の兄はメールを中断し、ほお杖をついて呟いた。
「ホットラインは便利だけど、段々使える範囲は狭くなっているよね」
「まぁな」
「成長すれば能力は落ちるってわかっていたけど、僕達も例外じゃなかったということか」
感慨深そうなジーンの言葉に、ナルは一つの例外を思い出し、口の端を吊り上げた。
それを見咎め、ジーンはナルの横のソファに体を移し、にやにやと笑いながら弟の顔を覗き込んだ。
「でもさ、能力が落ちても、これだけ長いこと顔つきあわせていると、顔見るだけで何考えているかわかるようになるよね」
「お前の突拍子もない行動は僕にはわからない」
「何だよ。僕だって時々ナルが何考えているか本当に理解できないことあるよ・・・・で、なくて!」
またナルの口車に乗るところだった、と、ジーンは一人憤慨しながら、それからすぐにクスクスと笑い声をあげた。
兄といい、麻衣といい、どうして自分の周りにはこうも落ち着きのない人間が揃うのだろう。
ナルは湯気の少なくなった紅茶を一息で飲みこみ、書斎に帰ろうと腰をあげかけ、ジーンに阻止された。
「ね、ナル今、麻衣のこと考えていたでしょう?」
「・・・・」
「あたり〜」
嬉しそうなジーンに、ナルは無表情に頷いた。
「考えたが?それがどうかしたか?」
「・・・」
「・・・」
「・・・ナルってばつまんない!かわいくない!!」
「上等だ。お前にかわいがられても気分が悪い」
ふくれるジーンにナルは肩をすくめて、再度、今度はしっかりと腰を上げて書斎に向かった。
「オリヴァー」
「何ですか、ユージーン」
「僕は今考えているんだ」
「それは良かった。たまには使わないとさらになまる」
「・・・」
そのまま去ろうとするナルに、ジーンは慌てて付け加えた。
「君は麻衣のことが好き」
ナルの瞳が僅かに拡張する。しかしジーンはそれには構わず続けた。
「でも、僕も麻衣のことは好きみたいなんだ」
悩んでいるんだよねぇと、ジーンはそれだけ言うと、中断していたメールを再開した。
本当に近年ますます意味がわからない。と、ナルはジーンの言動一切を全て無視して書斎に戻った。