#010  押し付けるつもりはさらさねぇよ
 

 

 

滝川が事務所に顔を出すと、正面の応接室にはナルが一人きりでソファに腰をおろしていた。

 

 

「珍しいなぁ、ナル坊一人か?」

 

 

滝川が声をかけると、ナルはあからさまに顔を顰め、低い声で応じた。

 

「・・・・何の用ですか?」

 

迷惑そうに顔をしかめた所で、今更怖気ずく人間でもない。

滝川は悪びれる様子もなく「立ち寄っただけ」と言い、慣れた様子で給湯室に向かった。

 

「麻衣もいないのかぁ」

 

冷蔵庫を開閉する音を立てながら、滝川が尋ね返すと、ナルはいよいよ面倒そうに溜め息を落とし、渋々説明した。

 

「麻衣は遅延出勤。安原さんは休み。リンとジーンは前回の調査で破損した機材のメンテナンスで外出中。今日は戻らない」

「メンテにユージーン?」

「霊障が出たからな。念のためだ」

「そりゃまた、あいかわらず慎重なこって。お、アイスコーヒーあるじゃん。ナルも飲むか?」

「結構です」

  

にべもなく手元の本に視線を落とすナルに、滝川は苦笑しながら一人で勝手に飲み物の支度をし、応接室に戻ると、ナルの正面に腰をおろした。

いつまでも見慣れない端正な顔立ちは、無表情にしていても十分な迫力がある。

滝川はその威圧的な雰囲気を楽しむように薄く笑った。

 

「なぁ」

「・・・」

「お前の兄ちゃんさ、最近やたらと麻衣と仲いいのな」

「・・・」

「よく2人っきりでいるって目撃談があがってんのよ」

「・・・」

「ぶっちゃけ、あれは恋人同士ってことじゃねぇの?いつからよ?」

 

ナルが沈黙を押し通すと、滝川は「やっぱりそうなのね」とくだを巻いた。

 

「なんだっけ?春先の調査だよな。ペンションから依頼があったやつ。あそこらへんからちょっとおかしかったよなぁ。あの時からだったら、今でもう三ヶ月くらいになるんじゃねぇの?」

「・・・」

「最近ムスメは遊んでくれねぇしさぁ。おかしいと思ってたんだよな。でも安原も綾子も教えてくれないしよぉ。お父さんとしては面白くねぇけどよ、ムスメが幸せならもう別に気にしねぇから教えろってんだよ」

「・・・・」

「で、だ。お前さん、どこまで知ってるのよ?」

 

そこまで聞いて、ナルはようやく短く返事をした。

 

「・・・・・何が?」

「ユージーンと麻衣のことに決まってんだろが」

「プライベートまで興味ない」

 

淡々と答えると、滝川は口を一文字に伸ばし追求した。

 

「でもよ、お前は兄ちゃんと一緒に住んでるんデショ」

「例え知っていても、ぼーさんに教える義務はないんじゃないか?」

 

冷徹なまでの無表情に、滝川は口元を歪めて微笑んだ。

ナルは最初それを完全に無視していたが、滝川がいつまでもにやにやと笑ったままその笑みを終えようとしないので、ついにはイラついて視線を上げた。

 

「何がしたいんだ。用がないならさっさと帰れ」

 

ようやくあった視線に、滝川はさらに愉快そうに微笑んだ。

 

「珍しいな」

「何が?」

「ナル坊が 『帰れ』 なんてさ。最近は聞かなかったセリフだ」

「日本語は曖昧な表現を美徳とするんだろ?だからオブラートに包んで言って差し上げていただけですよ」

 

優雅な笑みを浮かべて訂正すると、滝川は「そりゃどうも」と肩をすくめつつ、歪んだ口元に手を添えた。

 

「でも、今日はイライラしているのね」

「常にだ」

「麻衣がジーンとくっついちゃったから?」

「・・・・」

「図星?」

「論点がずれている」

「おや、ご明察」

 

滝川はにっこりと微笑んで、自分でいれたアイスコーヒーを飲み干した。

 

「麻衣の相手が兄ちゃんなら、俺だって文句はないよ。まぁ、そもそも人の恋路に文句つけるような奴は馬に蹴られてなんのそのだ。麻衣が幸せなら俺はそれでいい」

 

でもよ、と滝川は言葉を切ってナルに視線を向けた。

 

「お前さんはそれで本当にいいわけ?」

 

一体何を言い出すのか、と、ナルが眉間に皺を寄せると、滝川はその表情にため息をついた。

 

「俺はさぁ、お前は麻衣が好きなんだと思ってたんだよね」

 

露骨に顔をしかめるナルに、滝川は苦笑した。

 

「不本意か?」

「不本意だな。それに聞き飽きた」

「は?」

「同じ事をつい先日、原さんにも言われた」

「おや、まぁ」

 

滝川が目を丸くすると、ナルはため息をついた。

 

「まぁアレは苦し紛れだろうけどな」

「何?」

「原さんに付き合って欲しいと言われたので断った。そうしたら、それは麻衣が好きだからだろうと言われたんだ。短絡的思考だな。原さんらしくもない」

 

ナルはそれだけ言うと、滝川に視線を移した。

 

「で?ぼーさんの思考回路は僕があのバカに好意があるなどと、どうしてそんな突拍子もないことに繋がるんだ?」

 

心底不快だと表す視線に、滝川は首をひねった。

 

「いや、思考回路も何もねぇべ。見てればわかるよ。お前にとって麻衣だけは特別だったからな」

「特に手がかかるってだけだ」

「そうかねぇ、それだけじゃないような気がして、俺なんかはハラハラしてたのよ」

 

柳眉を吊り上げるナルに、滝川は乾いた笑い声をたてながら、ソファにもたれかかった。

 

「麻衣はあの通り他人に簡単に同情するような感受性の激しい寂しがり屋で、いつも誰かに構ってもらいたいってタイプだ。そんな麻衣にとったらナルなんてそれこそ鬼門だからな。お前さんは仕事があれば麻衣なんか平気で無視するだろう。女が好きそうなわかりやすい優しさも持ち合わせていない。恋愛に対してロマンチストでもない、筋金入りのリアリストだ。そんな麻衣がナルと付き合ってみ?麻衣が泣くのは目に見えている」

 

滝川の論理に、ナルはあきれて頭をふった。

 

「僕の人格は無視か」

「いや、お前さんにしても麻衣は面倒だと思うよ?性格正反対だもんな。でも、だからこそ好きになってんのかなぁって、おじさんは思ってたのよ。うん、だから、麻衣が兄ちゃんとお付き合い始めたっていうなら、お父さんとしては一安心なの。でも、ちょっと違和感が残るんだよな」

 

滝川は少し迷うように視線を彷徨わせ、それから口を開いた。

 

「ああいうことがあったからだけどよ、麻衣はもちろんユージーンの事が好きだったんだろうけど、やっぱりナルも好きだったんじゃないかってこと。それから最後はお前さんのこと。ナルは本当に麻衣が好きでもなんでもなかったのかなぁってイマイチすっきりしないんだよ」

「ぼーさんに納得してもらう必要があるとは思えないが?」

「もちろんそうだな。こんなのは阿呆のたわ言だ」

 

でもさ、と、滝川は微笑んだ。

 

「俺は麻衣や兄ちゃんにももちろん幸せになってもらいたいけど、ナルちゃん、俺はお前さんにも幸せになってもらいたいんだよね」

 

滝川の呟きに、ナルは肩をすくめ、手元の本を指ではじいた。

 

「僕は存分に研究ができれば十分幸せですが?」

「まぁ・・・・あんたはそうでしょうが」

「ではいいだろう。放っておいてくれ」

「いいよ。幸せの形は人それぞれだ。押し付けるつもりはさらさねぇよ」

「当然だな」

「でもさ、本人が自覚できない幸せってのも世の中にはあるんだよ。なくなってみてから分かる」

「・・・・」

「最近所長がピリピリしていて怖いって、ムスメは怯えているんだよね」

「・・・・」

「ナルが不機嫌なのはいつものことだけどよ、最近輪をかけて酷くなってるのは、それが原因なんじゃねぇの?」

 

遊びだけではないような滝川の声色に、ナルはものも言わず立ち上がった。

 

「おいおい、そこで逃げんの?」

「話にならない」

「正体バレた時と同じかい」

「なに?」

「言うことはない。それで正しいって思っちゃっていいんだな?」

 

すがりつく滝川の質問に、ナルは一瞬間考え、背筋も凍る華麗な笑みを浮かべ答えた。

  

 

 

「仮にそうだったとしたら、双子で女の趣味が一緒なんて最悪じゃないか?」 

 

 

 

蠱惑的なまでの笑みは、滝川の口を閉ざさせた。

ナルはそれを一瞥すると、すぐに笑みを取り除き、自分の城に姿を消した。