#014  常套手段
 

ドアを開けると、そこには切羽詰った表情の麻衣が立っていた。

 

「ナル!ジーンは?」

 

問いに素直に答えてやるべきかと、ナルは一瞬悩んだが、どれが適切な回答かと考える義理もないとみなし、事実をありのまま麻衣に伝えた。

 

「ジーンなら見送りに行くと言って、今はいない」

「私も空港まで行ったよ!でも、まどかさんだけで、シンシアもジーンもいなかった!」

「ジーンはシンシアの見送りに行った」

「来なかったの!」

「シンシアの帰国予定は今日の夜だ」

「・・・・!」

「まどかとは別の便で帰るよう変更したんだ。聞いていなかったのか?」

 

麻衣は慌ててバッグから携帯電話を取り出し、何度もかけたであろうリダイヤルを押した。

しかし、その番号からは聞きなれた連絡音声が流れるばかりで、麻衣が本当に聞きたい人物へとは繋げてくれなかった。

 

『 オ客様ノオカケニナッタ電話番号ハ、現在電ノ入ラナイ場所ニオラレルカ、電源ガ入ッテイナイタメ、オ繋ギデキマセン 』

  

無情な、その連絡音声に麻衣の両眼は見る間に潤んだ。

それが何を意味するのか、麻衣にもわかったのだろう。

もっと正確なことを言えば、ジーンは昨夜からいなかった。

昨夜から 『 帰国してしまうシンシアの見送り 』と称して、帰宅していないのだ。

玄関先でぼろぼろと泣き始める麻衣を見下ろし、ナルはため息をついて一歩、身を引いた。

 

「ちょうどいい、上がっていけ」

 

真っ赤に充血させた目で自分を見上げる麻衣を、ナルはあえて視界から外した。

 

「喉が渇いた。お茶」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

律儀なのか、馬鹿なのか、

麻衣はぐずぐずと泣きながらも靴を脱いで部屋に上がり、真っ直ぐキッチンに向かうとケトルを火にかけた。 

イギリス本部から、まどかと共にやってきたシンシア・クロフォードが、ジーンに未練があることは一目ではっきりした事実だった。

事の経緯を事前に説明されていた麻衣は、ジーンにべったりと張り付くシンシアにも一応の理解を示そうと苦心していた様子だったが、それは何とも痛々しく、傍目にも無理をしていることが明らかだった。

迂闊にも麻衣とジーンが付き合い始めたことを知らなかったまどかは、そんな麻衣を見て顔色を悪くし、知っていたらシンシアを連れて来る事はしなかったと、ナルやリン、はては安原までをもなじったけれど、全ては後の祭りだった。

ジーンはそんな麻衣にも、そしてシンシアにも等しく優しく微笑み、互いの状況に理解を示した。

 

「そりゃね、事が事だったわけだし!シンシアさんの気持ちがわからないわけじゃないよ」

 

麻衣は泣きながらも、丁寧に茶葉からお茶を入れ、ソファの前のローテーブルに並べた。

 

「でもね、どうしても嫌なのよ!ジーンがシンシアさんにあんな風に優しくしているの、見てるの!嫌な子だなぁって思うけど、そう思っちゃうんだから仕方がないじゃない!」

 

麻衣の愚痴に、僕は呆れて肩をすくめた。

 

「それは僕に言っても仕方がないことだろう、ジーンに直接言え」

「お茶入れてあげたんだからちょっとは付き合いなさいよ!」

「随分高いお茶代だな」

「じゃぁ飲むな!」

 

麻衣は悲しんだ次に怒り出し、それからすぐに疲れたように息をついた。

本当に百面相だ。

 

「ジーンにはもちろん言ったよ」

「・・・」

「でもさぁ、なんだかうまく伝わらないんだよね。ジーンが優しいだけの気持ちでそうやっているのはよく分かるんだ。だからずっと責めることもできない。そうすると、何だか私が一人心が狭い嫌な奴みたいに思えてきて、何も言えなくなっちゃうんだよ。一緒にいられるだけで幸せなはずなのに、どんどん欲張りになっていって、自分が抑えられないんだよ」

 

麻衣の独白に、ナルは入れたばかりの紅茶に口をつけながら薄く笑った。

その笑みが珍しかったのか、気に入らなかったのか、麻衣は怪訝そうな顔でナルを見上げた。

 

「何んだよ」

「・・・・別に」

「馬鹿だとか思ってんでしょう?」

「いや?」

「どうせナルにはこんな心の機微なんて理解できないでしょうけどね!」

「理解はできないな。下らない」

「私にとっては重要事項なの!」

「 ジーンの常套手段だ 」

 

見事だな、と、呟くナルに、麻衣は今度は険しい表情を浮かべ、睨んだ。

 

「どういうこと・・・・」

「言葉通りだ」

「常套手段って何がよ?」

「ジーンの優しさ」

「え?」

 

挑みかかるような麻衣の視線に、ナルはうっそりと微笑んだ。

 

「ジーンは優しい、ジーンはいい人。だから自分が間違っているに違いない。ジーンと付き合う女の大半は何故か盲目的にそう信じる癖があるんだ」

「・・・」

「普通であれば恋人関係でありえないようなことも、ジーンがやればまるで善行のように見える。だからそれに耐えられなくなった女性の方は、何故か自分から身を引くんだ。だからジーンはどれだけ好き勝手しても誰からも恨まれない。刺されたりしない」

「そんなわけないっっ」

「実際に昨日ジーンは帰って来なかった」

「・・・・え?」

 

信じられないものでも見るような目つきの麻衣に、ナルは優劣と不快感を感じて眉を顰めた。

 

「全部説明してやらないと理解できないか?」

 

言葉を失い、呆然と立ち尽くす麻衣を見上げ、ナルはゆっくりと立ち上がった。

近付き、正面に立てばその小ささが否応無しに際立った。

 

「ジーンは麻衣が好き」

 

それでも嬉しいのだろう、ナルの言葉に麻衣の肩がぴくりと揺れた。

 

「そして同じようにシンシアが好き」

 

そして次に苦しそうにぎゅっと眉を寄せた。

 

 

 

 

「だから、昨夜からジーンはシンシアの所へ行った」

 

 

 

抱き寄せると、その線の細さ、肌の柔らかさが際立った。

ナルは麻衣に気がつかれないように静かにため息を落とし、やわらかな皮膚を確かめようと、両手に力を込めた。

薄い皮膚。

やわらかい肉。

華奢な骨。

高い体温。

どれもこれもが麻衣を、自分とは異なる性の持ち主なのだと意識させた。

その心地よい刺激に、ナルは唐突に昔のことを思った。

やむにやまれず、何度か手を繋ぎ、共に駆け、背に庇い、抱き寄せたことがあった。

その都度、それから、いつの間にか、焦がれるようになった。

――― ずっと触れたかったのか・・・

ナルはようやくその事実に気がつき、繰り返し進言された事実に、ようやく理解を求めた。

 

 

 

「君は麻衣のことが好き」

「ナルは麻衣のことがお好きなのでしょう?!」

「俺はさぁ、お前は麻衣が好きなんだと思ってたんだよね」

 

 

 

触れたいと願い、平安であれと願い、それ以上に自分のことを最も側に意識させたいと願う。

それが「好意」というものなら、自分は間違いなく麻衣にそれを感じている。

しかしその一方で、高速回転する頭脳でナルはその質問に否を唱えた。

自分のことを最も側に意識させたいと願い、それ以前に、側にあることが当然の存在。

それがジーンだ。

 

「麻衣はジーンが好き」

「・・・・う、ん」

「けれど、最近うまくいかない」

「・・・・・・」

「その原因の大半はジーンにある」

「・・・・」

「だが、ジーンはその原因は麻衣にもあると言っていた」

 

 

麻衣は手に入れたい。

ジーンは失えない。

 

 

「麻衣は僕のことが好きなんだろう?」

 

 

視界に、驚いたような鳶色の瞳と、2人でも寝転がるには十分な大きさのソファが入った。