#007
涙雨
安原の情報収集は迅速かつ的確で、ジーンと麻衣が指摘した施設を探し出すのに半日もかからなかった。
さらに安原は早々に施設責任者と工事担当業者を突き止め、そうかと思うと素早く依頼者と責任者との間を取り持ち、翌日には現地に向かう手はずをすっかり整えた。
そうして訪れた公用文化施設は人里離れた別荘地からさらに車で5分の山道を進んだ先に建設されていた。
森を無理やり切り開いて平地を作り、そのてっぺんに取ってつけたように突然姿を現す施設は、周囲とまるで溶け込んでいなかった。
それだけでも不自然なのに、その施設はなんだか奇妙に現実感がなく、空々しいような、居心地の悪い印象を与える建物だった。
その光景を目にして、真砂子は端正な顔を強張らせた。
「確かに・・・これは酷いですわね」
「そうなん?」
「えーヤダー。それじゃぁビンゴってことじゃない」
「いやいやいてもらわないと困るから」
霊視内容を聞くやいなや好き勝手に言い争いを始める綾子と滝川の横で、真砂子は袖で口元を覆い、眉を潜めて続けた。
「あたくしには、古い方々の集合体に見えますわ」
「へぇ、そら大変ですなぁ」
「集合体ねぇ・・・昔行った学校みたいなもんかい?」
「それとは少し違いますけれど・・・」
そうして真砂子は同意者を探すように麻衣に視線を止めた。
「麻衣、麻衣にはどう見えますの?」
「私?」
「昨日コンタクトが取れたんですもの、見えますでしょう?」
「あぁ・・ごめん、ここのは直接は見えないや」
「そう・・・」
心持ち気を落とした様子の真砂子に対して、ジーンはひょいと顔を出し呟いた。
「沢山の人間がいるって分かっているんだけど、見た目にはヘドロみたいなのがくっついた大きな塊にしか見えない」
ジーンの答えに真砂子ははっと顔を上げると、ジーンはゆったりと微笑んみ、それからひっそりと真砂子と同じように顔を顰めて見せた。
「しかも腐った川底みたいな臭いがする」
その言葉に真砂子は安堵したように微笑み、それからそんな自分に恥じ入るように慌てて顔を背けた。
今まで見てきたものが単なる幻で、幻覚を見ていた自分こそおかしい人間だと思った瞬間が一番怖い。
かつてそんなことを言ったのは滝川だったか。
他人に理解されない能力を持つ人間、それぞれが抱える恐怖をここいるメンバーは全員が持っている。自己肯定しか証明しえない能力は、正常であろうとすればするほど、時として自分の神経をすり減らしていく。それは優秀な霊能力者と言われる真砂子にとっても同じことで、そんな自分の能力を最初にフェアな立場で肯定したのがナルで、それを裏付けたのが麻衣で、証明してくれたがジーンだった。
特に科学的にも優秀なミーディアムと証明され、自分よりより正確に見えざるものを視るジーンの影響力は真砂子にとって本人が自覚しているよりも強いらしく、本人は否定しているが、以前はナルだけによせられていた愛着は次第にジーンに傾倒していっているようだった。
それはごく自然な推移と、ナルは露ほどもそれに気を払うことはなかった。
容姿が同じで能力も同程度、性格のいい方と悪い方がいれば、万人はいい方を選ぶに決まっている。
真砂子にしても、麻衣にしてもだ。
そこでふと、ナルは昨夜の暴挙を思い出した。
そう、自分のスタンスから言えば、正しくあれは " 暴挙
" だ。と、ナルは僅かに眉間に皺を寄せた。
煩わしい他人とのセッションは、人当たりのいい兄に押し付けておけば、大抵はうまくことが運んだ。
昔も、今現在もそれが一番重要で、一番まっとうな対処方法だ。
そして何より重要なことは、ナルがその状況に心底満足していることだった。
そういった面倒ごとは自分には似合わないし、興味もない。
あれは事故のようなものだろう。
ナルはそう結論付け、露ほども動かない表情の裏で、その行いをなきものにしようと力いっぱい握りつぶした。
我がことではあるけれど、それがどんなものなのか考えるのも何故だか無性に嫌だった。
そして、ふいに脳裏に響いたノック音に、ナルは半ば逃げるように自分の意識を僅かに開き、次いで予想通りに脳裏に飛び込んできた兄の意識に思考をシフトさせた。
――― ナル、原因ははっきりしているけど、すぐ除霊する?
――― 除霊でいいのか?
――― 正確には鎮魂。慰霊碑を建て直して、ぼーさんに供養してもらえばこの場は治まる。
――― ここでは特に被害がなかったようだからな、データも取れないだろう。
――― まぁね。
――― ではぼーさんに頼もう。
侵入者の意識を締め出そうとする前に、するりと、ジーンの意識は躊躇いなくナルの外に出た。
その軌跡をナルは無意識のうちに追い、それに自覚した瞬間息を止めた。
そんな兄を追いかけるような癖を持った覚えはなかった。
これではまるで母鳥の後追いをする雛だ。
赤面こそしなかったけれど、ナルは喉元に競りあがってくる疲労感に人知れず頭を振った。
麻衣のことといい、ジーンのことといい、何もかも自分らしからぬことだらけだった。
慣れないことは酷く疲れる。
しかも、とても不本意だ。
そんなナルの不本意極まりない不調とは関係なく、現場の作業はスムーズに行われた。
敷地隅に追いやられていた巨大な石碑を工事用のクレーン車で吊り上げ、元の位置にあたる中庭に戻した後、工事関係者が見守る中、滝川は護摩を焚き、除霊とは種の異なる経文をおごそかに唱えた。
朗々とあげられる経に応じるように、空は次第に曇り初め、最後には細い雨が降り出した。
「涙雨どすかね」
傍らでその様子を眺めていたジョンは、誰にともなくそう呟くと、慣れた手つきで十字を切り、彼なりの祈りの言葉をその手の内で唱えた。