#013
君にそう言われちゃ、僕もお終いだな
切れ切れの集中力をかき集めて作業に取り掛かっても、論文の進捗はさほど見られなかった。
気が付けば深夜。
紅茶でも飲もうと、固くこった体を無理に動かしリビングに向かうと、そこには既に眠ったと思っていたジーンがノートパソコンを広げて、カタカタと何事かを打ち込んでいた。
「またメールか・・・」
ナルがあきれて素通りしようとすると、ジーンは背中をむけたまま、片手を上げてそれを制した。
「ナル、お茶入れるんだったら僕にも」
言い返すのも面倒で、ナルは二人分の紅茶を持ってリビングのソファに戻った。
するとジーンはキーボードを打つ手をやめて、そのまま電源を落とし、差し出されたカップを手にした。
「ありがとう、ナル」
「今日の分は終わりか?」
「うん。あ、そうだ。今度まどかが日本に来る時、シンシアを連れて来るってメールがあったよ」
「誰だそれは?」
「・・・・・シンシア・クロフォード。ほら、綺麗なプラチナブロンドの髪でさ、まどかの同期生だよ。まさか忘れたの?」
本格的にわからない、と、ナルが首を振ると、ジーンは呆れかえって声を裏返らせた。
「本当に興味のない人間についてはかぼちゃか何かと思っているんだもんなぁ。僕が日本に来る直前まで結構仲良くしていた人じゃない。ここまで言っても覚えてない?」
「ああ・・・ジーンの夜遊び相手か」
うっすらと思い出した情報を顔を顰めて口にすると、今度はジーンがナルそっくりの顔に眉根を寄せ、そっくりの表情をのせた。
「もう、そういう言い方しないでよね」
「18のバースデーまでは大人しくしてろってルエラとマーティンの言いつけを破っていたんだから、夜遊びでいいだろう。協力させられてこっちはいい迷惑だった」
「どうせ勉強してて寝てなかったんだからいいじゃない。窓開けるくらい」
「窓だけならな。PKでお前を持ち上げるのは重労働だ」
都合よく事実を省略しようとするジーンに釘をさすと、ジーンは懐かしそうに笑った。
「また会えるなんて嬉しいな。もう随分会ってない」
嬉しげな声に、ナルの心臓がざわりと波打った。
「ジーン」
「何?」
「その女とは付き合っていたんだったな」
「うぅん、どうかなぁ。仲良くはしていたけど・・・ハッキリした彼女っていなかったじゃない」
「来るもの拒まず」
「去るもの追わず・・・だったっけ?日本語って便利な比喩が多いよね」
「シンシアはどう思っているんだろうな」
「へ?」
「お前は終わった気でいても、相手までそうとは限らないだろう」
「さぁねぇ・・・会ってみないとわからないよ。まだ僕を好きでいてくれると嬉しいけど、突然いなくなってもう嫌いだっていうなら仕方ないよね」
「嬉しい?」
「そうでしょう?」
「お前は今、麻衣を恋人にしたんじゃなかったのか?」
剣呑な色が滲む漆黒の瞳にいぬかれて、ジーンは愉快そうに首を傾げた。
「シンシアが来て、ジーンがまだ好きだと言ったら、お前はまたシンシアと付き合うのか?」
「それは・・・・そうなるんじゃないかな」
「それは浮気だろ」
ナルの言葉にジーンは耐え切れないという風に噴出した。
「あはははははは、ごめん・・・ふふ、でも、やだなぁ!ナルから浮気者と呼ばれるとは思わなかったよ!あははははは!!」
「ジーン!」
「だって、何を気にしてるの?そんなこと今まで気にしたことなかったじゃないか」
「それはお前に特定の恋人がいなかったからだ」
「嘘だね。そんなことも気にしたことなかったじゃないか」
ジーンは目じりに浮かんだ涙をすくいながら、大きく深呼吸した。
「好きだって言ったら、同意してくれた」
「は?」
「一緒にいると楽しいし、すっごく幸せになれるから一緒にいる」
「・・・・」
「麻衣もシンシアもそれに変わりはないじゃないか」
とっさに熱く熱したナルの左手を、ジーンは素早く掴み上げ、思いのほか強い力で取り押さえた。
「PKは反則だ、ナル」
片割れは射殺さんばかりの苛烈な視線で、片割れを睨みつけ、いま一方の片割れは残忍ともとれる表情を浮かべたまま、少しも笑っていない視線で、片割れを睨み返した。そして、その沈黙を愛おしむように、後の片割れは裂けるような酷薄な笑みをその口に浮かべた。
「違う。やっぱり麻衣は特別だ」
「・・・・」
「麻衣はナルが好きな女の子だもん」
低いテノールの囁きに、先の片割れはうっそりと微笑んだ。
「それだけわかっているなら、麻衣を開放したらどうなんだ?お兄ちゃん」
「それはできないな」
「何故?」
「そうなると、僕だって麻衣は欲しい」
「シンシアと同じと言っただろう―――それでも欲しいのか?あんなのが?」
「欲しいねぇ」
「強欲だな」
「ナルを見てたらそう思えてきた。ふふ、最近麻衣を見るとイラついてたんだ僕」
「・・・」
「何でだろうなぁと思っていたけど、今わかった」
「・・・」
「僕は " ナルが好きな麻衣 " がいいんだよね」
「・・・」
「それで、" 僕かナルかと思い悩む麻衣 " がいいんだ」
「・・・悪趣味」
掌の中でパチパチと白い火花を爆ぜる様子を眺めながら、双子の兄弟は揃って残忍な笑みを浮かべあった。
「そう解釈すると、僕が本当に好きなのはナルしかいないのかもね」
「なに?」
「 " 特別 " で " 例外 " は君だけだってこと。他の子は区別がつかない」
「・・・」
「ナルだって同じようなものでしょう?」
ジーンの言わんとしていること、言わせたがっていることを理解して、ナルは嫌そうに首を傾げた。
「否定はしない」
「ふふ、だからね、ナルが麻衣を特別にするなら、僕にとっても麻衣は特別。だから手放したくない」
明るく残酷なことを言い放つジーンに、ナルはため息を落とした。
「その特別な女をお前はあっさりと傷付けるんだな」
「・・・・・・」
「アレは泣くぞ? 優しいユージーンとしては不本意なんじゃないか?」
言われ慣れたフレーズに、ジーンは僅かに眉を顰めた。
そして少し考えるように視線を反らしてから、まるで弁解するように呟いた。
「でもさぁ、僕が悪いだけとも限らないと思うんだ。麻衣だって残酷だもん」
「・・・」
「僕が好きなくせに、僕が他の人を好きなことは許せないでいる」
「一般的な独占欲だろ」
「そうかなぁ・・・麻衣だって色んな人に親身になって、同調するんだから、僕の感覚もわかると思うんだけど・・・・それに、そのくせ、自分はナルのことも好きなんだよ」
「それは勘違いだろう」
「違うね」
「どこにそんな根拠がある」
「だってトランス状態だったら僕も麻衣も精神は裸の状態だからね。お互い知りたくないことまでよく分かる。そこで、麻衣は魂の一番やわらかくて美味しい所は僕に渡してはくれないんだ」。そこは何故かナルにばかり注がれている。疑わないでよ、嘘じゃない」
ジーンはそこでナルの手をぐっと引きよせ、瞳の奥底まで覗き込むようにして囁いた。
「何だったら、ここで僕の意識を覗いて見る?サイコメトリでもいいよ」
「必要ない」
「そう?」
「興味もない」
ナルの返事に、ジーンはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「最初はそれでもいいと思ったんだよね。心は誰しも自由だ」
「・・・」
「でも、ひっかかる」
「自分勝手だな」
あきれたようなナルの囁きに、ジーンは声を立てて笑った。
「君にそう言われちゃ、僕もお終いだな」