#005  そっちの趣味はないから無理

    

   

独り暮らしで、アルバイト先が事務所とはいえ、麻衣にも麻衣の生活がある。

リンが言うほど連日ナルとジーンのマンションに来るわけではなく、割り合い的には来ない晩の方が多いくらいだった。

そんな夜は2人は外食で食事を済ませ、その後ナルは大抵は書斎に篭り、ジーンはリビングで本を読んだり、テレビを観たり、とそれぞれ好きなことをし、ジーンがむらっけを起こさない限りは、互いに干渉することはほとんどなかった。 

 

 

 

「 うっわぁぁあ! 」

 

 

 

その晩も、ナルは書斎に篭り、ジーンは例によってリビングにパソコンを持ち込んでメールチェックをしていたのだが、突如素っ頓狂な悲鳴を上げ、それでも意識の呼びかけもせず、書斎から顔も出そうとしないナルに痺れを切らして自ら書斎に転がり込んできた。

そしてうんうんうめきながら、ジーンは読みかけの本から目を離そうともしない弟の膝元になついた。

 

「ああ、もうやだぁ・・・・・最悪」

「・・・」

「助けてナル・・・・」

「・・・・うるさい」

「ああ!本当に信じられないっっ」

「・・・」

 

ナルの制止は一切無視して、ジーンはひとしきり嘆き続け、それから一方的に語り始めた。

 

「なんかさぁ、僕、イギリスで大変なことになっちゃっているみたい」

「・・・」

「聞いてる?」

「・・・何が?」

「んとねぇ、多分間違いなく噂の出ドコはシンシアなんだろうけどさ。何か僕、いつの間にかイギリスで極悪人になっちゃってるみたいなんだよ。すごい冷酷なフリ方したって、女の子の敵になってるみたいなんだよ。日本でガールフレンドがいっぱいできて・・・いっぱいって誰のことだよ?もうイギリスの子には興味ないみたいなことになってる・・・・クロイーからのメールなんて、コレ、もう本当に酷い。見る?」

 

今にも泣きそうな顔をしたジーンを見下ろし、ナルは酷薄に笑った。

 

「事実、そのようなものだろう」

 

ナルの冷笑にジーンはそんな事ないと文句を言い、それから疲れたように再度ナルの膝に顔を押し付けた。

 

「ああ・・・もう、こういう時弁解できないのが遠方地にいる辛さだよね。その場にいたらシンシアなんて簡単に黙らせられるのに!あんまりだよ。皆もそんな噂信じちゃうなんて・・・ひどいや」

 

ジーンの手前勝手な言い分に呆れながらも、ナルはふと気が付き、さらさらと流れる自分とそっくりの漆黒の髪を撫でた。

 

「そんなに気に病むくらいなら、一度帰国すればいいんじゃないか?」

  

ナルの意外過ぎる申し出に、ジーンは俯いていた顔をがばりと上げ、それから一瞬微笑み、次いで訝しげな目でナルを睨んだ。

 

「帰国したくないのか?」

「そういうわけじゃないけど・・・・・」

「じゃぁさっさと行け」

「ナルがそんなこと言い出すなんて不気味。何企んでるの?」

 

胡乱な瞳を一瞥し、ナルは細く笑った。

 

「何も手ぶらで行って来いとは言っていない」

「え?」

「財団からの予算の3割がイギリスに取られた。お陰で予定していた暗視カメラの購入資金が足りなくなったところなんだ」

「それって・・・・」

「少し調達して来い」

「仕事じゃない!しかもパトロン相手?!」

「ちょうどいい名目だろう」

「えぇぇぇ」

 

ジーンはしばし不満そうに口を尖らせたが、それでもそれが解決してくれるメリットに天秤が傾いたと見え、ややあって懐いていたナルの膝から身体を離した。

 

「じゃ、じゃぁさ麻衣も一緒に連れて行っていい?」

「は?」

「せっかくなら一緒に旅行するのもいいじゃない!」

 

対して、ナルは心の底から疲れたようなため息をついた。

 

「バカか・・・・シンシア騒ぎに火に油を注ぐことになるぞ」

「あ、そっか」

「リンならいいぞ」

「リン?」

「首尾よくパトロンと話がついても、お前だけでは契約できないだろう」

 

ジーンはしばらく考えるそぶりをしたが、それがポーズであることはナルには分かっていた。

自分と引けを取らない優秀な頭脳は今、ナルにとっては意味のない情報、例えばイギリスで待ち構えているであろうジーンの信望者、妄執者、女の子、養父母、かつてのクラスメイト、同業者、果てはリンとまどかに至る人間関係の再構築にフル回転しているはずだ。

ナルはそのままテーブルの上に投げ出されていた携帯電話を手に取った。

 

「どうする?いいなら、リンに手配させるが」

「う・・・・ん、じゃぁいいよ。行ってくるけど、いつから」

「ちょうど調査も入っていない。明日からでいいだろう」

 

表情の変わらぬナルに対して、この時ばかりはジーンは大声で拒否した。

 

「ええ!それは駄目!」

「・・・・・何故?」

「お土産も買ってないし」

「遊びではないのだからそんなものいらないだろう」

「そういうわけにはいかないよ!それに今日は麻衣テストでいないじゃない」

「それが?」

「せめて出発は明後日!明日の夜3人でやってから行きたい!」

 

ナルが呆れて口を閉じると、ジーンは僅かに頬を赤らめ唇を尖らせた。

 

「何だよ、そのバカにしたような目は・・・・切実な問題じゃない。我慢できなくて他の子に手を出すわけにはいかないでしょう?そしたら麻衣に嫌われるし」

 

ジーンの言い草にナルはおや、と、眉を上げた。

 

「愁傷な心構えだな。お前らしくもない」

 

ナルの皮肉にジーンはにっこりと天使のような笑顔で頷いた。

 

「だってナルと3人で一緒にするのが、こんなにいいって知らなかったんだもん」

 

あんまりと言えばあまりの暴言にナルが再び沈黙すると、ジーンはゆったりと微笑を深くした。

 

「ナルがここまでできる女の子なんて麻衣しかいないでしょう?そうしたら、僕にとっても麻衣は特別だよ」

 

ナルは携帯電話のボタンを押しかけていた指を止め、僅かに首を傾げた。

 

「麻衣とするだけとは違うのか?」

「違うね」

「この間も2人でやってたのに?」

「ナルがいなかったからだよ。途中で帰ってきたんならまざってくれれば良かったのに・・・」

 

そこでジーンは口の端を吊り上げ、シニカルに笑った。

 

 

 

「3人の方が麻衣も格段にイイし」

 

 

 

そこに楽しみだけを見出す兄に、ナルは怖いほどにそっくりな笑みを浮かべた。

 

 

 

「ジーンの中心はあくまで僕なんだな」

「そうだよ。知らなかった?」

 

 

 

得意そうに笑うジーンにナルは肩をすくめた。

 

「それならいっそ僕とした方がいいんじゃないのか?」

 

ナルの提案に、ジーンはまさかと、一笑に付した。

 

「ナルが妹だったら考えないわけじゃないかもしれないけど、ナルは弟じゃない。僕、そっちの趣味はないから無理。女の子大好きだもん。それにさ」

「それに?」

「ナルはナルだけど、自分と全く別物って気がしない」

「・・・」

「どこかで自分の一部って思ってしまうんだ。誰だって無意識の内に誰かとセックスしちゃってたら気分悪いでしょう?だからナルがやる事は全部知っておきたいとは思うけど、ナルとそういうことしても、あくまでマスターベーションの部類になると思うんだ。だから興味ない」

  

ジーンはそれだけ言うとナルの手から携帯電話を奪い取り、手早くリダイヤルを押して、程なくして電話口に出た相手にあっけらかんとした口調で決めたばかりの計画を告げた。

 

 

「あ、リン。突然だけど明後日から一緒にイギリス帰ろう!」

 

 

明るいテノールは、重厚な色合いをした書斎の中で、空々しいほどよく響いた。