#006  すぐ帰って来る

    

   

 

 

 

あれはヒースロー空港だった。

 

 

 

 

 

 

日本へ向かうジーンは終始上機嫌で、見送りに来たナルに何とか抱きついて別れを告げようと画策していたが、そのことごとくをナルの強固な拒絶によって不発に終わらせていた。

 

「なんだよ。折角なのに」

「ふざけるな」

「寂しいでしょう?」

「冗談じゃない」

 

仲がいいのか悪いのか、満面の笑みと不機嫌そうなぶっちょう面をつき合わせる双子に、双子の上司が苦笑した。

 

「もういい加減にしなさいよ、2人とも」

「だって折角なのにさぁ」

「まぁ、そうよねぇ、ナルもジーンとハグくらいすればいいじゃない」

「・・・」

「お兄ちゃんが一人で行っちゃうから寂しくて拗ねてるの?」

「あ、なぁんだ!そういうこと!!」

 

はしゃぐ2人に呆れ果てて帰ろうとするナルを養母が慌てて止めた。

その様子を眺めながら、ジーンは満面の笑みを浮かべて言った。

 

「すぐ帰ってくるからね!」

 

そうしてジーンは背伸びをして、指先まで真っ直ぐ伸ばして、精一杯の高さで腕を振ってゲートに吸い込まれて行った。

言葉通りに、すぐ帰って来るはずの、ティーンエイジャーの短い旅行、小さな冒険の始まりであったはずだった。  

  

 

 

 

 

 

 

 

大騒ぎする麻衣と用意周到な安原に半ば引きづられるようにして、ナルは成田空港までジーンとリンの見送りに行った。結果的に事務所職員全員が集った見送りの中、ジーンはまるで今生の別れのように別れを惜しみ、最後まで麻衣の手を離さなかった。

 

「いい加減さっさと乗り込め、ゲートが閉まる!」

 

痺れを切らしたナルが怒鳴ると、ジーンはさっとナルに抱きついて左頬に軽くキスをした。

瞬間的に固まったナルをジーンは笑いながらその耳に口を寄せた。

 

「麻衣と2人っきりになれるからってあんまりハメを外しちゃ駄目だよ、ナル」

 

それからジーンは麻衣を抱きしめ、ついでにその場に居合わせた安原とも抱き合い、笑顔でゲートをくぐった。

 

「すぐ帰ってくるからね!」

  

その言葉に、ナルは我に返って慌ててジーンとリンが抜けたゲートの先に視線を転じた。

動揺した意識に気が付いたのか、飛行機との連絡通路を歩いていたジーンはその時くるりと振り返り、ナルに向かって最上級の笑顔を浮かべた。そうしてリンに促され、ジーンが踵を返すと、待ちかねていたアテンダントが頬を染めながら2人を機内に案内した。

2人を飲み込むと、飛行機はすぐに連絡路を閉じ、その大きな体を苦しそうに動かし始めた。 

大丈夫だ、とどれだけ自制しても、偶然にも全く同じ言葉が呼び覚ました苦い記憶は、瞬く間に胸をどす黒く染め上げた。 

あの時だって、ジーンは何も分かってはおらず、自分も分かってはいなかった。

『 特別な双子 』と呼ばれた自分達でさえ、その予兆は何も感じられなかった。

どれだけ後悔しても、もう遅い。

強靭な理性が僕から全てのリアクションを消す。

それでも体内は嵐のようで、胸が掻き毟られるようだった。

 

――― なぜここまで動揺する?

 

その疑問に、ナルはふと思考を止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジーンはただ、" 眠っていた "  だけなのに。

僕はただ、一時の間だけジーンを  " 見失った " だけなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジーンは一人日本で行方不明になった。

 

『 交通事故 』 で意識を失くし、

『 植物人間 』 になって

『 行方不明 』 になって

 

僕は日本に 『 見失ったジーン 』 をサイコメトリの能力を駆使して探すためにやってきた。

 

――― そうだ、間違いない。それだけのことだ。

 

フラッシュバックと呼ばれる現象の気配を感じ取り、ムカつく胸を押さえるようにシャツを掴み、ナルは激しい頭痛をやり過ごそうと眉間に皺を寄せた。

この感覚はよく知るものだ。

大丈夫、やり過ごせる。

そう念じながらも、これからの苦痛にナルは眩暈を感じてもいた。

こうして突然押し寄せる記憶は酷く暴力的で、精神損傷が激しいと決まっていた。

そんなことをしなくても、洋服を借りた時に突然同調した記憶は今でも生々しいのに。

 

 

 

鈍い衝撃とともに大きな質量がぶつかり、アスファルトの道路に身体が投げ出された。

その瞬間に胸に何かがつまり、呼吸ができなくなった。余りの痛みに吐き気が伴う。頬を刺すアスファルトの感触がやけに生々しいのに対して、動かない体の方の感触は驚くほど遠い。

ぼんやりとかすむ視界の先にガタガタと震える女性の足が見えた。

先が擦り切れて色が落ちた、ありふれた女性ものの靴、肌色のストッキング、細い足首。

駆け寄って来るのかと思われたその足は、しばらくの間その場に留まった後、今にも転びそうな不安定な足取りで踵を返し、視界から消えた。

それからほどなくして、車のエンジン音が近づいてきた。

総毛立つ。

反射的に意識がその意味を理解することを拒否する。

それでも身体は全身で生命の危機を訴える。

口の中がべとつき、喉がガラガラに渇いていく。

今にも手放してしまいそうな、熱を持ったギリギリの意識がそれでも生きようとあがき、驚くほどの粘着性をもって、生にしがみつく。

そこで思ったのだ。

 

 

 

―――――― アア ――――― 死ニタクナイ ――――――

 

 

 

けれど結果は驚くべき正確さで、驚く程あっけなく訪れ、視界は一面のグリーンに染まった。  

 

 

 

 

 

 

グリーン?!!

 

 

 

 

 

「ナル!?」

 

悲鳴に近い鋭い声に、ナルは突然フラッシュバックの衝撃に自分が倒れかけたことに気が付いた。

ひやりとした汗がこめかみを伝い、中に浮きそうになっていた足が辛うじて床を掴む。

何とか床に這うことだけは免れたが、膝が笑って足元が覚束ない。傾いだ身体を安原と麻衣に支えられ、ナルは何とか近くのベンチの隅に座り込んだ。

 

「ナル、大丈夫?今、医務室に・・・・」

 

慌てて離れていこうとする麻衣の腕を、ナルは反射的に掴んだ。

見れば、滑稽なほどその指が震えていて、その事実にナルは愕然とした。

動揺しているらしい自分が心底意外だった。

それが伝わったのか、即座に反応したのは何事にも機敏な安原だった。

 

「飲み物とタオルを買ってきます。谷山さんついてて下さい。何かあればすぐ携帯に」

 

安原は早口で告げると、すぐに人ごみの中に駆けて行った。

ナルはその姿を見送ると、麻衣の腰にしがみつくようにして絡みつき、その重みでベンチの隣に腰を落とした麻衣の膝を枕に、腹に顔を押し付けて全てを振り払うように固く目を瞑った。 

まるで拒絶反応を起こしているような自分自身が、その現実が、何故だか身震いするほど恐ろしかった。