#011
乱暴者
恋人としてつきあっているのか、否か。
聞くまでもなく、そんなことは見ていればわかる。
それでなくとも所謂告白シーンというものを目撃させられたのだ。
あれで、麻衣がなんと答えるかなど、問うまでもないことだろう。
ただ、だからと言って確証があるわけではない。
――― 大体、はっきりさせて、だから何だと言うんだ。
ナルは所長室のデスクに読みかけの本を放り投げ、仮眠用のソファに寝転がった。
滝川に指摘されるまでもなく、最近の自分がやけにイラついている自覚はあった。
原因ははっきりしている。
研究過程の論文が進まない、本の内容が頭に入ってこない、つまり、集中力に欠けて、仕事が思うように進まないからだ。
しかし、ではなぜ集中できないかと問われると、ナルは答えに窮する。それは本格的にわからない。
ただ一つわかることは、今までよりずっとジーンの行動が気になっていること。
正確には、麻衣と一緒にいるジーンの行動が、麻衣が、気になっていることくらいだ。
だが、問い質したところで、このもやもやがすっきりするとは思えない。
そしてナルの思考は最初に戻り、抜けられないループの中を漂う。
そこにいる限り、仕事が捗らないのは目に見えて明らかであったが、その解決策をナルは持っていなかった。
「イライラしているとムスメが怯えている」
ふと、ナルは先に滝川が漏らした言葉を思い出し、眉間に皺を寄せた。
苛立たしいのは確かだが、それは何も自分だけのことではない。
恋人として付き合いを始めたであろう問題の2人についても、最近は何かいつも苛立っている。
麻衣だけでなく、あのジーンまでもがだ。
それがますます自分を混乱させていることに思い当たり、ナルは一人ため息をついた。
――― 恋人になったら、普通は平和ボケするもんじゃないのか?
おそらく付き合い出した当初は、2人は間違いなくボケていた。
ジーンは見慣れた笑顔で隠したが、麻衣に至っては分かりやすいほどに分かりやすかった。
それは多分見間違いや勘違いではなかったように思う。
しかし、最近ではその仲がどこかぎくしゃくしているようにも見えた。
そもそも人間関係が希薄で、他人に興味のなかった自覚のあるナルは、そんな自分の感覚も信用はしていなかった。
サイコメトリで探ってしまおうかとは、途中何度か考えた。
しかしそんな情報で何かが解決できるとは思えなかったし、秘密裏にその情報を握ったことを聡い兄に感づかれずに隠し通す自信もなく、ナルはそれを実行には移していなかった。
――― まったく、何だってこんな目にあわなければいけないんだ。
ナルは考えるのに飽き、あくびをかみ殺した。
おかしなことと言えばあと一つ。
ナルは忍び寄る睡魔を自覚して、ため息を落とした。
最近、眠くなるのが早い。
――― 寝汚い麻衣の睡魔でも乗り移ったか・・・・
ナルはひっそりと微笑み、そしてそのまま瞼を閉じた。
「ナルぅ?」
高いソプラノの声に促され、瞼を開けると、そこには怪訝そうな表情で覗き込む麻衣がいた。
驚きを胸に隠し、ナルは横になったまま返事をした。
「何だ?」
「何だじゃないでしょう!こんな所で眠っちゃってさ。風邪ひくよ?それに事務所空っぽなのに・・・」
ぶちぶちと文句を言う麻衣に、ナルは眉間に皺を寄せ、起そうとした体を再度ソファに横たえた。
「眠っていたのか?」
「ええ、そりゃもうぐっすりと。珍しいね。疲れてる?」
一転して心配気な声で尋ねる麻衣に、ナルはわずらわしそうに首を振った。
「別に」
「具合悪い?」
「そうではない・・・・・・ぼーさんは?」
「さっきまでいたけど、仕事が入ったって帰ったよ」
「今何時だ?」
「8時。今日はリンさんもジーンも直帰でしょう?そろそろ帰ろうかなぁって思って、起しに来たの」
「ああ、帰っていいぞ」
何気なく許可を下すと、麻衣はあきれたように腰に手をあて唸った。
「帰っていいぞじゃない!ナルも帰るのよ?!夜はまだ冷えるでしょう?こんなタオルケット一枚じゃ本当に風邪ひくよ」
言われて、ようやくナルは自分の体にかけた覚えのないタオルケットがあることに気が付き、眉を顰めた。
いくら眠かったとは言え、他人がタオルケットをかけるほど側に来て気が付かなかったなんて迂闊過ぎるにもほどがある。
「ほら、さっさと起きて!」
「うるさい」
不機嫌をそのままに拒絶すると、麻衣は怒り心頭といった表情を浮かべた。
「うるさくさせているのはどこのどいつよ!ほら!」
そしてそう言うが早いか、麻衣はタオルケットを剥がそうと乱暴に手を伸ばした。
それを見て、ナルは手元のタオルケットの端を掴んだ。
「何をする」
「お〜き〜ろ〜」
「乱暴者」
「何とでも言え」
タオルケットの両端を掴み合って、ぎゅうぎゅうと引っ張りあう。
その最中に、ナルは口の端を吊り上げた。
「積極的だな。襲う気か?」
低いテノールが空を撫でる。
その瞬間、麻衣は顔を真っ赤にして両手の力を抜いた。反動でナルの体にタオルケットが戻った。
「な、な、な、な」
言葉にならない麻衣を見上げ、ナルは目を細めた。
「図星か・・・」
「ば、ばばばばばかなこと言わないで!!!!何で、私がナルを襲うのよ?!」
「そう?ああ・・・麻衣が襲いたいのはジーンだったな」
更に追い討ちをかけると、麻衣は耳まで真っ赤になって頬を膨らませた。
「違うのか?」
不思議なほど冷静な自分が、胸の外にいるようだった。
「襲ったりしませんから!」
それが聞きたいことを聞いてくれている。
「でも、付き合っているのは事実だろ?」
ナルはその感覚に戸惑いながらも麻衣を見つめた。
「頷けば?」
いやに、饒舌なそれは、意地悪く舌なめずりをしているようだった。
「・・・・・・・・・・・・・ジーンから聞いたの?」
目が泳ぐ麻衣を見つめ、ナルはため息をついた。
「麻衣を見てれば分かる」
「は、ははははは、私、わかりやすいもんね」
麻衣は笑いながら、ぽつんと涙を零した。