#007
最強のゴールデントライアングル
もしかしたら一瞬間のことだったかもしれないし、ともすれば1時間も経過したのかもしれない。 気が付けば意識を失っていたらしく、ふいに戻った意識に息を潜めていると、今にも泣き出しそうに潤んでいる鳶色の瞳が視界に入った。
「ナル?」 「・・・・・・麻衣」 「大丈夫?」 「ああ・・・・」 「お水飲める?」 「・・・・ああ」
何とか身体を起し、差し出されたペットボトルに口をつけると、少し気分がよくなった。 ナルは軽く頭を振って窓の外に視線を転じた。
「どのくらい意識がなかった?」 「ほんの少しだよ」 「ジーンとリンは?」 「あ、えっと〜」 「先ほど予定通り無事離陸されました」
その声に、ナルはようやく安原の存在を思い出し声のした方を振り返った。 安原は心配そうにナルの様子を覗っていたが、その瞳の奥に、べったりと麻衣に身体を預ける自分への、そして麻衣への下手な気遣いが見て取れて、ナルはその事実に僅かに苦笑してみせた。
「ご迷惑を・・・」 「いえ、そんなことはないですが、大丈夫ですか?」 「いつもの貧血でしょう。もう治まりました」 「でもまだ顔色が悪いです。念のために帰り道で病院へ寄りましょう」 「あ、それがいいね」 「少し遠いですけど、松崎さんの病院へ行けば保険証とかも便宜が図れるでしょうし」 「結構です」 「けど・・・」 「ダメだよ、ナル。第一今日からジーンもリンさんもいないんだからね?部屋で一人で倒れても誰も気が付いてくれないんだよ?」
無理に身体を起こすと、まだ後頭部に不快感が残っていて、気分の悪さにナルは顔を顰めた。 仕方がないので、ナルはそのままベンチの低い背もたれに身体を預け、そのまま傾いで横に座っていた麻衣の肩に頭をのせた。 麻衣は驚いたようにぴくりと身体を硬直させたが、常の慣れで直ぐにその警戒を解いた。 しかしそれに反して、その行為に若干の不快感を笑顔の奥に覗かせた安原をナルは見逃さなかった。 それが何故かざわりとナルの神経を逆撫でした。
「ナルってば!」 「麻衣が気が付くだろう」
自分の発した一言で、驚いたような、困ったような表情で固まる麻衣に、次第に厳しくなって行く安原の視線が、何かに繋がった。 ぞろりと、意地の悪い何かが顔を覗かせる。 それに挑発されるように、ナルは二人の当惑と視線を十分に意識した上でうっそりと笑ってみせた。 そして何気ない自然な仕草の延長のように、ナルは頬をくすぐる柔らかい栗色の髪に指を這わせ、そのまま麻衣の顔を向かせて唇を吸った。
「!」 「!!!!!????」
ほんの一瞬のことだったが、その事実のウェイトはきっと予想するよりずっと重い。 ナルは空ろな目のまま、正面で笑顔をはりつかせ固まった安原を見上げた。
「もともと、ジーンは僕が欲しがる女に興味があるらしくて」 「・・・・はっ?」 「僕が麻衣を欲しがったらしいので、ジーンは最初に麻衣に手を出したんです」 「・・・・」 「それで僕が不快に思うことを見越してね。僕とジーンは離れられないのに」 「・・・・」 「そこで、今は共存するために麻衣を共有することにしたんです」
ご心配なく、と微笑むナルに、さしもの安原もしばらく言葉をなくした。よく見れば頬が痙攣している。 ついぞ見た覚えのないキャパシティーを越えて固まる安原の表情が面白く、残忍な気持ちでナルはそこでわざと麻衣の肩を抱いた。 安原はそこで弾かれたように身体を震わせた。が、それからすぐに彼はごくまっとうな質問を口にした。
「お兄さんは・・・・ご存知なんですか?」
どこまでも喰えない安原に、ナルは満足そうに微笑んだ。
「ジーンから言い出したことですから」 「へ・・・・・へぇ」 「醜悪なトライアングルですがね」
やはり、相手をするのは有能で、図太い人間がいい。 ナルはそんな感想を胸に持ちながら、その人間に何を言おうとしているのかと、自分の真意を測りかね、言った端から顔を曇らせ、重い身体を無理に起こした。 他人の評価は塵ほどの価値もないはずなのに、何故か尋ねてみたかった。 自分は、それでも手にいれるべきなのか。と。 安原は眼鏡の奥に底の見えない笑みを湛え、言葉になりきれないナルの疑問に即答した。
「僕には、最強のゴールデントライアングルに見えますよ」
自然にこみ上げた笑みは、何だか泣きたいような、怒り狂いたいような、複雑なものだった。
安原の運転でマンションまで送らせたナルは、その場で麻衣も一緒に車から降ろさせた。 空港での突然の告白以降、麻衣は身の置き所がないらしく硬直したままだったが、安原はそれ以上何も尋ねず、いつもの底の見えない笑みを浮かべたまま立ち去って行った。 麻衣は部屋に付くまではそれこそ起きているのか眠っているのか分からない程無反応だったのだが、部屋のドアが閉まって完全なプライベート空間になった瞬間ぶち切れて、持っていたハンドバック、ソファのクッション、積み上げられた本など目に付くもの全部をナルに投げつけて大声で抗議した。
「何であんなこと安原さんに言っちゃうかなぁ!?」 「事実だろう」 「事実でも、何もあんな時に突然!!」 「麻衣がジーンだけのものと扱われるのは不愉快だ」 「はぁ?」 「第三者から見れば当然だろうが、安原さんはそんな顔をしていた」 「そんなのっっって・・・いや、もうでも、なんであんな人前で!しかもきききききき・・・キスとかして!!あんな言い方ないじゃない!?」 「説明が省けていい」 「そんな問題じゃないでしょう?!それになんかあんなんじゃ・・・あたしがまるでっ」 「淫乱に聞こえるか?」 「・・・・っ!あんた!分かって・・・」 「客観的にはそう判断されても仕方がないだろう。いっぺんに双子2人を相手にしているのだから」
見ないようにしていたであろう話題を正面から突きつけられて、麻衣は顔色をなくした。 その目に涙が浮かぶのを眺めながら、ふつふつと胸に沸く残忍な気持ちにナルは酔った。
「それで麻衣の側から一人でも男がいなくなるならかえって好都合だ」
顔を赤くしたり青くしたり、大声でどなってみたり、絶句したり、と忙しなく落ち着きのない麻衣が面倒で、ナルはリビングの中央で仁王立ちになっていた麻衣を無理矢理寝室に連れ込んだ。 麻衣はそれまでの不満が爆発したように激しく暴れたが、それでもまだ頭痛で苛立ったナルの力には敵わなかった。次第に劣勢になっていくのに、それでも抵抗をやめようとしない麻衣が心底煩わしいのと同時に、征服欲が胸の中で荒れ狂う。 どうにも飼いならせそうにない凶暴なそれを持て余しながら、ナルはそれらが声高に叫ぶ欲望の、あまりの身勝手さに思わず哂った。それはあまりに身勝手で、たいそう魅惑的な誘惑だった。
「一般的に、抵抗されればされるほど、性欲は強くなるんだがな」 「・・・っっ」 「麻衣はそれを知ってあえてやっているのか?」
言い終えると麻衣は身体をがっちりと強張らせたまま抵抗を止めた。 それでいてその目は涙でいっぱいになってもまだ、健全に、ギラギラと光を失わずに歯向かっていた。 ジーンの不在中に現れたジーンそっくりの麻衣。
「ジーンは僕が拘る女なら、誰でも特別なんだ」 「・・・」 「なんだ、まだ認めたくのか?自惚れの強いヤツだな」 「わかって・・・る」 「あいつに僕より大切な存在はないらしい。3人でするのが一番いいと気が付いたから、今回の帰国でも浮気はしないと珍しく約束していただろう」 「・・・・」 「だから麻衣はせいぜい僕を飽きさせないように頑張るんだな」
僕達の闇の真ん中まで付き合うもの好き。 そんなあざけりを感じたのか、麻衣はそこで不愉快そうに顔を顰めた。 そうして未だ両手両足の自由もないのに、麻衣はまっすぐ僕を見上げて言い募った。
「そんなの変だよ、ナル」 「?」 「私はナルが好きなんだよ?ジーンに好かれたくて、ナルとこうしているわけじゃない」 「・・・」 「信じてなかったの?」
そのあまりにシンプルな言葉に、思わず拘束していた力が緩んだ。 次いで、余りに無責任な麻衣の暴言に残虐性が牙をむいた。
「信じられるわけがないだろう」
予想以上に固く、冷たく響いた言葉ショックだったのか、麻衣は耐え切れないように泣き出した。
――― まるで健全の証明のようだな。
その泣き顔を眺めながら、ナルはそう一人ごちた。 性格はことの他ジーンと似ていてはいるが、その点は自分達双子とは決定的に異なる。 自分もジーンも闇に魅入られたまま、そこから這い出せるなんてちっとも思ったこともない。 一方で、苦労を知り、闇を知ってなお、麻衣は健康的な明るい光を失うことがない。 闇はこんなにも甘美で、ぬるくて、今は首まで浸かっているというのに、麻衣はそれに溺れたりしない。 そんな麻衣が、自分一言で傷つく。 その事実は、なぜこんなにも嬉しいのか。 健全とは程遠い、ほの暗い屈折した喜びを感じながら、ナルは麻衣を抱き寄せ、殺しきれない笑みを含んだ声で囁いた。
「・・・な、なんでぇ・・・」 「僕ら3人の関係がトライアングルなら、僕が底辺だからだ」 「・・・・底辺?」 「最も弱い立場ってことだ」 「ナルが?」 「そうだろう?ジーンが好きな麻衣が好きなのだから」 「・・・・ジーンと一緒ってことじゃない」 「決定的に違う。そう言う意味ならジーンはピラミッドの頂上だ」 「?」 「大前提として、僕とジーンが離れることはないんだ」 「う・・・ん」 「結局ジーンにとって僕が一番のように、僕もあいつだけは別格扱いにしてしまうだろう。離れることは絶対にありえない」 「うん」 「その条件下で麻衣を欲しがっても、お前は僕だけのものにはならない」
理解できないと顔に書いた麻衣に、ナルはいい加減バカだな、と嘲る喉で笑った。 それから少し考えて、ナルはある種の自戒を放棄し、説明するのに最も安易な言葉を使った。
「少なくとも、僕はジーンより麻衣を愛してるつもりだけれど、僕は報われないだろう?」
愛など全く信じていないのに、発した言葉は睦言のように滑らかに口から滑り落ちた。 対して、麻衣の反応は皆無で、突然の天災に怖れを抱いたような表情をしていた。
――― ほら、見ろ。
その無反応に、自分で自覚できる以上のダメージを受けながらも、ナルはうっとりと笑った。 自分が麻衣を傷つけるように、麻衣もまた自分を傷つける。 それはぼんやりと霞んで、実態の捉えどころのないこの心を唯一証明してくれるような気がする。
出来ることなら、もっと確実な証明が欲しい。 麻衣だけは特別だと思い続けたい。 自分だけは特別だと知らしめて欲しい。 ジーンのように側にいて、決して離れることなどないのだと安心させて欲しい。 そうして、ずっと、自分だけは一人にならなくてすむと教えて欲しい。
誰に公言しようと、身体を自由にしようと、それは手に入らないことは分かっている。 けれど、それ以上のやり方をナルは全く知らなかった。 沈黙する麻衣に、これ以上会話を続けても得られるものは少ないと判断し、ナルは魂を抜かれて硬直しているかのような麻衣の衣服を脱がせ始めた。 もはや抵抗もしなかったので、見慣れた上着も、見送りの為にと気を張ったらしい短いスカートをもすぐに取れた。下着を取って、指と舌を使って身体をまさぐり始めると麻衣はすぐに反応を始めたので、愛撫もそこそこに行為を始めた。 酷くしてやろう、という、低俗な欲求がないわけではなかった。 しかしそれ以上に麻衣は何故だか激しく昂ぶっていて、普段なら痛がるだけの場所に届いてもさらに嬌声を上げて反応した。 驚くほど簡単に果て、全身が紅潮し、流れ出す体液は太ももまで濡らし、中は痙攣してるようだった。 その理由がなんであるかなど全く見当が付かなかったし、知ってもメリットはないだろうとその原因からは目を反らし、それまでの鬱屈した胸のむかつきを忘れようとするかのように、ナルは夜更け過ぎまで行為に没頭していった。
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